何故、人間は迷うのか?

 何故、神の子であるのに迷うのか?心が弱いのか?病にかかるのか?勇気が出ないのか?恐怖心が出て来るのか?そうした心をコントロールして良い事を思い、取り越し苦労せず、恐怖しない様にし、心を強いものにし、大安心の心にすれば、実相が顕現すると分かってはいても、その心が上手くコントロール出来ないのである。
 恐怖しないで勇気を出し、大安心の心になる様に心をコントロール出来る人が上手く人生をやって行ける人、生長の家の生き方も出来るのであって、それが出来ない人は落伍者であり、駄目な者であるとでも言うのであろうか?それなら何故、人間は神の子で完全円満であるなどと言うのであろうか?
 それは迷いが悟りの基礎工事であるからである。迷いとか不安とかは駄目な落伍者だから、出て来るのではなくて、その者の本質が悟りであり、完全円満であり、無限力であるからである。その完全円満さが顕現する為に迷いが悟りの基礎工事として出て来るのである。それが煩悩即菩提という事である。 

堀 浩二
by koujihori | 2009-05-14 12:28 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by yukio aono at 2009-05-15 14:10 x
合掌 ありがとうございます。    「煩悩即菩提」にふれて
迷うと言うと、迷はないと言う反対語的な言葉が浮かび、又赤色と
言えば赤色ではない青色や白色があるようにイメージ出来ます、
思いをコトバにすると二分されると言うか、相対化すると言うか、
コトバには、こんな性質が有るのかも知れません。(私が思う
だけです)ですから、迷いだと思う中には既に解決済みの迷いが
在って、迷いと、解決済の迷いは隣り合っていて、一体化された
ものが蔵されていて、迷いそのものでなくて、解決済みの迷いを
探り当てて行くのが、自己顕現への道ではないかと思えたしだい
です。
学ばさせて頂くえにしに感謝します。           敬礼
Commented by koujihori at 2009-05-15 15:54
aono様

>ですから、迷いだと思う中には既に解決済みの迷いが在って、迷いと、解決済の迷いは隣り合っていて、一体化されたものが蔵されていて、迷いそのものでなくて、解決済みの迷いを探り当てて行くのが、自己顕現への道ではないかと思えたしだい
です。

 素晴らしい表現ですね。全くその通りだと思います。
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