他人からの評価

 良く世間一般では自分の自分に対する評価というものは独りよがりなものであって、他人からの評価という事が客観的で正しいと言う事が言われている。
 従って、自分の本当の姿というのは自分では分からず、他人からどう映るかという事が本当の自分の姿であるという考えが一般的であろうと思う。私もずうっとその考えで来ていた。だから、他人の自分に対する評価というものが非常に気に掛かるのである。特に私などは異性からの評価は一層、気になる所であった。男同士では社会的な成功とかが気になる所だろう。
 
 誰でもそうであろうが人から侮辱されたり、低く見られると屈辱を感じたり、憤りを感じるものである。前回の記事でも書いたが私は先日、テニススクールで若いコーチからかなりの侮辱を受けた気がした。というのは丁度、その時は生徒が六人いたのだが、そのコーチは動きのいいグループ、普通のグループ、悪いグループを分けてレッスンするとあからさまに言い、六人は二人ずつの三つのグループに分けられて、レッスンを行ったが、私は動きの悪いグループに入れられたのである。
 私ははっきり言って、メタボ体型であるので確かに体は重いが、それでも非常に嫌な想いをした。

 それでその晩は幾分、やけ酒気味の酒を飲んで寝たが、寝覚めは悪かった。私はメタボ体型の上、以前、自律神経を多少故障していた為、運動機能や持久力が完全に戻っては居ないと思う。しかし、私はそんな事は問題にしないで全力を尽くしているので最近の私のテニスの実力の向上ぶりはテニスクラブではある程度、認められて来ており、自分でも自信があった。
 私は半年ほど前、腰痛で満足にレッスンが出来なかった事があり、それ以来、このコーチは私に対してだけ甘い球を出す様になったのだが、その後、私は腰痛は治り、かつテニスの実力も大部向上していると思うが、テニススクールでは試合は数ゲームしかしないので、このコーチは私の変わり方に気が付いていないのだと思う。

 要するに自分の事は自分が一番分かるのである。他人というのは以前持った先入観とかその人の個人的偏見とか色々な心のレンズで持って、人を見ているからである。だから、他人から自分がどう思われているかなど全く問題にしなくて良いのである。
 他人からどう思われようと自分の中に完全円満の神を自覚し、それが全力で現れて来ていれば良いのであり、その事が一番分かるのは自分自身である。その事が分かれば、他人からどう思われようと何を言われようと全く問題にしなくて良いのである。 

堀 浩二
by koujihori | 2008-09-25 13:43 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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