全力が神である。

 最後迄、耐え忍ぶ者は救われんという言葉が示す様にものごとを成就させようとする時、たゆまない努力、屈しない継続力が必要なのである。中々成果が表れなくても屈しないで努力を継続するもののみその先に必ず素晴らしい成就を見いだす事が出来るのである。
 真に価値あるものは深い所に埋めてあるとはそういう事であり、努力しても努力しても中々成果が現れず、それでもまだ努力する様な不屈の魂の持ち主であればこそ、真の価値ある宝を掘り当てる事が出来るのである。

 それは真に価値あるものが不屈の精神、継続力、真剣さ、全力そのものの事であるからであり、それこそが実相即ち神の事である。そして、それは実相が自分で出て来たのである。

 それは反復練習をする事でそれが潜在意識に浸透して、ものごとが成就するというのではない。一つの事が成就する、大発見する、実相が顕現して素晴らしい能力が発揮されるというのは単に反復練習を沢山するという事ではなしに反復練習せずともそのままで完全円満、無限力の宝庫を自分の中に発見するという事である。そして、それを発見する作業があらゆる努力という事であり、求道という事であり、修行という事であり、その懸命に努力し、しかもそれを不屈の精神で継続するという事が神の全力という事なのである。その全力そのものが神であり、その中で吾等の「そのままで完全円満の生命」の発見がある。
 繰り返すがそれは我(が)の努力ではなくて、実相が実相して自分で出て来たのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-07-13 12:14 | 信仰 | Trackback | Comments(4)
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Commented by koujihori at 2009-07-14 09:25
志村さん

 ごもっともですが、あなたのこのコメントと私の今回の文章とどのような関連があるのでしょうか?
Commented by koujihori at 2009-07-14 22:43
志村さん

 あなたは私に教示しようとされているのですね。お気持ちは嬉しいのですが多分、私にはあなたの教示は不要と思います。

 それから真理というのは色々な面と説き方があります。あなたの仰っている事自体は間違いでも何でも無いと思います。でも、今、その事を私にこの文章に対するコメントとして言うのは適切ではないと思います。
 あなたの仰っている事もそれ自体ある意味真理ですし、私の今回の文章はそれとは視点が全く別の真理を説いています。手前みそですがそれなりに意味がある事を説いていますのでその事の意味を受け取って下さる事を希望します。
Commented by 私ですよ at 2009-07-15 00:29 x
「誰だって相手にとっては自分は脇役・・・」
コノ言葉を考えて謙虚になりましょうね。

ちょっと講師になるには早過ぎましたね。
Commented by koujihori at 2009-07-15 11:16
「私ですよ」さん

 私は志村さんのコメントに対して、自分の言っている事のみを主張して謙虚になっていないのではないですよ。真理の説き方は色々あるし、色々な角度から説かれますが、今回、私の意図した真理の一つの説き方と志村さんの説いた真理とは視点が違うから、それを私への今回の文章に対するコメントとしてはふさわしくないと言っているだけです。

 それから私が今回、割合強い言い方で志村さんに返事したのは生長の家と言うのは相手を不完全な分かっていない救われていないものとして、それを自分が生長の家の真理で救ってやろう、教えてやろうという教えではないという事を表現する為です。
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