2009年 02月 10日 ( 1 )

自分の願いが神の願いである。

 吾々は各自、願いを持っている。もちろん、それは幸せになりたいという願いである。そして、それに含まれると思うが特に女性だったら、もっと綺麗になりたいとか男性だったら、もっと能力を出したいとか色々あるだろう。その他、あの大学に入りたいとかあの会社に入りたいとかあると思う。

 私は願いというものは神の願いに一致したものではなくてはならないと思っていた。何故ならば、自分の心が清まっていなくて、まだ物質的であるならば私の願いは物質的、利己的であって、それは我(が)の欲望に過ぎないものであるから、そんなものは迷いであると思っていたし、私はまだまだ自分の願いが神の願いである自信が無かった。

 例えば、自分は自分の能力を伸ばしたくて仕方がなかった。それで英会話とかの勉強もやりたくて仕方が無かったが、そんな事を考える事が利己的な気が良くしたものである。それは神様の事を第一にすべしと生長の家で教わっていたのであり、そうなると自分の能力を伸ばす為の勉強なんて利己的な事に感じたのである。そんな事をしている暇があったら、愛行にいそしむべきだし、ましてやビデオとか映画なんて観ている暇があったら、いつかシコク嫁さんもちらっとブログで書いていたが、講習会の参加促進家庭訪問しなくてはならないのではなんて内心思ったものである。

 それと私は子供の頃から家に卓球台があったので卓球に慣れ親しんで来たが、大学に入ってからさあこれからたっぷりキャンパスライフを満喫しようと思っていたら、体育の授業でテニスを選択し、それ以来、テニスの魅力にはまってしまった。当時は現在の様にラケットが進歩しておらず、面の小さい木のラケットしか無かったのでテニスでボールをまともに打てる様になるまでは最低3年はかかると言われたが私は熱心にテニスのレッスン書を買って来て、一人で練習している内に丁度テニスを始めて3年目の時に「インナーゲーム」というあるテニスのレッスン書に出会ったのをきっかけに急激に上達し、それ以来、本当にテニスの虜になってしまったのである。

 しかし、当時私は東京の生長の家青年会に入会したばかりで程なく池袋単位青年会の委員長を任され、青年会の運動をする様になったが、それは前述の様に自分の時間を全て、神様のご用事に当てなければ良心の呵責を覚える様なものであったので、私はテニスをしたい、その技を極めたいという強烈な願望を持ちながら、そういう願望を自己否定する精神状態でその後、十年以上も青年会運動を続けたのである。
 人間、これをやってはいけないと思うとその思いは反作用でますます強くなるものであり、私はたまにテニスをやりながらも心の奥底でそれは神に赦されない利己的行為であると自分を裁いていたのである。そんな状態では人間は精神的に持ちこたえる事は到底出来ないものである日、私の信仰生活は破綻を来たしてしまったのである。
 それが今まで何回も紹介させて頂いている事で自律神経に支障を来す様になった。今から13年前の事であるが、それがきっかけで宇治の私の尊敬するA先生の元に導かれ、その時、先生に素直に私の信仰の軌跡を全て吐露したら、先生は「テニスは大いにやりなさい。あなたの現在の切なる願いが神の願いなんだよ。」とご指導下さったのである。私は今まで、テニスだの英会話だのなどは生長の家の神様のお役に背くものであると思い、自分で自分の願いを否定し、そして自己処罰していたのを一気に神に赦された気になり、それで救われたのである。
 私はその時、現在の自分が神であるという事を悟り、同時に全ての人類、存在が既に救われている存在であるという事が分かり、これから救う必要が無い拝むべき尊い存在であるという事が分かったのである。

 吾等は神であるから、吾等の現在の切なる願いが神の願いであるのである。それをまだ駄目だ、まだ自分の心は完全に清まっていないなんて考えるから自分の願いに自信が持てないのである。そんな事を言っていたらいつまで経っても自分の心が完全に清まる時など来ないのである。自分の切なる願いが今、そのまま神の願いである。そして、それは既に実現しているのである。

 私はテニスとか英会話を全力でやらせて頂いているお陰でどれだけ、真理に関する学びが出来ているか分からない。その分かった事がどれだけこうしたブログとか誌友会の講話で役に立っているか分からないのである。それは既に神により全宇宙が救われているという悦びから来るのであり、その悦びを素直にこの場や誌友会の講話の場なので披露させて頂いているのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-02-10 13:01 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(6)