自分の運命が教えてくれるもの

 前回と前々回で先週の土日の体験を書いたが、そこで書いたように寝不足でコンディション最悪だったので野球にしろ、英検のテストにしろ最悪の結果となってしまった。
 でも奇妙な事に約二週間前にも殆ど同じ事を私はしているのであり、今回私は同じ事を繰り返しているのである。
 要するにこういう状況になるのは私が早朝野球と英語のテストの前の晩にテニスの試合を組む様な無理な事をしているのが表面的原因だが、実は私がこういう運命になるのはあらかじめ決まっていた事なのである。
 
 こう言うと奇妙に聞こえるが、我々の運命というものは実は現象的に出て来る前に既に心の世界で創られているのであり、それは時間の経過に伴って、後から現象として出て来るのである。おとといの日曜の運命、そして二週間前の日曜の運命は私の心が過去に自分で心の世界に創り上げたものであったのである。同じ様な心であるから図らずも殆ど同じ様な運命となってしまったのである。
 その心とは何かと言ったら、出て来た運命が自分が力を発揮出来なくて失敗する、恥をかく、責められるという事であるから、自分の力を自分自らが押さえつけて責め立てて出さないようにするという心であるが、それは裏を返せば、自分が誰かの非を心で審き、責めつけるという心なのである。
 即ち、おとといの日曜及び二週間前の日曜の私のコンディション最悪で力を発揮出来なくて他の人から責められるという運命は私自身の他人を決して赦さないでその落ち度を責める心が創り出した運命であったのである。
 私が前々回の文章中で書いていた自分自ら作り出した土日のハードなスケジュールが何かを教えてくれているというのは正に「他人に完全を求めて、心で締め付けるな、審くな、その人の良い面を観て、感謝しろ」という神様からのメッセージであった。

 この人生は我々人間という名の研究者が心という道具を用いてデータ又は作品を創り出す為の実験場、研究所みたいな所である。従って、我々は自分が体験した運命をよく注視して深く思索していけば、自分の心を反省することが出来るのである。そして、真に反省する所、我らの進歩、生長があるのである。だから、この人生は一つの大きな学校であるのである。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-06-14 22:39 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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