神の国は我が内にあり(5)

 先日、ある人からお前は谷口雅春先生の御文章に常に返らなくてはならないという旨のコメントを頂いた。それはそれで正しいと思う。しかし、谷口雅春先生のお言葉と言えどもそれを自分の外部に認め、それにすがりついたり、頼ったりしているのでは駄目なのである。

 生長の家の信徒に取っては谷口雅春先生、谷口清超先生、谷口雅宣先生のお言葉、ご指導というのは絶対の響きを持つ。確かに自分で勝手に真理を語るのでは駄目で常に自分の言葉が先生のお言葉からぶれていないかという事の確認は必要である。しかし、何より大事なのは自分の中に真理即ち神の国を見出す事である。そうでないと自分というでくの坊が生長の家という偉大な教団に頼らなくてはいけないという構図になるからである。
 そんなもの人間神の子の教えでも何でも無い。常に自分というものが智恵も無く、力も無く、それで生長の家という教団とか雅春先生以下三先生に頼って行かなくてはならないなんてのはその辺のカルトと同じである。

 真の信仰とは自分が弱い知恵も力も無いでくの坊であって、教祖とか宗教指導者に頼って、それでやっと生きられる、幸福になれるという考えではないのであって、自分の中に神の国がある、自分が神であるという教えである。それこそが「無門関」に示された「師に会うては師を殺し、親に会うては親を殺す」の事である。それは何も実際に殺すのではなく、如何に有り難い、偉大な存在であろうともそれが自分とは別の存在であると思えば、それは真に有り難い存在でも偉大な存在でも無くなるのであり、全てはナイと全否定し、かつ親も師も自分の中にあると悟った所に真に親に対する感謝、そして、師に対する畏敬の念が出て来るという事である。

 私は自分の中に神の国を見出し、自分が神であると悟り、自分以外に親もナケれば、師もナイ、もっと端的に言えば生長の家もナイと悟った時に真に親が有り難い存在であった事が分かったし、谷口雅宣先生に対する中心帰一の心も初めて本当に出て来たのである。そこには先生から離れて勝手な事を言ったりやったりするという行動は出てこないのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-01-14 12:28 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(3)
トラックバックURL : http://joyfulness.exblog.jp/tb/9199696
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Tracked from 情報の波 運勢の波 at 2009-01-14 21:29
タイトル : プロポーズのネタ集。
松田龍平、沢尻エリカの結婚、 2009年始まって2週間足らずですが、芸能界は賑やかですね。 結婚と同じぐらい離婚の話題もあったようですが・・・... more
Commented at 2009-01-15 10:49 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by koujihori at 2009-01-15 13:43
シークレットコメント様

 こちらこそ、いつも有り難うございます。お役に立てて嬉しいです。
 そうですね。僕は会社の事とか運動の事とか真理の事とかになると勇気と智恵と力が出て来ます。やはり、利己的でない公な事になるからだと思います。
Commented at 2009-01-22 19:34 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
<< 問題はナイ(7) どうしたらよいか >>