2017年 03月 03日 ( 1 )

悟り及び実相顕現というのは実相が自分で出て来る事によりのみ成就する。

 迷いは悟りの基礎工事です。人間の本質は完全円満でありかつ悟りそのものです。悟りというのはこの世界は実相独在であって完全円満で無限力の神が宇宙の隅々までも行き渡り生きとし生けるもの全てを内側から生かし、人間はその神の最高表現であり神の万徳を備えたものであり、全ては神に於いて一体の生命であるという真理をそのまま実感している事であります。
 それは叡智であり実相そのものであり久遠の生命であり無限の叡智でもあるから悟りなのであります。

 人間の本質はこの久遠の生命の自覚そのもの悟りそのものであり、それは無限でありかつ無形です。そしてこの世界は表現の世界ですからその無限の実相生命が自ら表現活動をするのであります。それが無限生長という事ですがその表現活動をする事により無限の生命が有限化される。

 その表現のレベルというものは最初は稚拙な段階から始まる。そして試行錯誤する中で段々とその表現のレベルが上がって来る。その際、神の導きにより宗教的天才の指導でその表現の仕方、悟りを導かれる事がある。それがキリスト教、仏教等の世界的宗教というものだ。 

 しかし、本質的にはその本人の内側にある実相即ち無限の叡智なるものが自ら表面に出て来る活動により実相が顕現し、無限の叡智即ち悟りも自ずと出て来る。
 その際、必ず迷いの段階を経る。迷いというのは自己の生命の実相を悟らず迷った状態であり、そこで色々の苦しみも味わう。その中で病になる事もある。しかし、それらは実相即ち本物の悟りが無限生長する事により自分の力で自ら自己表現して現象世界に出て来る過程の中での基礎工事なのだ。
 その悟りが自分で出て来る過程では先達の指導により導かれる事があるがそれは本当はその本人の生命の実相、悟りが自分で出て来る際に先達や師の指導という形を取って現れたものである。

 従って悟りというのは何か自分の我(が)の励みにより我(が)が罪悪深重の凡夫の上に構築して行くものではなくて自己の中の悟りそのものが自分で表面に出て来る事によりのみ成就するのであって、その営みは実相そのものが自分で出て来るという事であり、その過程に於いて迷いというのが悟りの基礎工事として出て来るのである。

 よって、全ては完全円満でそのままでよいという悟りが自己の中から出て来る過程においてこの世界は不完全であり不幸と病と悪が満ちている世界であるという迷いが出て来て、それにより病になったりの苦しみが悟りの基礎工事として出て来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2017-03-03 14:04 | 信仰 | Trackback | Comments(0)