カテゴリ:信仰( 862 )

感謝は我(が)ではなく吾が内の神が行う。

 感謝というのは我(が)がやるのではない。赦しも同様である。感謝も赦しも既に神の責任において為されている。それは既に自他一体だからである。 

 感謝は既に完成している。赦しも既に成就している。その内なる感謝と赦しが自ずと出て来て感謝の祈り、和解の祈りになるのである。 
 感謝と和解と赦しは吾が内の神が行う。我(が)ではない。 だから「そのまま(実相)でよい」のである。

堀 浩二

by koujihori | 2017-12-18 12:21 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

迷いの文化が滅びる際にその相手の実相を拝まなくてはならない。

 今、世界の至る所で唯物論の終焉を迎え、本物の霊的文明のうねりを迎えつつある。
 終焉を迎えているから却って巨悪天を衝く状態になって本来でないものが盛んになっている。終わりを迎える時は蝋燭の火の様に却って勢いが盛んになるからだ。

 しかし、霊的文明の担い手である善意の人達は唯物論即ち迷いの文化の担い手に対して裁いたり糾弾するのではなくてその実相(現象の奥になる完全円満の生命)を拝んで愛さなくてはならない。
 そうでなければ善と悪の闘いで悪を滅ぼせみたいなハルマゲドン即ち終末思想と同じになってしまうからだ。

 悪はナイ。ただ迷いの自壊作用というのはある。今がその時である。

堀 浩二


by koujihori | 2017-12-15 16:30 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

人を変えたくば自分が変わるしかない。自分が変わりたかったら悟るしかない。

 意地悪な嫌な事言う人間というのは実は本当に存在するのではなくて全て自分の意地悪な嫌な心を映す鏡である。
 それが仏教で言う所の五蘊皆空(ごうんかいくう)、一切は空であるという意味である。
 それでは何故自分が意地悪なのかと言えばそれは自分が不安だからである。不安だから人に意地悪をしたくなるし言いたくなる。だから、自分が大安心の心になるしかない。
 それには一切の現象はナイ。従って悪もナイ。そして真実存在するのは完全円満の理念の国でありそれは吾が内にあると悟るしかない。
 それがキリスト教で言う所の「神の国は吾が内にのみあり」という意味である。

堀 浩二

by koujihori | 2017-12-12 10:54 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

真理は吾が内にのみあり

 生長の家に個人指導ってあるでしょう?これ良いんですがちょっと気を付けなくちゃいけない。それは聖経「甘露の法雨」には
「神の国は汝らのうちにのみあり。外にこれを求める者は永遠にこれを得ることあたわず」ってありますよね。

 人に「教えて下さい、教えて下さい」って求めるのはこの「外にこれ(神の国)を求める者」という事になる訳です。

 神の国とは真理の事。神の国は汝らのうちにのみありって言うのは真理は汝らのうちにのみありという事でもあるんです。

 自分の中に真理がある。解決がある。それが迷いはナイという事ですね。 

堀 浩二


by koujihori | 2017-11-30 13:06 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

生長の家をやり続ければ実相が出て来て悟る。

 テニスもコーチとかに色々とテクニックを学び、練習したり、ゲームをしたりする。でもそれですぐ、本当に上手くなったり強くなったりする訳ではない。でもそうした地道な努力、過程を踏む中で自分の中の実相が自分で出て来て本当に上手くなり強くなる。
 生長の家も同様だと思う。最初は色々と教義を学び行をするがそれですぐ実相が顕現して悟って素晴らしくなる訳じゃないです。でもその中で生長の家を地道にやり続けて行くと実相が自分で出て来て悟り、実相顕現し、素晴らしい事になる時が必ず訪れます。

堀 浩二

by koujihori | 2017-11-14 12:48 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

真理は吾が内にのみあり

 教えを外に求めるな。徒に生長の家の講師の個人指導にすがろうとするな。自ずと内側から湧き起こって来るまで待て。しかし、それは何も自分のインスピレーションだけに頼れという訳ではない。人からの教えや本に書いてある事でもそれが自然の流れで自分に真理を示す場合があり、それは自分の中の真理が人から与えられるという形式で出て来たのである。

