そのままでよい(17)

 吾々は誰でも成功したいし、幸福になりたいと思う。自分の魂の半身と結ばれ、良き子に恵まれ、幸福な家庭を築きたいし、また、仕事やその他の活動でも自己表現し、かつその才能や力で世界に貢献したい念願がある。

 その為には刻苦勉励して、修行に励み、日々努力を重ねて、良い相手と結婚し、良い仕事をし、成功した人生にしようとする。しかし、それだと、常に何かに追い立てられる様に生きてしまう事になるのである。そして、自分の過去に誤りや罪は無いであろうかとか将来、どの様に生きたら良いかとか思案する。そして後悔したり、取越苦労したりし、それで問題をつかみ、悩み、悶々とする事になってしまうのである。

 そして、何とかその問題を解決しようとか、出来るなら人生をやり直したいとかそんな事を考えるのであるが、それらは一切不要である。吾等は「そのままでよい」のである。
 この現象世界は吾々の念の認識が映っている世界であるとは生長の家の教えの通りである。だから、心を清めようとか行いを正そうとかするのであるが、それが間違いである。本当に吾等の念の認識が真っ直ぐになるという事はそんな私が刻苦勉励しなくても、今、このまま、ここが神の国であり、実相世界であり、自分は何ら良くしようしなくても今、このままで神であったと悟る事である。
 従って、自分のやって来た事、言ってきた事、これ全て、神のやって来た事、言って来た事であるのである。それをそうじゃないと思う事が迷いであり、それが心の歪みであり、そうなるとこの現象世界は吾々の念の認識通りに映る世界であるから、誠にも自分の人生が間違いだらけの歪んだ不完全なものに感じられるのである。それが悩みであり、迷いである。
 そして、その歪んだ念の通りに自分にこの実相世界が認識されるのであるから、善人が悪人に見え、自分の完璧な神の生が間違いだらけ、罪だらけの人生に見えるのである。それを又、つかんで信仰で良くしましょうなんて考えるから、ますますこの完全円満な実相世界が歪んで歪んで殆ど手の施しようのない不完全な人生になってしまうのである。(正確に言うと不完全な人生になってしまうのではない。完全円満の人生が不完全な人生として歪んで認識されてしまうのである。)

 内に神の国を自覚すれば、今、そのままで外界即ち自分が認識している世界がこのままで美しい完全円満ばかりだった事に気付くのである。そして、自ずと良い点のみに気が行く様になるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-01-05 13:04 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://joyfulness.exblog.jp/tb/9158328
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 生かされている(7) 新年明けましておめでとうございます。 >>