生長の家の信仰について(6)

 生長の家の教えの説き方は端的に言って、初期段階と奥義と両方ある。もちろん、その教えの根幹をなすのは「人間は神の子である。」という教えであるが、そのとらえ方は段階があるのである。
 生長の家は三正行が大事であると言われる。私も青年会時代はその三正行即ち神想観、聖経読誦、愛行を自分なりに一所懸命やった積もりである。その三正行こそが真理を悟る鍵であるのである。それを地道にやった人が「人間神の子」の生長の家の教え、奥義を自分のものとする事が出来る。
 人間は神の子であると聞いてもああそうかとすぐ悟る事は出来ない。だから、最初は一所懸命、行に励むのである。そして、それは大抵、迷いから脱却したいとか、悩みとか病苦、家庭苦を解消したいという動機から行われる。それは最初は御利益信仰的なものである。御利益信仰と言ってもそこから入らなければ吾等は信仰に入る道を見いだせないのである。それは今にも燃え落ちようとしている火宅(迷いによる転倒妄想が作り出した虚構の不完全な世界)から幼児(吾々の事である)を真理の道(本当に実在する常楽の完全円満なる世界)にいざなう為の玩具が御利益である。そして、大抵は医者からも誰からも見放された様などうにもならない病苦、家庭苦がその人に与えられ、そして、これ(信仰の道)をやれば幸せになるよ、病気も治るよという玩具が提示されて、大抵の人は信仰の道に入り、真剣に行ずる様になる。生長の家ではそれは三正行である。
 そして、一所懸命、信仰して行をやって、病気が治ったり、その他の問題が解決する事もあるかも知れないが、そんなもの一時的に良くなった所で生長の家の本物をつかんでいなければ又、元通りになるのである。

 本当の信仰とはこれこれこういう行をやって、心を清め、行いを正し、それにより、良くなったり、健康になったり、完全になるというものではない。本当の信仰とは無条件に今このままで自分が神であり、完全円満であるという事である。それが全てであり、その神が神して、完全円満が完全円満して、祈りとなり、真理の実行となり、訓練となり、生長となるのである。そして、それこそが生長の家の神髄、奥義であり、正に「人間は神の子であり、完全円満である。」という事であり、その信仰、悟りのある所、現象の如何に関わらず、今、悦ぶ事が出来るのである。それは即ち常楽の道なのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-02-09 12:32 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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