今、出来る(6)

 キリストが足萎えの人や盲(めしい)の人をまたたくまに治したという奇跡が聖書に載っており、弟子達が病人を治せないで帰って来た時、「汝、信仰薄き者よ」と言って嘆いたりした記述もある。キリストは又「汝、芥子粒ほどの信仰があれば、この山を動かして海に入らせる事も可能だ。」とも仰っている。
 こんな話を聞くと、こんな事は聖書におおげさに書いてある事であり、現実にはあり得ないのだと吾々は思いがちである。しかしながら、この事は正に真理なのである。

 よく火事場の馬鹿力なんて言葉があるが、普段、力の無い人もいざとなれば、普段、到底想像もつかないような力を不意に出すと言われているが、こういう事があるのである。
 私の姉がいつか言っていたが、学生時代に友人達とどこか温泉か何かの旅行に言って、お酒を呑んで、べろべろに酔っぱらっている時、偶然、家から親が電話を掛けて来たりするとその酔いが一挙に醒めてしまったなんて事を言っていた。
 要するに人間は心次第なのである。出来なかったり、病気であるのは何らかのきっかけで自分は出来ないと思うようになったり、又は病気であると思う様になっているだけなのである。生長の家では人間、本来神の子でその実相は完全円満、無限力、無限健康であると説き、それを自覚して、訓練して行けば、その信念が潜在意識に蓄積して行き、その後にやっと現象的に健康になり、力も発揮出来るという風に説かれる。しかしながら、本当の事を言えば、吾々が無限健康、無限力であるのは今の事なのである。だから、今、出来るのであり、立てるのである。それを「いやそれは実相の話で現象はこれから潜在意識を信仰でぼちぼち清めて行って、その後にやっとどうにか良くなるのだよ」と言うかも知れない。しかし、そんな事は無い。そんな事を考えるのは自分は今、まだ完全円満、無限健康ではないが自分の心と行いを良くする事でこれから徐々に良くして行こうという考えであり、それは決して、今、無限力、無限健康であるという自覚ではない。

 正に今、吾々は本当に無限力であり、無限健康であり、完全円満なのである。それが分かれば今すぐ立てるし、今すぐ出来るのである。それがキリストの奇跡を今、蘇らせるという事である。

堀 浩二
by koujihori | 2009-03-16 12:38 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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