生長の家の信仰について(5)

 生長の家の神示の中には「無相円相一切相の神示」という神示があり、ここには「吾が臨れるは物のためではない、生命のためである。肉のためではない、霊のためである。これを覚るものは少ない。物の生滅に心を捉えられ、物が殖えたときに信仰を高め、物の減ったときに信仰を失い、身体が健康になったときに神を讃え、家族の誰かに病気が起こったと云っては信仰を失う如きは神を信じているのではなく物を信じているのである。物は結局移り変わるものであるから、物の御利益の上に建てられた信仰は、物の移り変わりによって壊れるのである。」とある。

 生長の家は実相独在の信仰であり、現象はナイの信仰である。しかし、それは同時に「現象は吾等の心の影である。」の信仰でもあり、従って、吾等が実相独在の真理即ち現象はナイ、今、ここにそして吾が内に神の国があり、自分が今、完全円満の神そのものであると悟れば、その認識通り、現象に完全円満の世界が現出する。(正確に言うとその今、ここにある完全円満の神の世界が自分に認識されるのである。)

 従って、現象的に幸せに健康になりたい人は実相はどうでもいいから、早く自分を現象的に富ませてくれ、健康にしてくれと思い、生長の家の信仰は自分が現象的に幸せに健康になる為の方便、手段だと思って信仰のまねごとをするのである。それを一口で言って、御利益信仰と昔から言われるのであるが、そんな信仰では駄目で、それは冒頭に掲げた神示の様に本物ではなく、それは現象が悪くなれば瓦解する信仰なのである。

 心を正念にする事によって、現象や肉体を良くして行って、初めて悦ぶのではない。そんなのは外の世界(現象)に神の国を求めているのである。現象などどうでも今、ここがそして、今の自分が神である事を悟らなくてはならない。それが内なる神の国に目覚めるという事である。
 吾々は今、完全円満である。肉体や現象がどうであろうと。その事を悟らなくてはならぬ。肉体はナイ。現象はナイ。今、完全円満である。今、悦べ。これが究極の真理である。その事に目覚めれば、現象は吾等の認識が映っている世界であるから、現象も整うのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-02-05 12:29 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by yuko at 2009-02-05 21:18 x
“今、悦べ”  この一言に尽きますね
Commented by koujihori at 2009-02-06 09:11
yuko様

 そうですね。
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