ゆっくり歩く

 先日、誌友会で聞いた話だが、幸福と自分というものは自分が幸福を追い求めて、急いで歩くと幸福はますます逃げていって、幸福になれないというのである。幸福は自分を追い求めていて、幸福にしてやろうと思うのだが、幸福が自分に近づこうとすると自分は何故か逃げていって、幸福は自分をつかまえる事が出来ないと言うのである。

それはどうしてそういう事になるかと言うと、幸福と自分は全く同じ円周上に位置していて、自分が幸福を追い求めて急いで歩くと幸福の方も自分を追い求めて動いているものだから、自分が急いで動くと幸福の方からは自分が逃げていってつかまえられないと言うのである。

 だから、幸福になろうとか、良くなろうとかがつがつすると却って幸福にもなれずに良くもなれないという事であり、それは全くその通りである。それならどうしたら良いかと言ったら、それは誌友会の講師の先生によると「ゆっくり歩く」と言う事が大事なのだそうである。自分がゆっくり歩けば、幸福は自分に追いつく事が出来、自分は幸福になれるという事になる。
 それはがつがつ良くなろう、幸福になろうとする心を捨て、当たり前に当たり前の事をやって行く事が大事であるという事である。生長の家の運動でも数を伸ばそう、人を救おうとかと言う事に余りがつがつしないで当たり前の事、例えば会議とか誌友会を当たり前に普通にやっていれば神様が自ずとその地域を栄えさせて下さり、沢山の良い人も集まって来て、多くの人も救われるという事になり、もちろん自分もますます幸福になるのである。

 それは言うなれば「そのままでよい」と言う事である。そのままで神に全託して、その中から自分の中から神の催しが出て来たらそのままそれを実行するのである。かと言って、それは自分がやっているのではない。あくまで自分を通して神がやっておられるのである。だから、自分がやっていても楽ちんこの上ないという事になる。それは悦びでやりたい事をやるという事になるのである。

 そのままでよいのである。そのままで神の流れであり、実相顕現の流れである。それを認めて、そのままにしておけば良いものを「いや、そのままじゃいかん。何とか悪くなるのを阻止する為にこれこれこういう手段を講じなければならない」なんて思って、余計な事をするとそのままでどんどん良い方向に行っていたものを自らせき止めて、台無しにしてしまう事があるのである。それを「幸福を求めて急いで歩いて却って、幸福が逃げていく」という表現で表しているのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-05-19 12:42 | 信仰 | Trackback | Comments(5)
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Commented by yukp at 2009-05-19 13:50 x
ご無沙汰してます。といっても、私は毎日堀さんのご文章を拝見させていただき、感動しております。
幸せは今ここですよね。何も心配することはない。神さまに真っ直ぐ・・・・
全ては光の展開です。私は最近、素敵に生きていらっしゃる方たちに出会う事が多く、感動の涙することがよくあります。そして又その悦びを他の人にお伝えしてまたそこで悦びが拡がり、幸せですね。堀さんの相愛会もすばらしい展開をされてるようで、人ごとながら微笑んでおります
Commented by yuko at 2009-05-19 13:52 x
前のコメントは私です。失礼しました
Commented by koujihori at 2009-05-19 14:52
yukoさん
 
 お久しぶりですね。お元気そうでなによりです。yukoさんも本当に毎日、悦びの中で生きてらっしゃるのですね。その悦びが周囲に光を与えますね。
Commented by なおちやん at 2009-05-19 18:31 x
影を踏みつける遊びに似ていますね。
言葉の綾でつけと
なんか、昔話の童話で聴いた覚えがあります。
『北風と太陽』だったかな?『走れエロス』だったかな?それとも『若奥様生中出し5連発』のような気がする。
Commented by koujihori at 2009-05-20 08:52
なおちゃん

 毎回言いますがコメントが下品です。yukoさんがせっかくよい雰囲気を出してくれたのに。
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