2017年 11月 02日 ( 2 )

何に中心帰一か

「菩薩は何を為すべきか」には「人につくんではなくて神意につけ」という記述があります。生長の家の運動やってて、あの先生には自分はお世話になったからという事でその先生なる人が生長の家を止める様な事があっても自分はその人について止めてはいけないって事ですね。

 中心帰一が大事と言われます。それは自分の上の人に対してハイと中心帰一するという事ですがそれが「学ぶ会」とかはてはナチスなんかだったらどうですか?ヒトラーの言う通りユダヤ人を虐殺するのがハイの精神であり中心帰一でしょうか?それは違いますね。また同様に学ぶ会に入って学ぶ会の上の人からの命令で生長の家の信徒に変な総裁批判のファックスを送ったり、生長の家信徒を惑わして学ぶ会に入れるって事が中心帰一でしょうか?

 違いますね。ここは冒頭の
「人につくんじゃなくて神意につけ」って言うのが根本でここのボタンを止め違えるとどんどんその後狂って来るという事です。

 要するに本当の中心帰一は神様に中心帰一ですね。神意に対してハイです。

 それは雅宣先生ご自身が
「私の言う事に盲従してはいけない。自分で神に祈ってそれで心から正しいと思う事に従って下さい。」と言われてます。  
 
堀 浩二


by koujihori | 2017-11-02 13:13 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

我(が)が無くなるということ

 我(が)が無くなったら腹は立たないのである。人をうらやむ事も無くなるのである。人の成功を我が事の様に悦べる様になれるのである。そして恐れる事は一切無くなる。

 我(が)が無くなるという事は自他が一体であると悟る事である。そして人類全体が今その時期にさしかかっているのである。地球温暖化はそれを人類に促す観世音菩薩のお示しである。自他一体の思いやりの世界、地上天国がもう出て来る時期に来ている。今の世界の渾沌状態はその前段階、自壊作用である。

堀 浩二



by koujihori | 2017-11-02 09:50 | 信仰 | Trackback | Comments(0)