本当の訓練とは(2)

 もう10年以上前の事だが、私の属する教区のある女子青年が生長の家を信仰していてもどうにも心の平安が無く、信仰に行き詰まりを感じていて、それで宇治の道場の練成会に参加した事がある。当時は宇治の練成会は私の尊敬するA先生がご指導されていて、その女子青年はA先生に個人指導(?)か何かの際にこう指導されたと言う。それは「信仰というものは悪いもの、不完全なものを良いもの、完全なものにするのではなくて、元々良いものがより良くなる事、元々完全円満な自己の生命がより完全円満するものだ。」と。

 私はそれを聞いて、なるほどと思った。大抵は自己の不完全さ、それは不安の心であったり、能力の足りなさであったり、健康上の問題とかを信仰で良くしようとして、生長の家をやるのだが、そう言う心持ちでやってもやればやる程、安心立命から遠ざかり、力は一向に出ず、健康にもならないのである。

 訓練というものは悪いものが良くなる為にするものではない。元々既に良いものが更に無限生長するのが訓練である。

堀 浩二
by koujihori | 2009-04-08 12:26 | 信仰 | Trackback | Comments(3)
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Commented by シコク嫁 at 2009-04-08 13:54 x
わぁ〜〜〜そうですね、目からウロコが5枚くらい落ちました!
そうですよね、>>訓練というものは悪いものが良くなる為にするものではない。元々既に良いものが更に無限生長するのが訓練である。。。。これ、今日の(も?)紙の日時計日記に写させていだたきます。

ボールがまっすぐ投げられない状態がほぼ改善されたとのこと、良かったですねぇ〜〜おめでとうございます。コロンブスの卵と同じ状態で・・・というところ、なるほど〜〜〜と有難く拝読いたしました。
でも、それが分かるまでの道程もまた尊いのかもしれませんね。主人のことで私も色々と思うことがありましたが、神様が全て良くしてくださる、と今は大安心の境地です。
堀さまのお話でまた、心強く思えました。感謝合掌。
Commented by koujihori at 2009-04-08 14:26
シコク嫁様

 コメント有り難うございました。お役に立てて何よりです。私が分かったのは実相は完全円満であっても現象は不完全であるというのは生長の家の真理ですが、でもそれは本当は不完全な現象はナイって事なんですね。やはり、現象は不完全だなんて言う場合、割合、不完全なまだ、過去の迷いの残像の残っている現象がアルと何となく思っているんですね。それが具体的な肉体の故障として自分に認識されているだけでそんなものは今、たった今、ナイ!っていうのが真理なんです。私はそれが自ずと分かったら自分の神経の具体的故障など無いって言う事になったんです。
Commented by なおちやん at 2009-04-08 18:35 x
なんとなく、誰の事だかわかった『なおちやん』です。的確なコメントをいただき恐縮の極みです。
さておき、本当の訓練とはなんぞや、人間は生まれながらにしてありがたいのです、だから本当に才能があるならばその才能を開花させるためには訓練が必要な手段と考えます。才能がなければ教えても無理ですからねと、『斎藤秀雄』先生が言っていましたからね。(誰でしょう)
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