とらわれたらいけない

 とらわれたらいけないという事は良く言われる事である。武道でも一つの型にとらわれると一つの方向には隙が無くなるが、それ以外の部分は隙が出来るのである。武道の達人になると無構えの構えというのがあるそうである。私なんかでもテニスなどのスポーツをやっていて感じるのだが、フォームは確かに大事だが、余りにそれにとらわれると結果が良くない。自分の中に無限力、無限智があるのであるから、その時に最も適切なフォームは臨機応変に自ずと内側から出て来るのである。

 生長の家の生き方にも色々な生き方がある。今に集中せよとか朗らかに笑って生きよとか美点のみを見て、欠点を見るべからずとか色々ある。それは主に聖典「生命の実相」第7巻に出て来るのだが、ともするとこの7巻ばかりで他の部分がおろそかになっている人がたまにいる。榎本先生はよく「1巻から6巻までの信仰があって、その現れとして7巻がある。この流れを無視してはならない」と仰っていた。

 要するに生長の家の生き方は「人間神の子、そのままで完全円満、無限力」の信仰があって、初めてそれが形となって出て来たものであり、形だけフォームだけ真似て、それで良しとしていてばそれはその形にとらわれてしまい、身動きがとれなくなるのである。

 どんなに良い事でもとらわれたらいけない。とらわれるのは我(が)である。完全円満なる神が内側から自ずと出て来て、自ずと良き事が行われる。

堀 浩二
by koujihori | 2009-06-30 12:25 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented at 2009-06-30 21:53 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by koujihori at 2009-07-01 08:42
シークレットコメント様

 さあ?何も聞いてませんね。
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