本当の愛行

 人間は自分と世界が既に救われていて、そのままでよいと分かると生命が悦び出し、他に心のこもった愛行が出来る。その悦びは安心して、自己の勉強や訓練や趣味に打ち込める事であり、それは又、他の為に自己の力で貢献したい、その為に勉強したいという心でもあるのである。
 即ち、他がまだ救われていなくて、自分は勉強とか趣味をやっている時間など無いと思っている心は実は真の愛ではないのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-08-28 12:43 | 信仰 | Trackback | Comments(4)
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Commented by シコク嫁 at 2008-08-28 20:47 x
>>自分は勉強とか趣味をやっている時間など無いと思っている心は実は真の愛ではないのである。。。
また、今日は短いけれど、いきなりストライク、ど真ん中にきました。
そうか〜〜そうだ〜〜そうだった〜〜〜と実感しております。

近くの道場の早朝神想観に参加しはじめてから、迷い、焦り、不安が全くなくなりました。以前は「仕事もやらなきゃ、光明化運動もやらなきゃ、主人のケアもあるし・・でも、体はひとつだし、どうしていいのかわからない!」という心境だったのですが、今は、その時その時に、自分にとって必要な事、行事が自然に分かるようになってまいりました。
楽です。字の通り、極楽です。大海原に大安心でプカプカ浮かんでいる気分〜これが堀さまのおっしゃっていたことなのかなぁ〜と嬉しく思っています。

追伸、女子柔道の塚田選手、爽やかでしたね。ステキでした。
Commented by koujihori at 2008-08-29 09:14
シコク嫁様

 コメント有り難う御座います。僕の言いたい事を分かって下さって有り難う御座いました。

 僕はかつて、この事で死ぬ程、悩みました。「私が、オレがやらなくちゃいけない」とがんじがらめになっておりました。しかし、それで行き詰まって、宇治に導かれて、自分が生きているのは自分ではない、神に生かされているんだと榎本先生の薫陶により、気が付く事が出来ました。それ以来、肩の力が抜け、全ては神様が既にやって下さっている。実相も神様自ら出て来る、光明化運動も、仕事も神様がやって下さっていると分かり、それこそ小躍りして悦びました。そうしたら、以前よりずっと周りの事に気が行く様になったし、仕事も光明化運動も意欲と創意工夫が出て、以前より数百倍は出来る様になりました。これは自分じゃなくて、神様がやって下さっているんですね。講話もそうですよ。
Commented by ゆきえ at 2008-08-29 22:59 x
 >人間は自分と世界が既に救われていて、そのままでよいと分かると生命が悦び出し、他に心のこもった愛行が出来る。


まさに今、この言葉そのものの生き方になっています。うれしさは深まるばかり、喜びも増すばかりです。 神様って、本当に素敵です。誰にあっても、どんなことがあっても、愛おしい。 神様は愛そのものだからですね。 うれしいです♪
Commented by koujihori at 2008-09-01 09:10
ゆきえ様

 ゆきえさんは本当に内側からの心のこもった神様の愛行が出来ているんですね。
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