他の人の天分をうらやむな

  生長の家の教えに「他の人の天分をうらやむな」というのがある。私は長い間、この事の意味が分かった様な分からない様な気持ちであった。
 何故なら、人間神の子無限力であるという事はスポーツの才能も、芸術の才能も、科学技術の才能も、文学の才能もその才能には限定が無いのであって、全てのものごとの才能を備えているのが神の子人間無限力であるという事であろうと思っていたからである。実際、谷口清超先生の御講話でも「人間にはあらゆる才能が宿っていて、それを全て開発する為に何回も生まれ変わって、人生学校で学ぶのである。」というお話もある。

 しかし、最近、私はこの事の意味が分かって来たのである。と言うのはこの事について私自身に関しての長所、個性というのが最近、何となく分かって来たからである。
 私は子供の頃からスポーツよりも絵とか粘土細工などに毎日親しんでいたのでスポーツより芸術的な事の方が優れているのかと思っていたが、二十歳を過ぎてから、テニスとか野球とかをやり出して、現在は芸術的な事は殆どやらず、もっぱらテニスなどのスポーツの能力開発にいそしんでいるが、最近は大部、色々と分かって来た部分もあるが、以前は本当に芽が出ず、成績が上げられず、かなり苦労した。だから、自分に向かないスポーツはいっそ止めて、絵とか彫塑を再開しようかなんて考えた事もあるが、どうしてもそれをやる気になれず、やはり、テニスとか英会話に集中して力を注いでいるのである。
 要するに私の場合はスポーツより芸術に向いているなどと言うそんな単純なものではなかった様である。というのは私は球技に全然親しんでいなかった訳でもなく、家に卓球台があったので幼い頃から卓球に親しんでいて、何かの道具でボールを打つという事に関しては私は割合、秀でてはいたのであり、だから、テニスとか野球もやろうという気にもなったのである。
 私の個性とか天分というのはそれは私が今、生きているその通りの生き方が私ならではの個性であったのである。即ち、テニスなどのスポーツや英会話を一所懸命にやりつつ、それが真の悦びの信仰を深め、その中で得られた信仰の悦びを他の人に伝え、寄与するのが私の個性であり、天分であると思うのである。

 神の子として、皆同じ、無限力を持っていても、その働きと使命によって、顕れ方、展開の仕方が各々異なるのである。それをそれぞれの個性とか天分と言うのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-09-10 12:32 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(0)
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