真理は神が伝えて下さる

 生長の家では伝道が大事であると言われる。それは愛行とも言い、愛行の中で一番尊いのが相手に真理を伝える事、即ち法施であると言われている。何故ならば真理こそが相手の魂を解放し、様々な災厄例えば病苦その他の人生苦から人を救うものであるからである。だから、キリストは「真理は汝を自由ならしめん」と仰ったのである。

 私は生長の家は特定の宗教ではなくて、あらゆる宗教を共通して流れる宇宙の真理であり、久遠の生命の働き、運動であるから、誰にも伝えていいものであるし、又、こんな究極の素晴らしい真理を伝えないという事は本当に罪な事であると思っていた。
 だからこの生長の家を伝えるという事はこれを先に知ったものの義務であり、努めであると思っていたのである。そして、これを伝えられれば、その人が救われる事が分かっているので、一人でも多くの人、特に病気とかで苦しんでいる人に対して、伝えなくてはならないという非常に強い気持ちがあった。
 それで私は生長の家の組織活動以外でもプライベートな付き合い、会社の同僚、親戚に生長の家を伝えないのは罪だ位の気持ちで居て、常にバッグには普及誌を入れて、伝道していた。そして、実際、知り合いの人とか会社の人で末期癌の人などに生長の家を伝え、感謝された事もある。

 しかし、そうして行く内にとにかく私が生長の家を伝えなくてはならない、私が救わなくてはならないという気持ちがますます強くなり、それに強く衝き動かされてやっていたのでそれを伝えるのが悦びだなんて思ってやって居なかった。
 それこそ本当に義務感ともっとひどい言い方をすれば、強迫観念でやって居たのである。そして、友人とたまに会う機会があったりすると、相手に別れ際にともかくも普及誌とかを押しつける様に渡して来ると一応、安心するのである。そして、その後、その相手に生長の家大講習会に誘ってみるときっぱり「迷惑だ」と強く断られた。

 生長の家ではよく、相手に生長の家を伝えて、断られても諦めないで、又、伝えなさいとかと言われる事もあるが、私の場合は相手を自分が救おう、ともかくも普及誌を相手に押しつけてでも、渡せば、その相手を救わなくてはならないという義務感からは一応、解放されるという感じであったのである。

 それはしかし、完全な間違いである。私はそうした伝道の仕方をして、多くの人から疎まれる様になり、それでそうした人達と自ずと疎遠になって行った。これは伝道、愛行している様で本当の愛が無いからである。そこには相手への真の愛情が無いから、本当に相手からすれば嫌な事であったのである。

 また、本当の愛に基づいた伝道であるならば、それが悦びになるはずである。私は義務感と強迫観念でともかくも機械的に相手に生長の家の本を押しつけて、それで相手からは当然の如く、拒絶され、その後の人間関係も疎遠になって行ったのである。
 そして、私はついに挫折し、その後、宇治の生長の家の道場に導かれ、生長の家は自分ではなくて、神が既に全ての人に伝道済みであるという事を学ぶ事が出来たのである。榎本恵吾先生のお陰である。
 即ち、全ての人はそのままで救われている神そのものであり、何も生長の家で救ってやらなくてもそのままで完全円満なものであったのである。それが相手の実相を拝むという事であり、その事が真に相手に愛情を持つという事である。
 私は宇治から帰ってきて、その事が分かってからは実に世の中には生長の家以外にも立派で素晴らしい人達が存在している事が分かったし、生長の家と同じ様な素晴らしい真理を説いている導師も存在する事が分かった。
 そうした心になって、私は却って、同僚とか友人に心からの思いやりを持って接する事が出来る様になった。そうしたら、以前と違って、人との付き合いの幅がぐっと増えたし、感謝される事も多くなった。
 そして、私はそれらの人達に普及誌を押しつけたりしないで、その時、その場に応じた真理の話を自分の言葉でそれこそ、自ずと神の流れに沿って、話す様になった。そうしたら、それを興味を持って聞いてくれる人が何人も現れ、それで自然に生長の家も出す機会にも恵まれ、生長の家を伝える事が出来る様になったのである。

 私が全ての人はそのままで救われ済みの神であると拝む様になって、伝道は神に全託した所、自ずと自然な形で伝道が出来る様になったのである。これは真理は私ではなくて、神が伝えて下さるという事なのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-07-03 12:36 | 信仰 | Trackback | Comments(5)
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Commented at 2008-07-03 18:00 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by koujihori at 2008-07-04 09:24
シークレットコメント様

 いつも暖かい御言葉有り難う御座います。
Commented by しじみ at 2008-07-04 15:35 x
堀先生
最近、普及誌愛行のことで、へこむことと嬉しいことと両方あり、山あり谷ありしておりました。
まさにこの記事は、私のためのような記事でした。
ありがとうございます。
>私が全ての人はそのままで救われ済みの神であると拝む様になって、伝道は神に全託した所、自ずと自然な形で伝道が出来る様になったのである。これは真理は私ではなくて、神が伝えて下さるという事なのである。

はい!ありがとうございます。

Commented by koujihori at 2008-07-04 16:32
しじみ様

 別に生長の家は強いて、相手に伝えようなんてしなくていいんですよ。でも、相手と話している内に自ずと機会が巡ってきて、生長の家の真理の話をしたくなる事があります。これが我が内の神が真理を伝えて下さるという事であり、既に相手に伝わり済みだから、相手も響いてくれるんです。
Commented by しじみ at 2008-07-04 17:03 x
ありがとうございます。
先日機会が自ずと巡ってくる、そんな体験をいたしました。
これなのですね。
はっきりとわかりました。
響くっていう言葉がぴったりでした。
ありがとうございます。
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