吾等は今、このままで完全円満、無限力である。(2)

 生長の家の信仰をしていると何か自分に問題がある場合、その信仰で自分の問題を解決しよう、良くしようと思いがちである。しかし、そこが落とし穴である。問題というのは具体的な存在ではなくて、自己の心の映しである。如何なる具体的な問題に映ろうともそれは何等具体性も無く、従って、自己を脅かす力も何も無いのである。それを大抵の人はこれが問題だ、問題だ、この問題さえ片付けば、自分は完璧になれる、その時こそ、全力を尽くしましょう、人様のお役に立たせて頂きましょうなんて悶々と思っているのである。

 しかし、それは何も具体性が無く、自己が勝手にこの世には問題アリと自己限定する心のつかみが問題を映し出し、あたかも自分を困らせ、悩ませる具体的な問題がある様に感じられているだけである。何故なら、この世界には心の法則という厳然とした法則があり、自己の認識が映っている世界であるからである。その自己が勝手に想像した問題を何とか解決いたしましょうとして、信仰するのは問題を解決するには逆効果である。何故なら、問題を解決しようとした途端、本来有りもしない問題を自己の心がつかむからである。つかんだら、心の法則が働いて、いくら努力しても問題が消えないのである。それは何かのきっかけで自分の心の対象が変わるとその問題が別のものに移行する場合がある。それで悩みは尽きないなんて本人は嘆息するが、そうした悩みが具体的に存在するのではなくて、自己が勝手に心を引っ掛からせ、問題を現象世界に映しているだけである。

 信仰で問題を解決しようとして、信仰生活や何らかの宗教的行をするものはそういう訳でいくらやっても否、逆にそうした信仰をすればするほど、問題アリの心の反映で問題は消えないのである。

 吾等はこのままで完全円満である。今、そのままで不完全な現象はナイのである。問題はナイのである。そんなものはナイとして、心を引っ掛からせず、今、自分は完全円満である神の子と自覚して、自分に出来る事、自分のやるべき事に全力で力を傾注すれば良いのである。

堀 浩二」
by koujihori | 2008-08-25 12:58 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by e_sophy at 2008-08-25 23:15
奇遇です~

昨晩布団に入った後、何回も「むー、眠れない」と憤って
起きては聖典を読み、床に入ってはまた起きてを繰り返していたわが夫。
会社の人間関係でかなり参っていた様子。

ところが今日、先に帰宅していた夫が私を迎えるなり目をきらきら輝かせて
「sophy! 悩みなんかないんだよ。迷いなんて無いんだ!!」ですって。
続けて「お前、迷いがどこから来るかしってるか?」っていうから
「えっ?・・・そうねぇ、どこからも来ないんじゃない?」っていったら
「おおっ!?そうだよ、お前よく知ってんな」ってさらにニコニコ。
読んでいた本にずばりのことが書いてあったらしくすっかりご機嫌になってました。
やっぱり「迷い」なんて無いんですね^^
Commented by koujihori at 2008-08-26 09:11
sophy様

 コメント有り難う御座いました。そうですか。ダーリンさん、悩んでおられたのですか。職場での人間関係でね。これは難しい問題ですね。でも、その悩みが晴れて良かったですね。まあ、迷いは悟りの基礎工事ですから、悩まれていたのもダーリンさんの悟りが出て来る為の初期段階でしたね。

 この世は自分が生きていると思うと苦しいし、悩みと後悔だらけになります。自分ではなくて、神に生かされているんですよね。だから、人間関係も神様が良くして下さいます。
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