思ったら思った通りになる。

 私は割合、子供の頃から神経質な性質で、デリケートであった。そして、高校一年の時に生長の家の高校生練成を受けたが、そこで一番、印象に残った事が「思ったら思った通りになる」という教えだった。

 私は練成から帰ってきたら、この事が頭からこびりついて離れなくなった。それで、良い事を思ったら良い事が来るのであるから、これは打ち出の小槌みたいなものだが、逆に悪い事を思ったら、悪い事がその通り、実現するのであるから、悪い事を思ったらいけないと分かったが、これがそう思ったら、悪い事を思うまいと思っても、ますます悪い事を思う様になってしまい、実は高校二年の頃からそれが悩みで殆ど、勉強が手につかなくなった。それで生長の家の本ばかり読んで、何とか解決法を探るべく、考えてばかりいたのである。

 そうこうする内に大学生になり、生長の家青年会に入って、仲間と活動したりしている内にそれほどの悩みは無くなったと思うが、それでも恐怖したらその恐怖した通りの事が実現すると思うと恐怖すまいと思っても、ますます恐怖してしまうという悪循環は根本的には解決はしていなかったのである。

 そうこうする内に私は昨日も書いたが、神経を壊し、それが元で宇治の生長の家の道場の榎本恵吾先生の元に導かれ、神の国は今、ここに、我が内にあるという事が分かった。

 それと共に私は自分が生きるのではなくて、神に生かされていると言う事が分かったのである。それまでは自分が生きる、自分がこの自分の心をコントロールして、それで自分の人生を造って行くと思っていたのが、自分なるものは存在せず、自分が生きているのは自分が生きているのではなくて、神がここにあって、自分を生かし、神が私の心も支え、導いて下さっているという事が分かったのである。私や私の心なんてものは存在せず、ただ、神の心がここにあり、それが万物を作り、生かし、私をも生かし、導いている事が分かったのである。それは具体的に言えば、恐怖心が出ても、神がそれを打ち消し、私の心を支えて下さり、私を生かし、私に智恵を与えてくださっていて、どんな問題も神が解決して下さるという事である。

 それが実相独在の悟りである。私は生長の家で心の法則を知ったが故に恐怖する事を恐怖する様になり、それで随分人生で不自由する事があり、能力的に他の人より劣る事も多々あった。しかし、その事がきっかけで真剣に道を求め、その恐怖してしまう自分の心などは存在せず、今、ここに神の心のみがあり、それが吾を生かしている事、別の言い方をすれば、今、自分がそのままで神であるという事を悟る事が出来たのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-06-26 12:59 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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