カテゴリ:社会生活( 66 )

真の情報を得るには。

 世の中には色々な情報が溢れています。新聞、テレビ、ラジオそしてインターネット。新聞を始めとするマスコミは為政者によって大部色づけされる部分があるし、インターネットに関しては玉石混淆です。

 その中で吾々は如何にして真の情報を得たら良いでしょうか?それは神様から得れば良いのです。もっと単刀直入に言えば神様は吾々一人一人の中にいらっしゃるのだから、自分の内側の智恵に委ねれば良いという事になります。要するに本当の智恵は自分自身であるという事になります。
 しかし、肉の自分の声に耳を傾けてはなりません。それは偽物の自分だからです。自分自身と言っても自分の中にある神様の事です。そこに聞けば真の正しい情報、要するに真理を知る事が出来ます。
 その為に瞑想をする。生長の家では神想観があります。そうして日頃から神様にアンテナを立ててその声を聞く習慣をつけていれば真の情報は分かるという事です。
 しかし、それは自分以外の人の言う事を聞くなという意味ではありません。自分と他の一切は神において一体ですから自分の中の神様は他の誰か、教えの師であるとか何かの先生であるとか同僚であるとか仲間であるとかそうした人、そしてもの、事を通じて吾々に真理のメッセージをくれる事はいくらでもある。そのどれが正しいかは自分が日頃から神様に心の波長を合わせていれば直感的に分かるはずです。 

 生長の家の信徒であるならば生長の家の大神の教えは生長の家総裁・副総裁を通して現れるのですから生長の家総裁・副総裁のご指導から真の情報を得る事になります。

堀 浩二
by koujihori | 2016-11-10 16:08 | 社会生活 | Trackback | Comments(0)

信仰は鍛えられる。

 今朝のラジオで日ハムの栗山監督の事が採り上げられていた。監督というのは孤独な仕事だという事でけっこう苦労しているという逸話。今年は一年契約だったそうでそれで日本一を成し遂げたのは穏やかな笑顔の奥はかなりの芯の強さ、精神力を伺わせるとのアナウンサーのコメントだった。

 しかしながらこの精神力、宗教的に言えば信仰の深さだ。それは自分の運命は絶対に大丈夫だという強い信念。キリストはラザロが死んだ時、「死せるにあらず、眠れるなり。起きよ、ラザロ」と言ってラザロを蘇らせた話が聖書に載っている。そして弟子達が人の病気を治せなかったのに対し「汝ら、信仰薄きものよ。」と嘆いておられる。

 ここまで行かなくても精神力、逆境に負けない持続力というのは大事だ。目に見える結果とかをすぐに求めるのではなくて結果が出なくても内側の可能性を信じられる精神力、それに伴う持続力が大事。

 しかし、これをすぐに今の自分に求めるのは厳しいだろう。誰だって逃げ出したくなる事はある。諦めたくなる事はある。しかしながらそうした精神力を今すぐ持てなくてもそれを鍛える事、トレーニングして行く事は誰でも出来ると思う。それは100回の腕立ては今すぐ出来なくても10回位からトレーニングして行く事は誰でも可能だというのと同じ。そしてトレーニングの成果は必ずある。だから有り難いのである。

 それを鍛えるのは人生における課題だがそれはその人のその時のレベルで必ず出来る問題しか与えられない。これはそうなのです。
PS 要は諦めない事だよ。


堀 浩二
by koujihori | 2016-10-31 10:45 | 社会生活 | Trackback | Comments(0)

人間は単独では力を発揮する事は出来ない。

 人間は実力と共に人間関係というのが非常に大事だ。これは政治的に強者に取り入る事により自分の地位を固めて行くというのとはちょっと違う。

 人間は己の力だけでは本当に力を発揮する事は難しい。いくら自分に素晴らしいセンスと力量があっても人とのコミュニケーションに乏しければその力を発揮する場を与えられる事も無ければ必要なアドバイスとか助力を得る事も出来ない。
 それは人間は元々単独の生き物ではなくて全体と一体の存在であるからだ。要するに肉体という個体ではなくて心的霊的存在であり、他や全体と一体になって関わりを持つ中で初めてその存在価値が光り、その個性も才能も生かせる。

