迷いはナイ

 生長の家の教えに「迷いは無い」というのがある。その他、罪も無ければ病も無いとも教えられており、それはもちろん、現象の奥の本当の世界である実相の世界の事である。

 しかし、それならば現象の世界には病もあれば、罪もあり、迷いも、悪もあるという事になり、それで大抵の人はその現象の色々な悪、不完全を信仰で消そうとするのである。それは取りも直さず、現象は心の影であるという生長の家の教えから来ている。
 それを「心の法則」と言うが、よくよく考えて見れば、現象は心の影であるから、自分の心を清める事によって、それを消そうと考えるという事は現象は現象として存在していると思って、その不完全な現象、病を心でつかんで、それを信仰で良くしようとしているのであるから、結果的に病とか不完全を心に描く事になり、そうなると心の法則が厳然と働いて、この病、この不完全と思う心の反映として、いくら信仰的行なるものをやっても、不完全とか病は一向に消えないという事になるのである。

 本当に心の法則が働いて病とか不完全とかが消えるという事は病とか不完全を心でつかまない事がコツと言うか大事な事なのである。それはどうしたらそうなれるかと言ったら、正に実相独在の生長の家の奥義を悟る以外無い。それは現象はナイ、心もナイという真理であり、そうするとこれから良くする現象も無ければ、清めるべき潜在意識も無いという事なのである。そして、今、ここ正に完全円満の神の国が吾が内に展開している事を直接把握しなくてはならないのである。吾々の認識がそうなれば心の法則が厳然と働いて、今、ここ完全円満、病無く、死も無く、不完全無く、そして迷いも悩みも無い世界が実感され、そして、自分の周りに展開するのである。 

 実は今日はこれまで述べた事を言いたいのではなかったのである。しかし、書いている内に中々良い言葉が自ずと出て来たので、そのまま書かせて頂いた。本当に言いたい事はこれからである。
 迷いはナイのであるから、吾々は本当は迷ったり、悩む事など無いのである。全て、神に導かれているからである。どうすべきかというのはその時の内側からの導きに任せておけば良いのである。迷ったり、悩んだりするのは全て、今を外して、自分の頭脳でどうしたら良いかと対象物を心でつかんで悩むからである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-03-10 12:33 | 信仰 | Trackback | Comments(4)
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Commented by なおちやん at 2009-03-10 18:26 x
正にそのとおりなのであるないものはないのである。あるのは実相そのまま完全な円満な姿なのである。ありがとうございます。以上本文コメント終わり!ところで本日、東京(帝国)大学の合格発表ですな。ご子息の結果はいかがでしたかな。サクラチルでしたかな、それともサクラサクですか?まずは一報を。
Commented by koujihori at 2009-03-10 21:08
なおちゃん

 何で今日が合格発表だなんて知ってるんですか?ところで駄目だったそうです。女房はあれだけ努力してたのに可哀想だと言ってましたが、僕は息子は山を外したので落ちたので、山をかけて、そのために落ちたのだから本人の責任だと思っています。その辺が父親と母親の違いなのでしょうね。
 でも、どこに行こうとそこが息子にとって一番良い学校だと思っていますから感謝感謝です。
Commented by なおちやん at 2009-03-11 06:10 x
そうですか、まあ入れた大学があるだけまだ救いがあるでしょう、門前払いを喰らった人もかなりいますからな、じゃあ残念会と壮行会とかけてブンブンにでもいきますか、ご子息のためにアルコール抜きの宴会にしましょう、三谷君と金子君を誘って(笑)。
Commented by koujihori at 2009-03-11 08:51
なおちゃん

 息子は今年20歳ですからアルコール飲んでもいいでしょう。ところで門前払い食らうのは本人が勉強してなかったからで当然の報いですね。
 僕は大学は何回も落ちた経験がありますが、全て納得出来るものでした。
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