生長の家の信仰について(4)

 生長の家は御存知の様に谷口雅春先生が昭和5年に創始され、その後、谷口清超先生、そして、谷口雅宣先生とその法燈が継承され、この3月には谷口雅宣先生が三代目の生長の家総裁に就任される。

 しかし、代が代わる毎に新しい法燈継承者に反発する人が必ず出て来て、近年は別団体を立ち上げてなにやらやっている様である。
 私は青年会から生長の家の組織にいて、もう26年位になるから、長い間、生長の家の運動をこの目で見てきたが、雅春先生が亡くなられて、二代目の清超先生になった時はそれはそれは批判と攻撃がすごかった。かく言う私も実は批判派の一人であり、一番おかしいと思ったのは生長の家が生政連を解散して、日本国憲法改正と優生保護法改正の目標を断念した時であった。

 だが、私は色々な人の導きにより、反発分子になったり、生長の家を止めたりせずに運動を続ける事が出来たのである。それを思うと当時、私を導いてくれた諸先輩には感謝したい。

 ところで現在、生長の家教団もっと端的に言えば、三代目の谷口雅宣先生に対する批判の動きがけっこうあって、前述のようにそういう人達の中には生長の家を飛び出して、勝手な名称の別派を作ってなにやら活動をしている人もいる様である。
 人間であるからその自由意志は尊重されるべきでそうした事をするのを絶対にしてはならないとか又は罰が当たるとかそんな事は私は言いたくは無い。
 しかし、吾々は生長の家をどうしてやっているのかという事の確認が大事であると思う。というのは生長の家というのは信仰であると私は思うのである。自己の頭脳による思考とか類推とか遊戯ではなくて、正に真摯なる信仰であると思う、と言うかはっきり言うが「信仰」なのである。 それは理屈抜きの真理そのものに対する全面降伏と言うか、絶対信頼と言うか、絶対のハイの精神である。それこそが真の中心帰一の心である。

 生長の家は自己の頭脳とか理屈ではなくて宇宙の絶対真理に対する理屈を超えたハイの信仰心なのである。それは生長の家の日常の運動即ち、普及誌愛行とか誌友会とかを地道にやる中で自ずと分かるものであると思う。
 私もたまに雅宣先生の仰っている事とか説かれている事が分からない時がある。しかし、そんな時は私はいたずらに批判したり、もちろんそれをでくの坊の様に鵜呑みにする事もなく、自分の頭で考える事を止めて、当たり前の日々の愛行、生長の家の地元のお世話活動に精を出す様にしている。そうすると後から先生の仰っていた事の意味が分かるという経験を何回もした。

 自分の方が先生より分かっているぞなんて思うから非難するのである。生長の家の法燈継承者として先代の法燈継承者から面授を受け、かつ生長の家の大神から直接、アイデアを受けて色々説かれ、運営されているのであるから、先生の仰っている事が分からない場合は自分がまだ先生の所までレベルが行っていないと謙虚に認め、それが分かる様に今以上に信仰を深めて行こうと精進努力する姿勢が真摯な信仰者として要求される事であると思う。
 そして、それは何も先生という肉体人間を盲信しているのではない。先生の奥に流れる生長の家の大神のお働きを私は信じるのであり、その教えにひたすら謙虚に虚心坦懐に従って行こうと思うのである。それが宇宙の真理に対する絶対ハイの信仰であると思うし、それが繰り返しになるが真の中心帰一の信仰であると思う。

 生長の家は何も肉体の谷口雅春先生が始められた訳ではなく、住吉大神の宇宙浄化のお働きの一環として、生長の家の大神が谷口雅春先生を通してこの地上に展開されたのであり、その継承者の先生ももちろん同様である。
 そして、その運動は時代に応じて状況に応じて自由自在に変化すべきものであり、その継承者たる方の生長の家の運動の展開の仕方は雅春先生とは当然変わって行ってしかるべきあるし、むしろ変わらなければ生きた光明化運動とは言えないのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-02-03 12:32 | Trackback | Comments(8)
トラックバックURL : http://joyfulness.exblog.jp/tb/9288569
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by yukio aono at 2009-02-03 17:35 x
合掌 ありがとうございます。   喜びを 感謝に
堀 先生の記事は、そのものずばりを表してくれています。
  いま このままで神である。
  今 このままで神の国であり、完全円満である。
  実相は自分で出てくる。
  それらは、吾らの内に存在している。 と 等
「神の子」なんです と 徹底して知らせてくれています。
ただただ、ありがたいばかりです。感謝です。
これらの言葉で、すぐさま、実相の世界へ誘ってくれます。
これにあやかって、先日書いた生命の実相は自性円満であるを
次のように勝手に解釈して、いのちのほんとうのすがたは、
そのままに完全で素晴らしいことなのである。と自分一人が
得心しているしだいです。 感謝、感謝です。
                      敬礼
Commented by koujihori at 2009-02-04 08:39
aono様