 だから常に人に対して感謝とそしてその相手が困っている時は自分に出来る助けを施す事が大事だ。
 その為にはこの世界が実は自他一体の世界であり、それは神において自他一体であり、この世に自分の冒す存在は実は存在しないのであり、何か自分に害するものが見える場合は自分にそうした心があるのを映してくれているだけであると知る事が大事だろう。 

堀 浩二
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by koujihori | 2016-08-08 12:23 | 社会生活 | Trackback | Comments(0)

今何をしたらよいか?

 自分のやるべき事が分からないと嘆くなかれ。自分が今、何をどの様にしたら良いかという事は全て内側の神が教えて下さる。自分の中には完全円満なる神が宿っているのである。そして、それは無限生長していると共に無限の働きをするのである。従って、吾等の中の神は常に内側から悦びをもって働いているのである。
 だから、自分はその内側からの神の導きに素直に耳を傾ければ自ずと今為す事は明らかになるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2015-11-12 13:33 | 社会生活 | Trackback | Comments(0)

自分が何に向いているかが今分からなくてもとりあえず今目の前の事を一所懸命やってみること

 「浩二は何に向いてるか分からないよ。」

 これは私が父の会社に入りたての頃に父が私に吐露した嘆きの言葉だ。

 私は大学は経済学部経営学科を出た。要するに専門的には会計が本旨の学科だ。私は大学四年の時に簿記三級を取り、それから就職は機械商社に入った。これは父が機械メーカーをやっているので将来父の会社に入る事を念頭に入れての選択だった。
 私はその会社を三年で辞め、父の会社に入った。そして最初は営業に配属された。しかし、私は元々文系。機械知識に関しては乏しく、理工系の素地も無いのでコンプレッサという割合、機械的知識、理工学的素養が無いと困難な営業をやるには非常に四苦八苦した。高専卒の廻りの先輩社員の方がよほど製品知識、機械知識、理工学的素養に長けていたので私は非常な劣等感を持った。
 その時だった。冒頭の父の言葉があったのは。

 私自身も人生の迷路に迷い込んだ様な気がして途方に暮れたものだ。私は元々会計方面をやる為に父の会社に入ったので程なくして営業から総務経理に移った。それが30歳の時。そして、経理担当の女性の上司の下、その後7年ほど経理総務の仕事の下積みをした。その間、簿記は二級を取得し、字が汚いという指摘があったのでペン習字教室にも通った。その間うだつの上がらないのは相変わらずだった。

 その後、私の人生はますます急降下して行き、どん底になった。そこで人生上のかなりの試練を味わったがそこから復帰した後、程なくして女性の上司が退職して私が経理総務の責任者になった。その辺りからだ。自分の天分がようやく分かって来たのは。
 私は組織の管理経営要するに組織のコーディネーターに向いていると確信するようになった。38歳の時である。

 そして社内で評価制度の導入、新卒社員の募集活動など今まで会社になかった事を新たに開拓し、かつISO9001の責任者などの仕事を経てその感をますます強くしている。

 現在は営業に関しても部長代理である程度の影響力を持っているがそれも三年間の機械商社での経験と二年間の今の会社の営業経験がものを言っている。

 だから、自分の今までの人生で無駄な経験は一つも無かったし、その時に自分に廻って来る事を一所懸命やっていれば必ずそれは将来の肥やしになるという事だ。

 自分が何に向いているかなどという事は若い時は中々分からず私などは30台後半でようやく分かって来た。私の場合はエンジニアとか会計専門という単純なくくりにならなかったので自分でも何が天分なのか分からなかったのだ。

