迷いは悟りが動き出したのである。

 「迷いは悟りの基礎工事である。」とは谷口雅春先生御著書の「神、真理を告げ給う」にある一節である。

 我々は神の子で完全円満で無限力であるのに何故、迷ったり、悪い事をしたりするのかと言えば、それはその本質が悟りそのものであり、その悟りが自らを表現する為に自分から動き出した時、その初期段階として、迷いとか煩悶が出て来るのである。釈迦も山川草木国土悉皆成仏とお悟りになるまでは人に生老病死の四苦がある事にびっくりし、そして、それに真剣に悩まれ、煩悶されたのである。谷口雅春先生も実相独在の真理をお悟りになるまでは様々な煩悶を経験されたのである。

 しかし、それ全て、我々の中にある常楽の生長の家の悟りが自ずと動いて来て、自分で出て来る課程において、その初期段階における状態なのである。私は11年前にひどい強迫観念で夜も全く眠れない状態に陥った事があるが、それは生長の家の真理が素晴らしいと思うからこそのものであったのである。それはどういう事かと言えば、生長の家の真理が素晴らしくて万人を救うと分かれば、分かるほどそれをまだ知らない人に一刻も早く伝えなくてはならない、この生長の家で不幸な気の毒な人を救わなくてはならないと言うとても強い強迫観念になってしまったのであった。それは耐え難い罪悪感となり、正に地獄の責め苦を味わうほどのものであったのである。

 しかし、それは私の中にある「神は全宇宙に既に満ちており、全てを内側から生かし、かつ支えており、全ての生きとし生けるものは既に救われ済みである」という途轍もない常楽の悟りが動いたからである。だから、私は表面的にはひどい煩悶で苦しんでいたが、実は内面的には常楽の悟りが動き出したのである。そして、その悟りが外界に展開して、私は宇治の別格本山に導かれる事になり、そこで私の生涯最高の師である榎本敬吾先生に巡り会って、その常楽の生長の家の神髄の真理を授けられる事になったのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-11-06 12:41 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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