良くしようとしなくてよい(2)

 吾々は現在の自分に不足や欠点を感じ、より良くなりたいと思う事がある。それは吾々の中に完全円満の神の生命が宿っているから、そうした欲求が出て来るのであるが、吾々は今、そのままで完全円満なのである。不完全な現象はナイのである。完全円満の実相生命のみが今、ここにある。それなのに自分の欠点とか短所を見つめて、それを良くしよう、良くしようなんてしない事である。

 現在の自分は今、このままで神であり、完全円満であり、無限智であり、無限健康であり、無限力である。現象はナイのである。それは単に自分の現在の自分に対する認識が映っているだけである。

 これから何らかの自分の欠点とか短所を良くしようとか、自分が何かを失敗した事で駄目になったのではないか、天国に至る道から足を踏み外したのではないかなんて疑うのは自分が今、このままで神の国に既に住んでいる所の完全円満なる神であるという事を忘れた心である。

堀 浩二
by koujihori | 2008-09-02 12:34 | 信仰 | Trackback | Comments(5)
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Commented at 2008-09-03 15:31 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by koujihori at 2008-09-03 22:28
シークレットコメント様

 初コメント有り難う御座います。これからも気軽にコメント下さい。
 
 ところでお悩みの事、分かりました。でも、真理って色々な顕れ方をしますから、相手の暗黒面を観ないっていう事にもとらわれると足をすくわれます。真理は無限であり、無形ですが顕れ方は限られた形になります。吾々の本体は神ですから無限であり、無形であり、人事処に応じて縦横無尽の働きを致します。
 だから、日時計主義もその無限の真理の顕れ方の一つですがこれにもとらわれると生命の自由を失ってしまいます。キリストは神殿で鳩を売って金儲けをした連中を断固として鞭で追い払ったと伝えられています。相手は神の子だから一切の相手の間違いを指摘せず、それで唯々諾々していれば間違った事をしている人間をいさめることも追い払う事も出来ません。

 真理の一つ一つの現れにとらわれてはなりません。真理の中心であり本体を吾がものにしなければなりません。その上で人事処に応じて、賛嘆する事もあれば、間違った事をしている輩に対してはきちんとこれを批判も出来なくてはなりませんし、暴漢が襲ってきたら断固としてこれを撃退しなければなりません。
Commented by koujihori at 2008-09-04 17:23
シークレットコメント様

 中国首脳に対しては雅宣先生もつい最近、ちょっと批判めいた事をお書きになっていました。特にチベット問題には触れてませんでしたけど。

 中国に関してですが、私は余り、批判が過度になるのは良くない事だと思っています。北京オリンピックでもかなり、マスコミが色々な批判をしていましたよね、開会式が口バクだの、花火がCGだのと。確かに中国のやっていることは褒められない事は沢山あると思いますが、現在の日本のマスコミを中心とした雰囲気は鬼畜米英ならぬ、鬼畜中国になっているのではないでしょうか?これは戦争準備の心だと思います。現象と言うのは先ず心で作られる訳ですから。批判すべき事は批判はしなくてはなりませんがそれが国家自体を否定する様な所まで行くと危険だと思います。
Commented at 2008-09-05 10:18 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by koujihori at 2008-09-05 14:08
シークレットコメント様

 あなたはそのままで神ですから、敢えて神様にお預けしようなんてしなくてもそのままで良いんですよ。
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