本当に愛するとは

 本当に相手を愛するという事はどういう事であるか。愛というのは仏教では執着に通ずるとして、否定されている。しかし、キリスト教では愛という事を盛んに説き、キリストを最高の愛の実践者であると讃えている。
 愛と言えばそれは「相手に対する思いやり」の心であるという定義もある。そして、自らを顧みず、自分を相手に捧げる事を愛であるとも言われている。
 しかし、生長の家では愛とはどういう事かという事がはっきりと明確に定義されているのである。それは愛とは「相手の完全円満なる生命の実相を直視すること」である。
 いくら、自分の子が可愛いからと言って、自分の思い通りにさせようとか心配して過保護にするとかすればそれは却って相手の自由を損ねたり、相手の可能性に蓋をする事になり、愛している積もりが相手を損なう事になるのである。愛とは智恵を伴うとはそういう事である。
 愛するという事は相手を神の生命であり、完全円満であると観る事である。そうすれば、相手を尊重する事も放つ事も出来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-02-27 12:27 | 信仰 | Trackback | Comments(6)
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Commented by ふじおか at 2009-02-27 23:37 x
好きは自分本位  愛とは相手を思いやり自分を犠牲にしてでも相手の幸福実現をかなえさせる源

好きや情熱は誰でも努力しないで持てる感情
しかし愛の実現には努力、忍耐が必要である。 そこが好きと愛の根本的な違いである。

私が学生時代に遠藤周作の「恋愛とは何か」の本の中でこの文章に感銘しました。

本当の愛とは自分よりも相手が大切という想いがなければ真の実現はなされないのでしょうね。
いつも気軽に耳にしますが尊い言葉です。
Commented by koujihori at 2009-02-28 21:37
ふじおか様

 そうですか。遠藤周作も素晴らしい事を言ってますね。雅春先生と殆ど同じ事を言ってますね。
 でも、恋愛って言うか、結婚しても若い頃はお互いの肉体を求め合いますよね。それが熟年になって来ると深い本当の愛に昇華されて来るって雅春先生が仰ってますが、我が家もそうありたいです。
Commented by なおちゃん at 2009-03-01 06:22 x
若い頃、特に結婚したての時は、欲望(肉棒)の赴くまま肉体交歓を僅か20年前に体感して今は精神で夫婦関係につながっている堀さん、神経衰弱にかかっていた方とは思えませんな。ご子息の大学受験はいかがでしたか、第一希望の東京帝国大学農学部、合格しましたか?。合格祝いに鎌倉の佐助にあるブンブン紅茶店でゴチさせてください。
Commented by 三谷文人 at 2009-03-01 22:50 x
 有難うございます
 
 優しさや思いやりを施しても、結果として相手の依頼心を増長させただけで、却って嫌な思いをさせられたこともあったりしました。
 相手の完全円満なる生命の実相を観る信仰を通さねば、相手を生かすことは出来ませんね。

 ところで、一年が経つのは早いもんですね。今年の受験シーズンも佳境ですが、今年は堀家にとって、めでたい春を迎えることが出来ますね。第2志望校は合格ですか。それは良かった。おめでとうございます。第1志望校も受かるように祈っています。

 堀さんの方も、来たる雛祭りの日にお誕生日を迎えるそうで、こちらもおめでとうございます。加齢と老化は別ですから、これからもバンバン身体を鍛えて、テニス道を極めて下さいよ。
Commented by koujihori at 2009-03-02 09:02
なおちゃん

 まだ分かりませんよ。ところでブンブン行きましょう。三谷さんも一緒にどうですか?
Commented by koujihori at 2009-03-02 09:11
三谷さん

 有り難うございます。第一志望は見事に山が外れたそうで合格の確率は5%位だと本人が言ってました。でも、第二志望の学校でもそれが息子に取って一番いい道であると思います。

 ところで僕も明日遂に50です。昨日、コーチに聞いたら、シングルスの試合はフィジカルな要素が6~7割占めると聞きました。そうだろうなと思いました。だから、今、足腰と腹筋を鍛え、食事も腹八分目にして、減量に努めてます。
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