私の人生は私の人生ではなくて、神の人生である。

 吾々は神の子である。そして、今ここ神の国である。しかし、それは現象の事ではない。現象は存在せず、それは吾等の心の影であり映しである。要するに吾等は自分の認識の世界に住んでいるのである。そして、吾等がこの世界及び自分を如何に認識するかが自分の周囲を取り巻く現象世界が如何なるものとなるかが決まってくる。
 この世界が神の国で完全円満の世界であると吾等が認識すれば、その認識通りの世界が自分の周りに展開する。そして、それは現在だけではなくて現在過去未来全てに於いて展開するのである。それは具体的にどういう事になるかと言うと自分が神であり、今、ここが神の国であり、完全円満の世界であり、一つも矛盾も間違いも無い世界であると悟る事が出来ると自分の今まで歩んできた道が全て神に導かれた完全な歩みであって、一つも間違いが無かったという事が自ずと分かるのである。
 反対に自分の自覚が幼くて、自分は完全円満の神の子ではなくて、不完全な罪深い肉の子であるという認識しか無ければ、現在の自分や自分の運命ばかりか過去の自分の歩みが如何に間違ったものであって、多くの罪を犯して来た実に不完全なものであるかという風に感じられる。そして、後悔と罪の意識で一杯になり、心がさいなまれるのである。そういう状態を心のレンズの歪みというのである。
 即ち吾々は今、何の間違いもない完全円満の世界に生かされ、自分の過去も全て、自分が生きてきたのではなく、神に生かされていた完全円満の何の間違いもない道のりであるに拘わらずそれを認識する自分の心のレンズに歪みがあると本来完璧な人生が実に不完全な間違いだらけの人生に映るのである。

 自分の人生は自分で生きているのではない。神に生かされた神の生である。それを念ずるからそうなるのではない。吾等は一度たりとも神に生かされ、導かれなかった時などないのである。自分の人生はそのままで神の生であり、一つも間違いも罪も無い人生である。何度も言うが実相を自覚すれば自分の心のレンズが真っ直ぐになり、自己の人生がそのままで神生であった事が分かる。

堀 浩二
by koujihori | 2008-08-19 13:15 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://joyfulness.exblog.jp/tb/8471541
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented at 2008-08-19 21:50 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by koujihori at 2008-08-21 09:19
シークレットコメント様

 いつも有り難う御座います。吾々は何時如何なる時も神に生かされていたんですよね。一つも修正もやり直しも要らないですね。
<< 努力とか修行の意味 吾等は今、このままで完全円満、... >>