実相は自分で出て来る(15)

 実相は自分で出て来るという事はここでも随分と述べてきた。何回も申し上げるがこれは私が信仰的に行き詰まった時、榎本恵吾先生に薫陶を頂いて、「実相は自分で出て来る」という事を教えて頂いたのだった。それまでの私は何とかして私が、自分が実相を引き出さなくてはならんのだと心がガチガチになっていて、神様に全託の心を完全に忘れていたから、神への無条件の感謝などなく、その結果、心の平和が無かったのである。
 
 そんな生活を続けていて、挙げ句の果て、夜は全く眠れない、常に精神的に強迫観念がつきまとうというさながら生き地獄の様になったのだが、その時、病院でつけられた病名が自律神経機能障害というものであった。
 即ち自律神経という人間を内側から自動的に生かしている神経の機能に障害があるという事であるが、その病名の表す所は今から考えてみると中々、面白いし、興味深い。
 それは何故かと言うと自律神経というのは音読みだとジリツシンケイと読むが訓読みだと「自ずから律する神の径(みち)」という風に読む事が出来る。即ち自律神経とは内側から自ずから律する神の全宇宙に満ちている所の働きという事である。それが機能障害を起こしているという事はそれまでの私の長年の迷いを如実に表しているのである。

 即ち、私は私の中に存在する自ずから生かす、律する所の全宇宙に満ち満ちている神の働きを信用せず、観ようとせず、私が生きるのだ、私がやるのだ、私が救うのだとガチガチになっていたからである。そうした「私が」という神の生かしを観ようともしない、感謝しようともしない心が長年蓄積して、ついに私の肉体に自律神経の機能に障害が現れるという自律神経機能障害という症状が現れたのである。

 しかし、長い目で見ると人生、何が起ころうと全て良き事であって、当時は私はそれこそ生き地獄の様な状態で約一年間過ごしたが、その事がきっかけで私は宇治の生長の家の道場の榎本先生の元に導かれ、それこそ「自ずから律する神の径(みち)」、即ち「実相(神)は自分で出て来る(自ずから律する)」という生長の家の神髄を学ぶ事が出来たのである。
 そして、それから現在に至るまで色々の紆余曲折や試練はあるが、根本的には常楽の状態が続いているのである。
 だから、私は最初は苦しかったが、それこそが私の中の実相が自分で出て来た、その過程である。即ち、この人生は実相が自分で出て来る事しか無いのである。

 ちょっと前置きが長くなってしまったが、この様に吾々は何かをする、生きる等々の全ての活動が私が頑張ってやれているのではなく、内側から神により百%やらせて頂いているのであり、生かされているのである。人とのコミュニケーションも何かの能力を発揮するのも、今何をどうしたら良いかという事が分かるのも全て神に生かされ、導かれ、力を与えられて初めて可能である。
 それが実相(神)は自分で出て来るという事であり、それが信じられないという迷いが全ての恐怖や不安の元である。宇宙に満ちた神に全面的に生かされ、導かれ、守られ、全ての力を与えられているという事を信じられず、自分がやらなくてはならない、自分が生きなくてはならないという迷いほど、苦しいものは無い。

 実相は自分で出て来るという事はこれから出て来ますという事も言えるが厳密に言うとそうではなく、実相は今、正に自分で出て来て、吾等を生かし、導き、力を与えて下さっているのである。そして、それは無限生長であるが故に今より更にもっと無限生長して、実相がより出て来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-08-11 12:36 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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