生長の家の生き方が先ではない。

 生長の家の聖典「生命の実相」は全40巻からなり、これは隠れたベストセラーである。その発行から数えて、どれだけの部数が発刊され、読まれたかはちょっと想像出来ない。これは歴代の首相になる様な人物にもよく読まれており、一番有名なのが鳩山一郎元首相である。私は東条英機元首相のお孫さんにもお会いした事があるが、彼女によると東条元首相もこの「生命の実相」を熱心に読んでいたそうである。

 さて、この「生命の実相」であるが、基本となるべき部分は一巻から六巻までで七巻にその真理の行動化をどの様にしたら良いかという事が具体的に書かれており、そして、八巻にはその真理を神想観という瞑想で直接、観じる行について、詳しく書かれている。それでこの七巻である「生活編」が「生命の実相」40巻の中で一番読まれているという事である。私が想像するにこれは難しい信仰哲学的な事を書いているのではなくて、身近な生活法、例えば人の良い所を見て、感謝すべしとか、朝の時間を生かせという風な余り、真理を解してなくても誰にでも手っ取り早く分かり、かつ具体的方策が書かれているから多くの人に読まれているのであると思う。

 しかし、吉田國太郎先生も榎本恵吾先生も真理を探究しようと言う気持ちもなく、手っ取り早く七巻から入るのは感心しないと仰っている。それは願無き行は仏の魔事なりの言葉がある様に同じ相手に感謝するのでも相手が本当に尊いと思って感謝するならそれは心のこもった感謝であるが、ただ形式的に「有り難う御座います」なんて手を合わせていたら、御利益があるだろうなんてのはそれは魂のこもっていない形だけのもので本当ではないからである。

 人間神の子の信仰が先ずあって、それを深く探求して行く内に本当に信仰するとは生活化の事であると言う段になって、初めて、真理の行動化があるのである。
 生長の家の生き方を外形的にのみやって見て、それが業として潜在意識に溜めて行ったら、自分の心が光明化出来て、病気が治ったり、その他の事が良くなるなんて言うのは間違いである。
 生長の家の第七巻に出て来る、生き方、例えば「思い切りよく押し強く勇敢に断行せよ」と言う通り、大胆に行動するから、安心や勇気の心が段々出来るのではない。それは全くの逆である。
 ここに神の大安心があるから、逆に後から大胆が出て来るのである。ここに神の心があり、自分が神であるから、勇気も出るし、又、愛も出て来るのである。そして、そこから生長の家の組織運動も出て来るし、また親に対する孝行も先祖に対する供養も出て来るのである。
 信仰とは先ず、観念の世界で信仰が出来て、それから自ずと後からその表明として、その信仰の行動化が出て来るのである。それが神様は自分で出て来るという事である。
 
堀 浩二
by koujihori | 2008-07-04 13:00 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 三谷文人 at 2008-07-06 22:21 x
 有難うございます

 私は、練成が好きだったので、昔はよく練成に参加したものでした。練成を終えて帰って来た時は、道場での生活をそのまま普段の生活でも続けていこうと思うわけです。気持ちが高揚しているものですから。
 しかし、毎回、三日坊主でしたねぇ。強い意志の力で外形的な生活を維持していこうとしても、やはり自己の内側からの支えが無ければ、そんな生活は崩れる他はありませんね。

 今は特に、生長の家の生き方を自分に強いているわけではなく、朝の時間も十分に生かせておりません。
 でも、例え寝坊しても、神様が良い眠りを与えて下さり、最も良い時間に起こして下さった、と感謝することにしています。
 よく眠れたとか、睡眠中も心臓が働き続けてくれていたとか、そんな当たり前のことが有難いですもんね。
Commented by koujihori at 2008-07-07 09:15
三谷さん

 その悦びが尊いんですよね。何をするから尊いって言う訳じゃなくて。
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