真理の生活化は難しい?

 吾々は生長の家の真理を頭脳的把握だけでなくその真理の行動化、生活化が大事であると教えられている。
 
 しかし、この生長の家の真理の生活化というのがこれが実際、中々難しい。何故ならば、「取り越し苦労するな」と言う教えがあるが、これは取り越し苦労は百害あって一利なしと頭では分かっているもののそれをすまいと思ってもそう思えば思う程、してしまうのである。それはこの宇宙が全知全能の神によって、完全に運行されているという事を信じる事が出来ず、それに全託し切れないからであると聖典「生命の実相」生活編には書かれている。
 また、「思い切りよく押し強く勇敢に断行せよ」という教えもいざとなると勇気が出ずにものおじしてしまうという事がある。要するに「分かっちゃいるけど止められない、又は出来ない」というのが多くの人の実感ではないだろうか?

 しかし、それは何故、出来ないかと言ったら我(が)が無理矢理やろうとしているからである。我(が)というものはその存在を神に根ざしたものではないから、何の力も無いのである。我(が)が空回りする事はあるが、実質的な事は何も出来はしない。

 真理の生活化というのは我(が)ではなくて、我が内の神が直接、内側から出て来て初めて可能である。それが吾が業(わざ)は吾が為すにあらず、天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)と言う招神歌の言葉になっているのである。

 それは具体的に言うと自分の中にそのままで完全円満で無限力なる神を発見する事が同時に神の御力が具体的に発現するという事である。自分に今、無限力があると分かれば、それをすぐに使えるからである。
 
 自分が今、完全円満であると自覚する事が同時に無限生長の道であり、悟りが更に深まる事であり、思い切り良く、勇敢に行動する事であり、全託の生き方である。即ち、生長の家の生き方は自己が今、完全円満であるという自覚のある所、自ずと出来るのである。それは我(が)が頑張ってやるのではない。我が内の神が御自分で出て来て、自ら神するのである。

 そして、吾等は皆、本質は神そのもの、悟りそのものであるから、それぞれの人生経験を通して、必ず自己の生命の実相を自ずと悟る事が出来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-07-24 13:00 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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