神に全託するということ

 私の尊敬するA先生は御講話の中で「皆さん!全託と言ったら、本当に全託ですよ!」と仰っていた。吾々が完全円満、無限健康の自己の実相を顕現させて、現象の色々な問題や病気を治して、幸福になる為には先ず、吾々が自己の心を清めて、その為に色々の行をやり、生長の家の生き方の実行の訓練をやり、その後にようやく神様に全託するというのが生長の家で言う全託であると何となく思っている人が多いのである。

 しかし、全託と言ったら本当の全託であって、一切の我(が)の励みは要らないという事なのである。それが吾々が神に生かされているという事であり、無限の神が全宇宙に遍満している事、実相独在という事である。実相の他に私が潜在意識を清めなくてはならない領域とか、私が生長の家の真理を実行しなくてはならない範囲なんて無いのである。そんなものの存在を認めるならば、実相独在の真理に反する。

 神は無限の生かしであり、その無限の完全円満なる神から全ての善きもの、幸福が来るのであって、その事が明確に歌われているのが生長の家の招神歌(かみよびうた)である。
 そして、その事が「実相は自分で出て来る」という事であり、その事を悟るのが実相を悟るという事であり、その悟りのある所、実相の顕現、展開があるのである。

 私は生長の家の生き方は捨身即ち自己の保身を止め、肉体を良くしよう、保とうという心を捨てる事が真理の実行において非常に大事だと思っている。そこから勇気も生まれ、能力も出て来るからである。しかしながら本当に怖い時にはそれを我(が)の力でいくら実行しようとしても駄目な時がある。そんな時、「ああ、自分には勇気がない。真理を実行する力が無い」と思いがちであるが、それは我(が)の力で無理に捨身を実行しようとしているからである。そのままであればそんな時でも内側から神様が自ずと出て来て、捨身を実行して下さる。私はその事が実相独在であると悟ったのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-03-17 12:41 | 信仰 | Trackback | Comments(4)
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Commented by yukio aono at 2009-03-17 18:31 x
合掌 ありがとうございます。    渾ては神のみ
先ずは、いのちに縁って生かされていると思えば、
命と自分は一體であり、命(神)に護られて助けられて
(救われて)いるといえる。神がいるので生かされているのであり
神に支えられて生かされっぱなしである。支えてくれる神に任せて
(全托して)安心して生きればいいのだと思っています。
  心は  神  本当の自分   神と繋がった心と
       我  偽物の自分   肉体と繋がった心と
が、あって、普段は肉体に繋がった心が支配していて、物事を処理
するので我が出ることになる。教えではこの我はいらぬと言う。
(私の思いです)我に捕らわれず、握らず、掴まず、等の言葉で
教えられます。我の心は捨てましたと、そして、神と繋がった心の
本當の自分がいるよと思い、神に繋がった心に頼れば、お任せすれば
堀 先生の言われる「実相は自分で出てくる」のだから、
神と繋がって生かされ、いつも神が護っていてくださるのだから
こんな歓びはありません。いつも 堀 先生ありがとうございます。
                           敬礼
Commented by なおちやん at 2009-03-17 20:10 x
まさしく即身仏の境地であると考えられます。ひらたくいえばミイラになる悟りですな。昔の仏に遣える人は苦行の末に人々の悟りと満貫成就のために生きながら地中に入り即身仏になったのです。でも今は生長の家の教えがあるのでそんな事しなくたって極楽なんでしょうね。以上、馬鹿な主張した『なおちやん』でした。終わり(^o^)(^o^)
Commented by koujihori at 2009-03-18 10:43
aono様

 コメント有り難うございます。神につながっている。そして渾ては神のみである。その渾ての神に生かされているのですから何も心配は要らないですね。それは正に無条件でそうなるのであり、現にそうなのです。
Commented by koujihori at 2009-03-18 10:44
なおちゃん

 この頃のナオチャンのコメントは格調高いものになって来ましたね。
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