セックスについて

 私は実を言うと女性が大好きである。私の行っていた立教大学という大学は半数以上が女性であり、私は入学したら彼女を是非作るぞとそんな事ばかり考えている様な典型的な軟派大学生であった。

 しかし、その後、生長の家を深く勉強し、男女の恋愛というのは本来一つの魂の半身同士がこの世で再び巡り会って一緒になる結婚の為にあるのであって、決して肉欲の為にあるのではないと思う様になり、29歳の時に現在の妻と結婚し、お陰様で今年、結婚20年である。

 ちょっと前までは私は生長の家の信仰通り、本当の男女の深い愛は夫婦間にのみにおいて存在するのであり、セックスというものはその夫婦間においてのみ赦されるのであり、夫婦でない男女のセックスというものは間違った行為であるという単純な思考で生きてきた。
 しかし、私はこの歳になって、自分の周りの社会を見るにつけ、実際の世間とか社会というものはそんな単純なものではないなと思う様になって来た。実際の社会では夫婦は結婚何十年も経てば、お互い何となく空気の様な存在になって来て、それぞれの興味の対象が異なって来て、意識のすれ違いも出てきたりして、そのそれぞれのつきあいの中でお互いまたそれぞれ気のあった異性のパートナーが出てきたりすると実際、心が揺らぐ事は事実上あるのではないかと思う様になった。
 私自身も生長の家以外にも実に多くのつきあいがあり、そうした中で色々な女性と知り合う事が多いが、本音を言うと浮気とか不倫をしてみたいと思う事がたまに頭をかすめる事があるし、世間で騒がれているタレントの山本モナとジャイアンツの二岡の不倫騒動など見るに付け、あんな事は世間ではザラにある事で彼らはたまたま有名人でフライデーされてしまったに過ぎないなあーなんて思ったりもした。
 私の友人は私が夫婦の操を立てる事が大事だなんて言うと鼻で笑って、そんな事は実際の世間では通用しないなんて言うし、前述の様に私自身は人一倍女性が好きなので余り理屈っぽい事は抜きにして世間の人がやっている様に適当に楽しむ事もありかなとかちらちら思う様になっていたのも事実である。

 しかし、それはやはり違うのである。セックスの欲望というのは肉につくものであって、実相の悦びそのものではない。非実在のものである。だから、それに引きずられる者は肉の支配下にあるのであって、霊の主権を放棄した者である。
 しかし、セックスの欲望や能力は神から来るのである。神の生命力がその表現体である肉体が何代も存続する様に与えた生命力の一種の現れが性欲であり、性の能力である。しかし、それはあくまで現れであって、神そのものではない。現れの方の肉欲や性欲や肉体がアルと思って、それに執着したり、引きずられるのは迷いというものである。

 そして、その性欲や肉体は神の知恵の働きによって、あるべき場所で本来の相手と満たす様であれば、それは汚い行いではなく、神の生みの働きの具象化という事になるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-08-14 13:00 | 信仰 | Trackback(2) | Comments(2)
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Tracked from Percocet. at 2008-12-16 17:21
タイトル : Percocet.
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Tracked from Soma side ef.. at 2009-04-29 11:37
タイトル : Soma.
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Commented by yutaka★hajime♪ at 2008-08-18 21:23 x
ご結婚20周年おめでとうございます☆
Commented by koujihori at 2008-08-19 09:11
yutaka★hajime♪様

 有り難う御座います。
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