恐怖心の強い人

 生長の家で人間の実相は神の子、完全円満、無限力であると教えられ、その実相を現象世界や現象人間に持ち来す為には心のレンズを真っ直ぐなものにし、実相を悟らなくてはならないと教えられる。その為に生長の家の人は自分の心を清め、歪みを取り、実相の完全円満な世界を観ようとする。
しかし、そうして自分の心を大安心の状態にし、恐怖心を無くし、実相を悟り、心のレンズを真っ直ぐにすれば良いのは分かっているのだが、中々それが一筋縄では行かないのである。恐怖するな、恐怖心が一番良くないと言われても頭では分かっているが、そう思えば思うほど恐怖してしまうのである。これこれこういう行をしなくてはならないと分かってはいても、どうしてもそれが出来ないのである。要するに実相を観て、大安心の状態に達すれば、実相が顕現すると分かっていても、どうしてもその鍵となる自分の心が迷ったり、恐怖してしまうのを抑える事が出来ないのである。

 そうなると自分は元々恐怖心の強い人間、迷いの強い人間であるから、実相円満完全を悟れない、他の人は順調に生長の家を信仰し、自分が完全円満の神の子であると分かり、心の平和が得られ、そして、生長の家の行も活動もきちんと出来るが自分は煩悩が強くて心も弱いから生長の家をする才能が無い、自分は駄目だ、落伍者だなんて思うのである。その典型が正に昔の私であったのである。
 私は聖典「生命の実相」生活編に出ていた「取り越し苦労するなかれ」の部分がどうしても実行出来ず、取り越し苦労は一番悪いなんて分かってはいたが、そう思えば思うほど取り越し苦労してしまうのであった。
 私は自分を元々恐怖心の強い駄目な人間であると思わざるを得なかった。しかし、そうではなかった。私は素晴らしい大安心の光の子であったのである。

 元々、恐怖心の強い、不完全な人間なんて居ないのである。そんな不完全な人間は神様がお造りになってはいないのである。
 恐怖心が強いのは大安心が出て来る為である。私は非常に素晴らしい明るく強い心の持ち主であったればこそ人一倍恐怖心、取り越し苦労の強い人間であったのである。そこから、立ち上がって、それを克服して、大安心の悟りを表現する為にその基礎工事として一時、恐怖心が強いという状態であったのである。誠にも「迷いは悟りの基礎工事」である。

堀 浩二
by koujihori | 2008-08-12 12:41 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(2)
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Commented by ふじおか at 2008-08-13 18:52 x
 迷いは悟りの基礎工事  なるほど という想いです
 私も恐怖心が強くてつい最悪の事態を想定してしまう性格なので生命の実相7巻のこのテーマはわかっていても中々思うようにいきせんでした。
 でも善一元の世界を信じたとへ悪い事態になったとしてもそれは必ず自分にとって神が与えてくれた善である。
 人生に無駄なものはない。
というふうに思うとすごく楽な心になりました。
 安心、平和な心は何にも代えがたい幸福だと思います。
 私達は今後も悦びと賛嘆の言葉で幸福な人生をすごしたいですね。


Commented by koujihori at 2008-08-14 09:16
ふじおかさん

 「迷いは悟りの基礎工事」というのは私の造語ではありません。雅春先生著「神、真理を告げ給う」の中に出てきます。
 
 私は求道する中でけっこう大変な時期もありましたが、それ全て、私の中の実相が自分で出てくる際の基礎工事というか初期段階だと言う事が今になって良く分かります。

 本当にふじおかさんの仰る通り、人生に無駄なものは無いです。

 ところで私は何故、取り越し苦労しなくなったかと言えば、やはり、この世界は善なる神しか無いと分かったからです。それが具体的には全ての経験は表面的には悪に見えるかも知れないが長い目で見れば、全て善であったと分かった時です。
 それと自分の心とか行動が自分のものだ、自分のものだと思って、それを良くしなくちゃならんって思っていた時はどうしても上手くそれを制御出来ませんでしたが、自分の心とか行動だと思っていたのは実は神の心であり、行動であった、自分はナカッタと分かった時、やはり、そのままで良いと分かり、大安心しました。
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