堀 浩二

by koujihori | 2017-11-13 15:25 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

真理は吾が内にあり

生長の家の信仰で一番大事で肝なのが
「真理は自分の中にある。」という事である。それは人間は神の子であるという事に他ならない。そしてキリストが言われた
「汝らの内にのみ神の国はあるなり。」という言葉そのものである。

 神とは真理の事である。従って神の子の自覚とは自分が真理なりの自覚である。他の何ものにも頼らない自立の自覚である。

 その自分の中の真理に
「何を今どう為すべきか?」という答えを求めるのである。

 しかし、それは自分以外の何物も信じないという事ではない。自他一体であるから他の人、師、そして弟子、子供からもいくらでも神のお示しがある。

堀 浩二


by koujihori | 2017-11-07 14:24 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

何に中心帰一か

「菩薩は何を為すべきか」には「人につくんではなくて神意につけ」という記述があります。生長の家の運動やってて、あの先生には自分はお世話になったからという事でその先生なる人が生長の家を止める様な事があっても自分はその人について止めてはいけないって事ですね。

 中心帰一が大事と言われます。それは自分の上の人に対してハイと中心帰一するという事ですがそれが「学ぶ会」とかはてはナチスなんかだったらどうですか?ヒトラーの言う通りユダヤ人を虐殺するのがハイの精神であり中心帰一でしょうか?それは違いますね。また同様に学ぶ会に入って学ぶ会の上の人からの命令で生長の家の信徒に変な総裁批判のファックスを送ったり、生長の家信徒を惑わして学ぶ会に入れるって事が中心帰一でしょうか?

 違いますね。ここは冒頭の
「人につくんじゃなくて神意につけ」って言うのが根本でここのボタンを止め違えるとどんどんその後狂って来るという事です。

 要するに本当の中心帰一は神様に中心帰一ですね。神意に対してハイです。

 それは雅宣先生ご自身が
「私の言う事に盲従してはいけない。自分で神に祈ってそれで心から正しいと思う事に従って下さい。」と言われてます。  
 
堀 浩二


by koujihori | 2017-11-02 13:13 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

我(が)が無くなるということ

 我(が)が無くなったら腹は立たないのである。人をうらやむ事も無くなるのである。人の成功を我が事の様に悦べる様になれるのである。そして恐れる事は一切無くなる。

 我(が)が無くなるという事は自他が一体であると悟る事である。そして人類全体が今その時期にさしかかっているのである。地球温暖化はそれを人類に促す観世音菩薩のお示しである。自他一体の思いやりの世界、地上天国がもう出て来る時期に来ている。今の世界の渾沌状態はその前段階、自壊作用である。

堀 浩二



by koujihori | 2017-11-02 09:50 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

今ここがそのまま神の国であり自分はたった今神である。

 生長の家の教えで自壊作用っていうのがあるでしょう?病気とかは過去の迷いの心の自壊作用だって事でだからある人は
「私は今自壊作用の時ですので」とか言う。

 また実相が現象に顕現するのは時間が掛かるから、自分は実相は完全円満ですが現象はまだ不完全だからどうのこうのと言う人もいる。

 それから自分の病の原因は誰かを怨んでいる心だからこれを何とかしなくちゃいけないって言う。

 こういうのは全部、駄目なんです。現象にとらわれている。続々甘露の法雨には
「病無ければ病の原因も本来無し」と書かれている。そして「汝らまっしぐらに神の子完全円満を自覚せよ」とある。

 実相世界は今ここにある。自分は神である。たった今。これ以外に自壊作用だのまだ実相が顕現していない現象の自分なんて無いのです。そして病の原因の人を怨む心も無いし、第一怨む原因となる悪い相手も無い。

 ここの所が生長の家の神髄であり肝要な所です。

 繰り返します。

 実相世界は今ここにある。自分は今神の子完全円満、無限力である。そう自覚してこそ実相が実際のものとして初めて顕現を始めるのです。そしてそこから無限生長が始まる。その自覚で生きて行く事が本当の訓練です。

堀 浩二


by koujihori | 2017-10-30 11:51 | 信仰 | Trackback | Comments(0)