他力

 作家の五木寛之の本で「他力」という本がある。氏によるともうこれからは他力でなければ救われないと言うのである。氏は特別な宗教を信仰している訳ではないと言うが、信仰という事に対するその洞察力は誠に目を見張るものがあると私は思う。
 他力という言葉は他力本願という言葉で言われる様に余り良い印象が無いかも知れない。また、生長の家では一切の責任は我が内にありという自覚の大切さを説くから、他力本願などという考え方とは相容れない様にも見える。
 しかし、究極の真理は他力という事である。他力の反対は自力という事であるが、自力というものは我(が)の力の事であり、私が、オレが偉いのだ、オレ様がやってやるのだという心であり、そこには生かされているという感謝は無い。
 生長の家は「吾が業(わざ)は吾が為すに非ず、天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)」という招神歌に表されている事がその神髄である。自分が生きられたり、何か出来るのは自分が偉いのでも無ければ、頑張っている訳でも無い。ただひたすら宇宙に遍満している始めから完全円満の神に生かされ、幸はえられているからであり、だからこそそこに感謝があるのであり、従って、吾々はただ感謝、ただ悦びのみの状態がそのままの状態である。それが神の子の本質というものである。

 他力というのは自他の区別がある上の他力ではなく、自力なるものは本来存在しない虚のものであって、存在するのは宇宙に遍満している実相なる神である絶対他力である。
 その絶対他力によって吾等は生かされているのであり、全ての導きも与えられる。だから、他力と言うことは真理であり、とても大切な事なのである。それは吾々の生長も真理の実践も悟りも自分の力ではなく、神の御力により為されるという事である。 

 だから、心配する事は無い。問題は神が解決して下さる。人とは神が調和させて下さる。健康は神が回復させて下さる。元気は神が下さる。吾等はただ、神なる絶対他力に委ねておれば良いのである。私は要らない。

堀 浩二
by koujihori | 2008-07-28 12:26 | 信仰 | Trackback | Comments(4)
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Commented by ナオチャン at 2008-07-29 01:08 x
ハイ・ナオチャンです。時間と暇があったらハチベェにいきましょ。できれば倅殿もゴイショで。ただし火曜日・木曜日・土曜日は人工透析の日なのでご遠慮させていただきます。あと、時間が遅くなると電車なくなるので泊まる場所を確保しないと(笑)。特に10時以降!下りはいくらでもあるけれど上りは・・文庫か新町止まり、それでは帰れない(爆)。それじゃ駄目じゃん(笑)。ついでに三谷さんも誘って楽しくやりましょうか?!。
Commented at 2008-07-29 09:35 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 三谷文人 at 2008-07-29 22:40 x
 ナオチャン

 ぜひ、行きましょう。その日は、始発で帰るとかは?
Commented by koujihori at 2008-07-30 08:52
シークレットコメント様

 そうですね。仰る通りが生長の家ですね。ただ、有り難しですね。
 
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