実相は自分で出て来る(21)

 実相は自分で出て来るとはここで何回も言わせて頂いた事である。吾々は自分で生きるのではなくて、神に生かされているのであるとは生長の家の教えの神髄である。それをどう間違ったのか心を清めるのは私の仕事、この素晴らしい真理を伝えるのは吾々の仕事と思う様になったのが迷いである。
 例えば、人の光明面のみ観るという「日時計主義」も「私が、この私がやるのである」と、気張って、頑張って努力してそうするというのもそれはある段階の境地としてはあるだろう。しかし、そんな事をしていればその一つの事にとらわれてしまうのであり、そうなると相手に注意すべき時に注意する事も出来なくなるし、外敵が迫っているのにそれを追い払う事も出来ないのである。それ全て、私という我(が)が真理を実行しようとしているからである。それは実相独在の信仰ではない。実相の他に私という存在を認め、それを何とか良いものにしようとするのであるから、それは実相独在の宇宙遍満の完全円満の神を信じているのではなくて、私がやるのだ、私が偉いのだという考え即ち我(が)である。私はその考えで何十年と来た為にすっかり大安心の心が無くなって、神経衰弱になってしまった経験がある。

 吾々は生かされているのである。百%。それを悟る事が実相を悟るという事である。そこにこそ安楽、常楽の道がある。それは実相が出て来るのは自分で出て来るのであるという事に全託するという事なのである。無理に我(が)で真理を実行しようと頑張る事ではない。
 私は、だから、割合怒る時には怒ったし、責める時には責めた。それで周囲が不調和になった事はいくらでもあった。しかし、それで良いのである。実相が自分で出て来るのにお任せするのである。私は最近、人を愛するという事はどういう事かという事が本当に分かってきた。それは相手を責めない事、光明面を観る事であるという事が自ずと分かって来た。そして相手が理不尽な事をしているのはその人がまだ魂が幼いからかその人自身が自分が認められていなくて寂しい心を紛らすものであるという事が本当に自然に分かって来たのである。そうするとその相手を無闇に責める気持ちも無くなってきた。それが本当の善行であり、生長の家の真理の生活化だと思う。
 それが実相は自分で出て来るという事であり、その事が本当の実相顕現である。

堀 浩二
by koujihori | 2009-02-20 12:26 | 信仰 | Trackback | Comments(6)
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Commented by なおちゃん at 2009-02-21 20:24 x
堀さん、昨日はどうもゴチでした。ところで今日のテニス大会の成績はいかがでした、教えて下さい!。(о^∇^о)
Commented by koujihori at 2009-02-21 22:05
なおちゃん

 ゴチどころか僕がゴチだったじゃないですか。こちらこそ、有り難うございました。

 ところでシビアな事、聞きますね。もし、悪い結果だったら恥ずかしい事を発表しなくてはならなかったじゃないですか。でも、今日はラッキーな事に一回戦、勝てました。スコアは8-2です。(8ゲーム先取のルールです)。今回の試合は出場者はヤングガイばかりだったのでびびりましたが、僕の相手は高一の子でやたらサーブもストロークも早かったですがまだまだ荒削りでちょっと彼は自滅してましたね。

 二回戦の相手は大学生でこれはもう、球が強い上に正確だったので1-8のスコアで簡単にひねられました。でも、僕も後、10キロは絞って、足腰と腹筋を丹念に鍛えていけば、勝てない相手じゃないと思いました。でも、いっつもテニスの試合に出ると体を鍛えようと思うのですが、どうもいつも三日坊主ですね。
Commented by 仙川健一 at 2009-02-21 23:53 x
いつもご指導有難うございます。私は15年ばかり神想観を続けましたが、心境にたいした変化がないので、最近怠けるようになりました。それで少し気が咎めることがありますが、もうこのままで神の子だから改めなくてもかまいませんか。それなら気が楽なのですが。
Commented by koujihori at 2009-02-22 18:10
仙川様

 ご質問有り難うございました。神想観を15年も続けておられたのですか?素晴らしいですね。でも、神想観してもしなくても我々は今、神ですから、そのままでいいんですよ。だから、したくなかったらしなくていいです。
 神想観は私という我(が)がやる事によって、神にこれからなる為にするのではありません。神である自分の実相がするのです。
 自分が今、そのままで神であると分かればその神が嬉しくて自ずとしたくなるのが神想観ですね。

 僕は夜は眠いので神想観を強いてやろうと思わないのでそのまま寝ます。神想観をしなくてもそのままで神だから、その大安心のままに寝るのです。そして、朝はすがすがしくそのまま自然に起きたらすぐ正座瞑目合掌して神想観しています。これは吾が内なる神が神する神想観ですね。
Commented by 仙川健一 at 2009-02-23 01:15 x
ご指導有難うございます。もう一つ質問させてください。私は家に病弱な肉親を抱えています。病人の実相を見るように教えられ、長年そのように努めてきましたが、現に苦しんでいる病人の実相をみることは不可能だと最近思うようになfりました。それよりもキリスト教の説くように病気を神の思し召しとして素直に受け入れようとするほうが気持ちが楽だと感じています。それではだめでしょうか。
Commented by koujihori at 2009-02-23 09:27
仙川様

 実相は自分で出て来るのです。だから、その方は実相が自分で出て来る課程なのです。苦しんでいるそのまま、実相が出て来る課程であるのです。病気は神の思し召しと思うのはある意味、正しいです。病気や問題がある事によって、そこにその人の魂が鍛えられ、真摯に道を求めようとするから、それはその人の生長の為に神が与えたという見方も出来るからです。しかし、やはり、現象はその本人の心の影でもありますから、病気になっているのはその本人の責任であるとも言えるのです。それは要するにその本人が神であるから、自分でその実相を顕す為に自らにトレーニング材料を与えたのがその本人に取っての色々な問題になっているのですね。

 ですからあなたはそのご家族が実相は自分で出て来ているのを拝み、神様に全託しておれば良いのです。その上で何かあなたに出来る事が内側から自ずと浮かび上がってきたら素直にそれを実行すれば良いです。でも、それも神様があなたを通してやっているのです。
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