 だから自分の天分が今分からなくても今目の前の事をとりあえず一所懸命やっていれば将来必ず自分の本分の役目と仕事に役に立つという事だ。

PS 人間は神に生かされた神の子である。内に無限の可能性を秘めている。そして個人個人にはその人でなくてはならない天分が誰にも必ずあるものだ。

堀 浩二
by koujihori | 2015-08-19 12:34 | 社会生活 | Trackback | Comments(0)

心を鍛える。

 心というのは鍛えられる。何事も繰り返し訓練により鍛えられる。筋力も脳力も。そして心の力、精神力も鍛えられる。繰り返し訓練によって。大事なのは自己の判断を信頼して、その通りどんどん実行する事だ。これで決断力が鍛えられる。それで失敗してもそれが新たな学びになる。勇気も同様に鍛えられる。怖じ気づく様な場面でも思い切ってずんずんやる。それを小さな所から繰り返して行けば勇気も鍛えられる。
 
 記憶力とかの脳力を鍛えるのは暗記するとかの訓練も重要だが、自分の判断と記憶を信じる事。何事も百パーセント確認してから動いていては駄目だ。7割位の確信があればそこから先はどんどん己の判断を信頼して、決断して実行する。
 これが判断力と記憶力を鍛える。確認確認なんて事をやって行けば自己の判断力と記憶力を使わないばかりかそれは裏に失敗する事への恐怖があるから、そうした恐怖心は血液中に毒素を生じさせる。それが脳細胞を破壊して脳を駄目にして行く。そして判断力と記憶力が駄目になって行く。
 
 精神力というのは「絶対に大丈夫だ」という自信力である。これは繰り返し訓練による自信力によるものもあるが根底には「この世界は全宇宙に満ちている大叡智と無限の力に支配されているのだから表面的に紆余曲析があろうとも必ず全て上手く行く。」という哲学に基づく大安心感がなくてはならない。
 田舎の暮らしとか自然の中で人間が育まれていた昔ではそれほど難しい哲学は無くても人間は「大自然と一体であり、その恵みに生かされている。」という自覚があったのでその大安心が何となくあったものだ。
 
 だが現代社会の様に都市化が進み、人間が自然と遮断された社会においては人間は大いなるものに生かされ育まれているという自覚に立つ事が中々難しい。孤独に置かれる。
 そうなるとこの大安心感が失われる。そこに現代において鬱病が蔓延している原因がある。

 自然環境を保全しなくてはならない理由がここにもある。

堀 浩二
by koujihori | 2015-07-28 15:39 | 社会生活 | Trackback | Comments(0)

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by koujihori | 2014-12-05 20:10 | 社会生活 | Trackback | Comments(0)

逆境の時は伸びている。

 自分ではすごく努力しているつもりなのに一向に結果が出ない事がある。私はテニスをやるがダブルスの試合をしても負けてばかり。自分としては相当、頑張っているつもりだったし、実力向上の為に努力もしていた。しかし、試合で勝てない。それは何故かパートナーがミスばかりする。そして、そんなパートナーも組替えして自分の対戦相手になるとそれほどミスせず、逆に良いプレイをする。

 しかし、そんな時に頑張るか頑張らないかが分かれ目だ。そういうつきの無い、結果のでない場合でもひたすら努力し、頑張っていれば裏では力は着実に伸びているものだ。私はその後、久しぶりに昔のテニス仲間とプレイする事があったが、その人達が私のプレイを久々に見るに
「堀さん、上手くなりましたね」
と讃嘆してくれた。結果が出ない中でも頑張って努力していた事が報われたのだ。

堀 浩二
by koujihori | 2014-12-05 20:04 | 社会生活 | Trackback | Comments(0)

人はどうして謝れないのか?

