何をしてもしなくてもそのままで神である

 私は自分の行動とか言動を律しないと駄目であると思っていた。それは自分は実相は神の子かも知れないが現象は自分の心の影であるから、その心を良いものにしないと駄目だから、それを良くしようとしていたからである。それでこういう悪い事をしたら、神の子でなくなる、神想観しなかったら、仏の子でなくなる、こういう間違った事をしたら、完全円満でなくなると何となく思っていた。しかし、それは間違いであった、我々は神であるから、何もしても何をしなくてもそのままで神であった。神想観しなくても神であり、女と戯れても仏の子である。それが分かれば自ずと神らしい行動をする様になるのである。

 真理を実行するから神になるのではない。神であるから真理を実行するのである。その結果、良き念が潜在意識に集積されて行き、結果的にどんどん自己の健康も運命も良い方向に行くのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-10-22 12:22 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 山崎 at 2008-10-22 22:17 x
合掌、ありがとうございます。

毎回先生の御文章を拝読させて頂いております。

私も先生の仰るように自らを律し、浄化させてから本当の信仰のスタートをきることができ、全ての物事が上手く歯車が噛み合っていくのだと思っていました。まだそういう考えはありますが。

“そのままで人間は神の子である”が知的には解るのですが、どうもそれを感得するのが難しいです。しかしそれを感得しても、いなくとも吾々は神性・仏性そのままであります。
感ずる・得るというのもやはり五感・六感で現象のことなので、無いのでしょう。
しかしそれを根本に生活をすると自ずと神の子らしい、やさしい時間を営むことがこの瞬間より出来ます。

日常の雑多に追われ、色々と現れて見える中でも、相変わらず吾々に智慧を啓き、愛を降り注ぎ、生命の泉を湧き出ださして下さる神に感謝です^^


ありがとうございました。

山崎拝
Commented by koujihori at 2008-10-23 09:17
山崎様

 有り難うございます。

>“そのままで人間は神の子である”が知的には解るのですが、どうもそれを感得するのが難しいです。

 心配しなくても大丈夫です。我らは神であり、悟りそのものですから、悟りは自分で出て来ます。
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