他力

 「他力」という五木寛之の本がある。これからはこの他力でなくては救われないと言うのである。この他力というのは自力の反対の事である。自力というのは文字通り自分の力の事であり、他力は他の力の事である。吾々は言うなればこの他力に生かされているのである。他力というと他力本願という言葉があるから余りいいイメージを持っていない人が多いと思うが、それは招神歌の「吾が生くるは吾が力ならず天地をつらぬきて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)」の事である。吾等を生かして下さる神の御力の事なのである。それに全面的にお任せする生き方を全託の生き方と言うのである。生長の家は正にこの全託の生き方であり、言うなれば他力の生き方なのである。

 従って、どんな恐ろしい事が出て来てもどうという事は無い。それらは所詮、非実在であり、神が消して下さるからである。
 救いの本質は神がどんな事も解決して下さるという事を悟るという事である。それが分からないと自分で問題を解決しなくてはならないと想い、それが悩みとなり、その悩みが問題を映し出すのである。その全知全能の神を内に見出す信仰が本当の信仰であり、それが生長の家の神髄である。

堀 浩二
by koujihori | 2008-10-09 12:19 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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