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ブルース・リーの思想

 
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 昨日、NHKBSで放送されたアナザーストーリーは素晴らしかった。ブルース・リーの側面を俳優として武道家として思想家、哲学者としての三つの面から入念に掘り下げたもので今までブルース・リーに関しては数々の特集番組や特集ビデオが作られたが恐らく最高レベルだと思う。
 そして私自身が何故この人にこれほど惹かれるのかという事の答えを見いだした様に思う。
 彼の映画の中での言葉、インタビュー、友人への手紙の中には数々の珠玉の言葉が残っている。それをいくつかピックアップしてみよう。
①考えるな。感じるんだ。(映画「燃えよドラゴン」より)
②型は持たない(映画「燃えよドラゴン」より)
③敵は存在しない(映画「燃えよドラゴン」より)
④水はあらゆる形になれる。ティーポットの中に入ればティーポットの形に。カップの中に入ればカップの形に。水の如くあれ。吾が友よ。(ドラマ「ロングストリート」より)
⑤人間はみんな本質的には平等なのだ。(友人であり弟子であるターキー木村への手紙より)
⑥人生は水の流れの様なものだ。人生は時には困難や嫌な事も訪れるが全ては水の流れの如くやがて流れ去るものだ。(友人であり弟子であるターキー木村への手紙より)


 ブルース・リーは旅芸人であり俳優である父の元に生まれ、幼い頃から子役として香港の映画界では既にスターであり、生来の俳優であるが同時にそれ以前に武道家であり、また思想家である。そしてそのレベルはまさしく天才レベルであり、私が思うに何百年に一人くらいの割合でしか出ない人物だと思う。

 先ずブルース・リーは既存の武道の型というものを超越しており、自由な発想で最も効果的な武道であるジークンドーを創設した。それは自分の中に無限を自覚していたからに違い無い。そこから来る叡智とインスピレーションを信じ、感じる事が出来たからこそそうした武道も創設する事が出来たのであり、それが①の「考えるな。感じるんだ。」という言葉につながるのだと思う。
 そしてその内側の無限のパワーを掘り出し開発する為に日頃の厳しい鍛錬は欠かさなかった。その結果、極限まで肉体を鍛え上げ、筋力と技をあのレベルまで到達せしめた。そしてその実力はあらゆる格闘家、全体重を通じて最強と言われるのである。
 それは重ねて言うが自分の中に無限を自覚していたからに違い無いのだ。
 そして、それ故に形にとらわれる事を嫌い、そこから②の「型は持たない」という言葉が出て来た。従って、人種の違いも本質的には無く、人類は皆一つの家族であると言う発想が⑤の「人間はみな本質的には平等なのだ。」という言葉になる。
 型は無いから各武道の違いも本質的には無い、人種の違いも本来無いから、皆人類は一つの家族という所から③の「敵は存在しない」という言葉が出て来る。
 そして、この人生は水の流れの様なものであり、全ての小事はそのままであれば洗い流されて行くものであるという⑥の言葉にはこの宇宙が一つの大きな生命と言うか気の流れであり、それは全ての不完全や矛盾を包み込み、自ずと洗い流してしまうものであるという哲学がそこに存在している。そして人間自身もこうでなくてはならぬという型とか執着を手放してこの水の流れの様に宇宙の大いなる全てを生かす力に身をゆだねよという考えは④の言葉に現れている。

 ブルース・リーがどの様にして若くしてこの様な高度な人生哲学、宇宙観、高遠な真理に到達したのかは私は分からないがそれは中国のタオ思想にその源流があるのではないか?ジークンドーのマークとタオのマークが殆ど同一だからだ。もちろんそのタオ思想を受け止め、理解し、それを自分のものにしていくにはブルース・リーに元々それだけの素養があったからだ。
 ともかくブルース・リーは真の天才であり、彼の思想こそが現在の人類に取って一大救済の鍵と考える。
 何故なら人間同士がいがみ合う根本原因は自分と相手とは異なる存在であるという考え方であるからだ。これは形が全てであるという唯物的考えが根本にある。人間はこの世界は宇宙は物質によりのみ出来ているという唯物主義であるならば自分と他とは異なる形であり、別物であるという考え方にならざるを得ない。そこから他者排斥が起こり、人種差別が発生し、他国蔑視の思想、他宗教攻撃、民族対立につながり、それが戦争の原因である。
 そして、それは人間と自然の対立であり、それが自然破壊と動物虐待につながる。そしてそこから発生するのが地球温暖化とそれが原因の昨今の異常気象である。
 それらは分割思想、唯物思想であり破壊思想、死の文化であり、戦争と自然破壊への道である。そして核兵器も原子核の破壊であるから唯物主義から来る分割思想そのものである。原発はその延長線上のものである。
 今、人類はこの唯物思想の死の文化により累卵の危機にある。これを救うのが形を超えた全宇宙に遍満している無限と完全への帰依であり、そこにそうした無限を通して全人類が一つであるという思想であり、キリスト教、仏教、イスラム教などの世界的各宗教が本来一つの形を超えた宇宙に満ちた真理を各宗教が時代と地域と民族に応じて出て来たものであり本来は一つのものであるという思想であり、人類と自然の動植物が本来一体であるという考えから来る所の真の地球環境保護運動である。
 そしてそれは私が信仰している生長の家の考え即ち人間は皆神の子であり、神において一体であるという思想、そして人類同士だけではなくて自然の動植物天地一切のものと本来一つであるという教え、又全ての正しい世界宗教と言えるキリスト教、仏教、イスラム教は宇宙の無形のたった一つの真理がそれぞれの時代と地域と民族に応じて現れたものであり、本来は一つの真理を説いた兄弟同士の教えであるという万教帰一の考えと全く同じである。

 ともかくもブルース・リーは主に映画を通してその思想は世界中に配信され、32歳という若さで急逝したのもその伝説を一層、世の人に伝える事にもなったのである。

堀 浩二
by koujihori | 2015-06-04 11:11 | 哲学 | Trackback | Comments(2)

人間が肉体ではないという意味

 人間は肉体ではない。それが真理であり、全ての事はそうでないと説明が行かない。肉体は道具であり、表現体に過ぎない。人間の本体は理念であり、それは永遠不滅のものである。

 全ては理念が原型である。そして、それは必ず表現を求める。そしてその表現は無限生長を求めるのである。それがものごとの道理であり、真理である。だから、人間は肉体ではないのである。

 そして、肉体の欲望即ち、食欲、性欲、睡眠欲は肉体を維持、継承させる為のものであり、それ以上でも無ければそれ以下でもない。それを第一に考え、拡大させれば、本末転倒であり、却って肉体の消耗を招く。そして終いには滅びの運命を辿る。

 だから、古代よりことに日本文化においては女性の肉体の官能的な部分は着物という衣服により抑えられて来たのである。帯により胸の膨らみを腰の帯の結び目は臀部の盛り上がりを目立たなくするものであった。古代の人々は多分に霊的な感性を持っていたのである。
 しかるに現代女性においてはミニスカートなど女性は出来るだけその肉体の官能的な部分をさらすファッションになっているがこれは肉体の欲望こそが人間の本来の願望であるという事のメッセージであり、人間は肉体であるという迷妄の現れなのである。

 精神文化的には人類は却って退歩しているのである。

堀 浩二
by koujihori | 2013-12-20 22:55 | 哲学 | Trackback | Comments(0)