 テニスクラブの年配の女性のKさん。この人、昔は中々強かったんだけど数年前から極端に動きが悪くなって来て、今でははっきり言ってちょっとクラブのお荷物状態。どうしてそうなったのかは不明。私は健康上の理由と見てるが。
 
 それはさておき、この前、このKさんとダブルスの試合で組む事になったんだけど動きが悪いから相手から狙われる。それで失点を重ねるのだが、私としてはこのKさんのせいで中々ポイントを上げられないから当然あんまり面白くない。
 だが、我慢我慢でプレイしていたがある重要なポイントでボレーボレーの接戦になった。で、私が自分のボールだと思って「オーライ!」と大きな声を出したがKさんがそのボールに手を出し、これをミス。その為にそのゲームを落とした。
 で、Kさん、私に何も謝りもしないでさっさとコートチェンジ。ショットや判断のミスは良い。でも私が何より頭に来たのは私に何の謝罪もなかった事だ。事にその時は私が声を出していたにもかかわらず、ボールに手を出し、かつそれが相手のコートに返れば良いがそれで失点してゲームを落としたのだ。当然、パートナーである私に...謝罪するのが当然である。


 人はどうして謝れないのか?このKさんに限らず、悪い事、失敗をして人に迷惑を掛けても謝らない人間は多い。

 それはこういう事だ。悪い人間、駄目な人間というのは謝る事が出来ないのだ。逆に逆ギレして「何が悪い。悪いのはお前の方だ」となる。これは悪いから駄目だからこそ反省とか謝罪が出来ないのだ。

 反省とか謝罪が出来る人間は実は悪くも無いし、駄目でも無い。過去は悪かった、間違っていた、だが今は悟った、良くなったと自覚しているからこそ、過去の自分を省みる事が出来るのだ。
 だから、こういう謝らない人間を一概に責めてはいけないのだ。その人がこれから良くなる、悟る事を祈ってやるべきであろう。

堀 浩二
by koujihori | 2014-10-16 15:26 | 社会生活 | Trackback | Comments(0)

自分は何にむいているか?

 この間、中村雅俊がテレビに出てて
「僕は今この歳(63)になって、ようやく自分がこの職業(俳優とか歌手)で良かったんだなあと分かって来たのです。前はいつも「これは自分に向いてないのじゃ?」と思っていた。」と言っていた。

 人間、一人として無駄な人間はいない。葉っぱが同じ様で一つとして同じ葉脈のものが無い様にどんな人間でもその人でなくてはならない役割を神様が与えられていて、一人でも欠けたら神様はその表現を完成する事は出来ない。


 だから、人間は必ず「なにものか」になって行く。しかし、その過程では自分は何に向いているか分からない、職業を選んだとしても違うのじゃないかとか思う訳。それは自分の意識の次元が低いからだ。低いから自分の人生を俯瞰して見る事が出来ないからそう思う訳。しかし、「そのままで」どんな人間もその人間でなくてはならない役割と個性を生きているというのが本当の事だ。

 私も大学を出て、社会に入って10年以上は自分は何に向いていて何が使命であるのか働きであるのか個性であるのかという事が皆目分からなかった。
 私は大学は経営学科というのを出たが、知識的には簿記三級程度のもの。そして、機械商社に三年居て、その後父の会社に入ったが周りはみんな機械技術に優れていた。父の会社は機械メーカー。私は営業を二年やったが他の人に全然かなわない。私は文系であり、知識としては簿記三級程度。ホントに途方に暮れた。
 しかし、今となっては自分は組織の経営的な事が天分だったという事が分かる。私の進路は最初から全然間違っていなかった訳だ。でも若い頃は私は意識の次元が低かった為に自分の全体の人生の役割を俯瞰して見る事が出来ず、自分の才能とか役割が分からなかったのである。神様は私に組織の経営の才能を与え、それが開花出来る様に導いて下さったとしか考えようが無いのである。

堀 浩二
by koujihori | 2014-07-24 14:55 | 社会生活 | Trackback | Comments(0)