吾が業(わざ)は吾が為すにあらず

 私は生長の家地方講師であり、毎月、教区の各相愛会誌友会に出稿して、生長の家の講話をさせて頂いている。経験のある人は分かると思うが生長の家の講話を人前で約一時間話せと言われると出来れば逃げ出したい気持ちになる。大げさでなく、絶体絶命の境地に立たされるのである。
 私はこの講師の資格は24歳の時に取ったのだが、最初の内はテキストを一冊丸ごと読んで、それを元に完璧な原稿を作ったものである。 だから、本当に徹夜で準備したものである。それでいて、いざ、何十名という受講者の前に立つと、あがってしまって、暗記していた内容がすっかり頭から抜けてしまって、所謂、頭真っ白状態になり、言葉が数分間も出ないで、大変な思いをした事もある。今となっては全部、それは私の肥やしになってはいるが。
 それで、私は自分が講師になってから、他の講師、先生がどの様な講話をされるか、講話はどう話したら、上手くできるかという観点で聴く様になった。そうすると中には立て板に水の様に次から次へと話が出て来る先生もいらっしゃって、ああなるにはどうしたら良いかと色々研究したものである。そして、ある先生などは良い話、受ける話をしようなんて考えないで、相手を拝んで、相手に悦んでもらえる話をするのが良いとも仰っていた方もいらっしゃる。
 その中で私が一番、参考になったのはある講師の先生が紹介して下さった谷口雅春先生のご指導で、講話は原稿は一通り作成するが、いざ、講話をする段になったら、その作った原稿さえも捨てて、自己の中のインスピレーションに全面的に任せて、話をするのが良いという事である。現在も私はそのスタイルを取っている。

 以前は講話をするのは谷口雅春先生がこう仰っております、谷口清超先生がこう説かれております、谷口雅宣先生はこう言われておりますという事でこの三先生のお言葉を出来るだけ正確にそのままお伝えするのが生長の家の講師の役割であると思っていた。確かに今でもある意味、その考えは正しいと思っているが、いくら三先生が偉大な方であっても、その説かれる真理が自分の外にあると思って、その外にある真理を肉体の自分が一所懸命、暗記して、それをしゃべるというのではちょっとでも緊張すれば、暗記した事は出てこなくなり、以前の私の様な頭真っ白状態にならざるを得ないのである。
 私はよく真理は自分の中にあると言うが、これは正に私は命がけで講師活動する中で実感した事なのである。真理は自分の中にあるとは神の国は吾が内にのみあるという聖経「甘露の法雨」にあるキリストの言葉と同じである。正に真理は吾が内にあるのである。だから、吾等は自己限定しないでそのままであれば、講話で説くべき真理は自分の中からこんこんと湧き出てくるのである。それが出来ないのはその事を信じずに、外に真理、講話のネタを探して、それを一所懸命、自分にくっつけようとするからである。

 講話は私がするのではない。神がするのである。自分の言葉そのものがそのまま神の言葉である。そのままでよい。上手く話そうとか沢山話そうとかする必要は無い。正に「吾が業(わざ)は吾がなすにあらず」である。

堀 浩二
by koujihori | 2008-12-12 12:35 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(8)
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Tracked from Googleグーグルアド.. at 2009-02-05 02:43
タイトル : PPCアフィリで稼ぐためのツール
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Commented at 2008-12-12 22:18 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ナオチャン at 2008-12-13 07:38 x
堀さま、お元気ですか(笑)私は今、箱根に親孝行しに来ています。宮の下の富士屋ホテルです、昨日は命の洗濯を致しました。わかりました~(笑爆)。さて、私の初体験でも原稿を用意したのに挙がってしまいなにをしゃべってるのかわからなくなりました。汗をかきながら。ただ木原先生からは谷口雅春先生が書いた聖典をモチーフにしたのでそれを正しく伝える事を注意を受けてました。
Commented by 初心者 at 2008-12-13 20:40 x
 「なまけ者のさとり方」という本の中で、著者のタデウス・ゴラスは「世界はただ一つのもので出来ており、この意味においてすべての存在は平等である。劣っているとみえる人も、それは自分の選択でそのような人生を生きているだけであって、じっさいには劣っているわけでもなんでもないので、その人を救わなければならないと思う必要はない。救わなければならない人がいると思うのは、自分自身のバイブレーションのレベルがその程度のものだということを示しているにすぎない」というようなことをいっています。人間はとかく他者を自分の思いどおりにしたがるところがあって、不幸と見える人がいると、その人の思いとは関係なく、あの人は幸せであらねばならぬと思い、何とかしなければならぬ、ということになってしまうんですね。ようやくこのことに気づきました。
Commented by ナオチャン at 2008-12-14 08:40 x
いや~よかった、よかった箱根は。命の洗濯をさせていただきました。ちなみに私は20分、親父は??分でした。堀さんわかるかな??。肉棒がとろけるようです。私は黄色の太陽が見えました。親父は年期が違います、さすが祖父80歳の時の息子!!、その祖父も47年前に他界しました。私も数年後には。(医師告知)
Commented by koujihori at 2008-12-15 09:11
シークレットコメント様

 お褒め頂いて有り難うございます。
Commented by koujihori at 2008-12-15 09:18
初心者様

 「なまけ者のさとり方」という本の存在は知っています。面白いタイトルだなと思っていましたが、そんな素晴らしい事が書いてあったのですね。
Commented by koujihori at 2008-12-15 10:28
ナオチャン

 下ネタと自己限定的発言が無ければ、いいコメントなのに惜しいですね。
Commented by 初心者 at 2008-12-15 13:00 x
 下ネタだったのですか。私はてっきり滝に20分打たれたのだとばかり思ってました。

 ところで、近頃とみに「現象なしの呪縛」ということを思ってしまいます。現象はしょせん現象なんだからあってもなくてもどっちでもいいんじゃないかと、不遜な考えが頭をよぎります。やはり私は、「現象は本当はないんだけどあると思ってもいいんだよね」みたいな軽いタッチで真理のデッサンを描いてみようかと思います。「何が何でもあってはならぬー」ではちと苦しすぎると思うので。
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