 いつも有り難うございます。吾々は今、完全円満ですね。本当に有り難いです。
Commented by ナオチャン at 2009-02-04 22:31 x
いや~。温泉羨ましいですな、その報いを実子から受けるとはまあ、さぞかし豆は痛かったでしょうか、鬼さん、肉棒に当たり痛点、打点、七転八到。痛い思いは皆同じですね。さてと話題は変わってウェディングの件。電報依頼をした場所が労働組合の事務所からだったんで当然生長の家を名乗る訳にいかず組合執行部で出した次第です、家の組合、実は共産党系列。まぁギャップはあります、でも仕方ないですね。でも生長の家の信仰はがんばります、イデオロギーと信仰は別物ですから。でわ
Commented by ふじおか at 2009-02-04 23:48 x
そうですか。  清超先生が総裁になられた時にも批判があったのですか。
私も生学連で、日本国憲法反対の運動に参加していた経験があるので今の運動に疑問を持ちました。

堀さん今後も熱いメッセージ期待しています。
でも大事な事は「物質は無い」の実相を観る 本質的な真理の勉強をすることそのものが尊いのであり同じ想いを持つ生長の家の信者であることに悦びと仲間意識をもって楽しい交流をしていきたいと私は思っています。
他の人の意見の揚げ足をとったり無意味な批判をして意見を戦わせるのは本来の私達の目指す道ではないと思っております。


Commented by ふじおか at 2009-02-04 23:54 x
堀さん今後も熱いメッセージ期待しております
は前の投稿の一番最後に入れる文章でした。
まちがって中間に入ってしまいました。

訂正させていただきます。
Commented by koujihori at 2009-02-05 09:18
ふじおかさん

>そうですか。  清超先生が総裁になられた時にも批判があったのですか。

 あれ、ふじおかさん、ご存知無かったですか?そうですよ。だって、生長の家は谷口雅春先生が始められたし、先生は明確な言葉で真理や運動方針を事細かに分かりやすく説いてくださいましたから、清超先生になってそれが変わった(やはり、生政連解散が一番大きな変化でしょう。)のはこれはもう今、盛んに雅宣先生批判派が唱えている様に雅春先生の教えを骨抜きにしていると当時、私も本気でそう思ってました。(でも、正確に言えば、生政連解散は昭和58年で雅春先生が亡くなられたのが昭和60年ですから、先生がまだ総裁の時に解散が決まったんですが)

 当時、私は言葉に書かれた通りが真理だという理解しか無かった(それを教条主義と言いますね)ので真理というのは言葉を超えて不立文字であるという事が分からなかったので、清超先生の時代になって、生長の家の運動が変わった事に対する理解が無かったのです。でも、大方の信徒がそうだったと思いますよ。
 また、あの雅春先生と比較もされますから清超先生も本当に大変だったと思います。
Commented by ゆきえ at 2009-02-05 15:09 x
 私が入信したのは58年です。初心者の前で堂々と清超先生の批判をされている方がいらっしゃいましたね。でも、私は清超先生の書かれた本によって学んできた信徒であり、あの状況の中先生の求道者としての生き方を尊敬せずにはいられませんでした。
 雅宣先生が副総裁になられ出版される本には光明思想の言葉を見出すことが難しかったです。清超先生の本とワンセットで読むと意味がわかったのですが、もし、清超先生がいなくなったときに雅宣先生についていけだろうかと不安になって、小閑雑感をリアルタイムに読みたくてネットの世界に飛び込んで生長の家の検索で堀先生に出会うことができました。迷うこともステキなことですね。
 今こんなにも悦びいっぱいで信仰できるのは、堀先生の言葉に出会い中心帰一の信仰の本当の意味を理解して、雅宣先生のまだ出版されてない「日々の祈り」を雅宣先生のHPで一心不乱に読んでからです。

 堀先生は私のお手本であり、師であり、大切な友だと思っています。 ともに生長の家の真理を学び、悦びあうすばらしい広場を開き続けてくださってありがとうございます。





Commented by koujihori at 2009-02-05 16:19
ゆきえ様

 有り難いお言葉、本当に感謝感激です。僕は自分の悦びをここで表現させて頂いているだけですが、それでこんなに悦んで頂けて冥利に尽きます。
<< 生長の家の信仰について(5) このままで神である >>