吾等の心は実相の心から自ずと良くなる

 生長の家では実相は完全円満でもそれが現象に出て来る為には心を清めなくてはならないと説く。それで心を清める為に色々と祈ったり、良き言葉を使ったり、表情を明るいものにしようと言う事も説く。しかし、それはあくまで教えの入口、言わば初心者向けの教えである。本当の行とか心の向きというのは内なる神が神するものでなくてはならない。先祖供養が大事だと言って、それをしなければ先祖が迷って、色々と子孫に迷いの念を送るから先祖供養しようなんてのも間違いである。
 吾等は神想観するのは内なる神が神する神想観でなくてはならないし、先祖供養も感謝の心が自ずと内側から湧き上がって来た結果、自ずと為されるものでなくてはならない。人に愛行を施すのでも良き業を積む為にやるのではなく、ただ相手を生かしたい、良くして上げたいという内なる神が神する愛行でなくてはならないのである。

 実相独在という事が実相独在の悟りとなり、それで自ずと心が明るくなり、良き言葉も出て来る。心のレンズが真っ直ぐになり、歪みが無くなるのは実相独在という真理から自ずと出て来る事なのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-10-08 12:28 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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