困難に戯れよ

 「困難に戯れよ」というのが生長の家の教えである。生長の家の生活はその信仰によって、困難も何もない安楽な人生を送りましょうという生き方ではなくて、困難が出て来てもそれを徒に避けたりしないでそれに立ち向かいかつ戯れる生き方であるとは生長の家の教えの通りである。

 吾等は無限力を内に秘めている。そして、その力は無限力であるが故に自分で出たがっているのである。その為にある魂はわざわざ不自由な肉体を選んで生まれて来る事もある。それはその人の魂が高いが故に急速な魂の進化を欲して、わざわざ不自由な肉体を選んで生まれて来るのである。それを生長の家では高級霊と言っているが、正にそういう事なのである。そうした不自由な肉体というのは生まれつきのものも又、後天的に事故とか病気とかそうした事でなる場合もある。そして、それはその人の持っている業によるのである。その業はやはり迷いの業であり、だからこそそうした業を刈り取って、その結果として、不自由な状態になるのである。だからそうしたハンディキャップは何も外側から偶発的に自分に降りかかって来た事ではなくて、一切合切自分から出た事である。しかし、その過去の迷いの念の残像というのは自己の実相の出て来る為の訓練台となるのである。

 即ち、そうした訓練台を自らに課すのも自分自身であれば、その訓練台で必死に無限力を鍛えて行くのも自分自身である。従って、この人生は表面的には色々な紆余曲折はあっても、全て自己の内部の神が自分で出て来る道程なのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-10-10 12:32 | 潜在能力 | Trackback | Comments(6)
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Commented by ふじおか at 2008-10-11 10:29 x
今訪れた世界的な経済不安も神が私達の魂向上のために与えてくださった宿題なのでしょうね。

困難から逃げずにその先にある悦びに向かって前進してゆきたいものです。
Commented by ナオチャン at 2008-10-12 00:09 x
堀 浩二先生
合掌 ありがとうございます。
先日は壮年勉強会のお誘いをいただきまして、ありがとうございましたございます。しかしながら非常に残念ですが決まった日に血液の人工透析をしないと尿毒症に纔り死んでしまいます。ですから比較的一日行動できる日が限定されて祝日は関係なくカレンダー通りに行動しています、月曜日水曜日、金曜日、日曜日はいいですがその他の日は午後二時までに病院に入り終わるのはだいたい午後九時頃です。透析をする時間は決まって五時間です。透析している時に痛みが生じますが『困難に戯れる』感じがします。無限力が発揮せしめる感じがします。(^o^)(^o^)ポン
Commented at 2008-10-13 17:33 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by koujihori at 2008-10-14 09:24
ふじおか様

 そうですね。これはアメリカ発の金融危機ですが、余りにも自由主義経済が行き過ぎて、今回こういう結果になったのですから、ある程度、政府が市場をコントロールするという事が大事だと分かったでしょうね。私はアメリカの今までのやり方、そしてそれを無条件に受入れ、追従して来た小泉竹中コンビの構造改革という名の行き過ぎた自由主義経済というのは弱肉強食の大企業優先、弱者切り捨ての愛の無い政策だったと思います。また、それは金儲け主義の唯物思想ですね。今回それが間違っていた事が世界的に分かったのではないですか?
 
Commented by koujihori at 2008-10-14 09:29
ナオチャン

 コメント有り難う御座います。大変ですね。透析5時間とは。でも、ここで敢えて厳しい事を言っていいですか?ナオチャンのこの文章を読んでいると「困難に戯れている」という感じはしません。困難に戯れるというのは困難を認めないでそれをものともしないで自己の今、完全円満の無限力を信じて敢然と立ち向かって行く事です。ナオチャンのは困難を認めて、それに苦しめられている自分をも認めている感じがします。敢えてきつい事を申し上げますがナオチャンは病気を隠れ蓑にしていませんか?生長の家は肉体がどんな状態であろうと肉体ナシ、現象ナシとして今、敢然と立ち上がるというものです。
Commented by koujihori at 2008-10-14 09:38
シークレットコメント様

 お役に立てて何よりです。吾々は自分で生きていると思うと苦しいし、また自分の過去も「本当にこれで良かったのだろうか?」などとあれこれ悩んでもうどうにもならなくなりますね。生長の家を知って、一切は自分の責任という事を知ると、却って、「私が、私の心が、私の行動が、それを神様に合わせな無くてはならない。」なんて思って本当にしんどくなります。私の心も私の行動もナイと知るのが真理の悟り、実相独在の悟りですね。自分は如何なる時も自分ではない、神そのものであり、自分の一挙手一投足そのまま神であるとういう絶対自覚が必要です。それが吾々が神に生かされているという事です。それが分かれば一切の心配や取り越し苦労や悩みは消えますよ。
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