良くしようとしない

 私は先日、面白い経験をした。私は事務の仕事で経理の伝票を書く時、ボールペンではなくて、デスクペンというペンを使っている。デスクペンとは万年筆の様なものだが、万年筆ほど高価ではない。何故これを使っているかと言ったら、経理の伝票を書く時はこのペンを使わなくてはならないと私の上司から教わったからそうしているのであるがこれが最近はスムーズに書けるものが中々無く、よくかすれるのである。最初はたまたま不良品に当たったからかと思って、又、新たなペンを買って使ってみたが、結果は同じである。
 それで最近はペンを造る職人の腕が落ちたのかと思っていた。しかし、習慣的に何となく不自由しながらも使っていたが、ある時、これを使う必要は無いのじゃないかと思った。要するに伝票を書くのに絶対にこのデスクペンじゃないといけないルールなんて勝手に人間が決めたもので、本当に意味がある訳ではないから、もうこのペンを使うのを止めて、ボールペンを使おうと思ったのである。
 それで私のアシスタントの女性にももうそのペンを使うルールは撤廃するから、ボールペンを使おうが自分の判断に任せると私は言った。そうしたらである。今までかすれる事が多くて、上手く書けなかったデスクペンがそれを境にかすれる事無く、スムーズに書ける様になったのである。
 私は皮肉なものだと思ったが、実際にはそれまでよりちょっとペンを寝かせて書くとかすれる事無くスムーズに書けると分かったのである。私は元々はボールペンよりこのデスクペンの方が好きなので、上手く書ける様になったからにはこのデスクペンをいまだに使っているのである。
 私が何としてもこのデスクペンで上手く書かなくてはならないと思っていた時は上手く書けなかったが、もうこのデスクペンで書く必要が無いと肩の力が抜けたら途端に上手く書ける様になったのである。

 吾々はとかく、こうでなくてはならないと思う事がある。スポーツの試合には勝たなくてはならぬ、試験には合格せねばならぬ、会社はどうしても利益を出さなくてはならぬ、相手には良く思われなくてはならぬ、決して恥をかいてはならぬ等々。しかし、そう思えば思うほど、却って、ものごとは駄目になって行くのである。

 よく経験があるのが捜し物を探している時、無い、無いと思って、焦って探していると出て来ないが、もう諦めて、探すのを止めた時、ふと見つかるという事がある。要するに吾々は一つの型を作って、絶対こうでなくてはならぬと思っていると却って、それが得られないのである。どうなろうと全て良しとして、神様に全託した時、全ての結果を受け入れる気になった時、却って、全てが浮かばれるのである。
 それは恐怖心が無くなるからである。恐怖心とは何としてもこうでありたいと特定の自分勝手な型をつかみ、それに執着する心である。それはそうでない状態になる事を恐怖しているのである。恐怖しているから却って、それを引きつけ、その恐怖した通り、駄目になるのである。吾々が神様に全託して、全ての結果を受け入れる心になった時、執着と恐怖が消え、全てが浮かばれる。

堀 浩二
by koujihori | 2008-07-07 12:29 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://joyfulness.exblog.jp/tb/8234465
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 良くしようとしない(2) 生長の家の生き方が先ではない。 >>