カテゴリ:信仰( 829 )

心の法則だけ学んでも駄目

 私は高校一年の時に生長の家高校生練成会を受けた。夏と冬と二回受けた。当時は五泊六日位のたっぷりとしたものだった。

 で、この二回の練成で一番印象に残ったのが講師のこの言葉
「思ったら思った通りになる。」の一言。

 私は生高連の人からの誘いを断り、自分一人で生長の家を勉強しようとした。それで練成会のテキストだった「真理」とか「こうして善を実現する」を毎日自宅で読んで考えている内に勉強が手に付かなくなってしまった。
 一つの非常に大きな悩みが生じてしまったからだ。その悩みとは
「思ったら思った通りになるのなら悪い事を思ったらそれも実現してしまう。」というものだった。これに取り憑かれると悪い事を思ってはいけないと思いつつ悪い事を思ってしまう。そうするとそれが恐怖になる。恐怖するとその恐怖した事が実現すると思うからますます恐怖する。
 こんな負のスパイラルから私は学校の勉強が手に付かなくなり成績は見る見る下がっていった。担任の先生からも随分心配された。要するに表面的に見ると私は練成に行った事でノイローゼになり学校の成績も下がってしまったのだ。
 これは第一に私が生長の家の仲間との交流を絶ち自分一人で生長の家を分かろうとした事に元凶がある。生長の家は一人でやっても迷うばかりで却って危険である。それと心と身体のメカニズムを考えるにこれは心の法則を知ったと同時に心を明るく健全なものとする訓練が本来は必要だったのにそれが為されなかった事に原因がある。
 具体的に言うと吾々の心というのは脳髄から出る作用が非常に影響する。脳髄が健全なものであれば明るい楽観的なストレスに耐性のある心が出るが健全でないと暗く悲観的な恐怖心の過剰な心となる。そういう脳髄が心の法則だけ知れば「思ったら思った通りになるのなら悪い事を考えない様にしよう。」という事にとらわれ、恐怖するという負のスパイラルに陥ってしまう。

 心の法則を教えるのであれば同時にというかそれ以上に「人間は本来は神の子で完全円満であり、それを毎日の生活の中で言葉と表情と姿勢とで表現し、行動し、かつ神想観で深く潜在意識に認識させなくてはならない。」という所までやる事が大事だ。それがきちんと出来ていれば恐怖しない脳になるから心の法則を知っても「恐怖する事を恐怖する」なんて事は無くなる。 

 心の法則だけでは駄目、実相独在をより強調し、それを毎日行じる事の大切さを伝える事が大事だろう。

堀 浩二
by koujihori | 2017-02-01 15:37 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

心の影とか学びとかに引っ掛かってはならぬ。

「続々甘露の法雨」に
「色々と悟らせて頂きましたなどと過去の数々の迷いにとらわれるのは悟りとはほど遠き事」とある。

 吾々が観世音菩薩の御働きで自分の心の状態を知り、反省して改善するというのは良い。しかし、心の影だの反省だのにとらわれると足をすくわれる。本当の悟りとはほど遠い事になり、そこに安心立命は無いのである。

 そうした学びの中でも心の影もナイ、自分の過去の迷いもナイ、今ここそのままで完全円満であるという事を悟らなくてならないのである。
by koujihori | 2017-01-11 15:48 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

性格が変わる。

 昨日、ある年配の男性が
「堀さん、あんた丸くなったなぁ」としみじみ言ってくれた。とても嬉しかった。

 私は人の良い所そして現象の奥の実相を拝む様になってかれこれ数ヶ月経つがそのトレーニングがそれだけ人格を変えたのだ。多分、脳の構造も変えていると思う。
 もう不安も悩みも無い境涯に来られた。こんなのは生まれてから初めての経験。

 でもこれは私の我(が)が励んでいるのではなくて僕の中の実相が自分で出て来た結果なんです。実相が自分で出て来るという事がそれが我(が)じゃないという事であり、実相独在という事であり、実相が実相するという事ですね。 

堀 浩二
by koujihori | 2016-12-21 16:01 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

天地一切のものに感謝する。

 私は昔から生長の家の「天地一切のものに感謝せよ」という大調和の神示は素晴らしいが実行するのはかなり厳しいと思っていた。

 そりゃ、父母や配偶者に感謝するのは大事だし、変な話、そこがツボだからそこさえクリアーしてれば後は適当にしていれば良いと功利的な考えになっていたと思う。

 しかし、さっき、うちの会社の社員が役員室を勝手に私の許可無く使っていたので一瞬、イラッと来た。それでその社員に「今度ここを使う時は僕の許可を取ってね。ところでその会合は社員食堂じゃ出来ないの?」と質っした。

 その時ハッとした。私はこの社員に苛立っているがこれは天地一切のものに感謝していないと。
 一事が万事でいと小さきものに対する態度は即ち吾にしたのであると聖書におけるキリスト教の教えにあるが自分に取って親とか妻でもない一般の人やそれ以外の動植物に対してもどういう心持ちかは大事でそれは神に対するものと同じだと言う事を実感した。一物一切物であり繰り返すが一事が万事であるからだ。

 だから、天地一切は即ちどんな自分に取って小さな存在であってもそれは神に通じるという事であり、それに対して腹を立てたり苛立つ心は神に対して腹を立てたり不安に思う心と同じなのだ。

PS
私はその後、その社員(女性のIさん)が休んだ社員(男性のIさん)の為の研修をその社員だけの為にわざわざ時間を割いてやる為にその部屋を使おうとした事を知った。私はこの女性のIさんに対しては計算高い功利的な女性という認識だったから彼女を見直した。私が天地一切のものに感謝する気持ちになったらIさんの実相が私に見えて来たという事だと思う。

堀 浩二
by koujihori | 2016-12-20 13:45 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

生長の家を学ぶという事

 私はテニスをやっているがテクニック的な事で分かる時というのは相手と試合をしている時が多い。テクニックに関しては自分だけで考えたり本を読んだりしても迷いは深まるばかりで本当の事は到底分からないがテニスの仲間とかクラブとか対戦相手と試合している時に直感的に分かる。

 これは物事を学ぶ場合、自分一人の力では到底学ぶ事が出来ず、仲間とかきちんとした指導者の下でしか学ぶ事は到底出来ないという事だ。

 そこにはテニスならテニスの神様がいて、それがそこの指導者とか仲間との学び合いの中に現れてそうしたものを通して本当の事を教えてくれるという事だ。

 だから生長の家は本来の生長の家の組織で学び活動するという事がとても大事でそうした仲間や指導者と隔絶し、独りよがりの学びをしても道から外れるばかりだ。
 もちろん、生長の家を裏切った様な集団と接していれば悪い迷った集団とそれに相応の悪霊、迷った霊の惑わしを受ける事になってしまう。

堀 浩二
by koujihori | 2016-12-19 09:12 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

非道な事をする人間を憎んだり非難してはならない。

 目の前に非道な事をやっている人間がいる。しかし、決してその人間を憎んではならない。それは自分の心が映っているのだから。
 翻って、相手の実相を祈るべし。そして現象的にやるべき事があれば粛々とやれば良いのである。非道な事の犠牲者を助けるとか。 


 相手を憎む心で非難しても決して相手は良化する事は無い。悪と認められたのであるから。そしてその非難の心はこちらに又蓄積され、将来、再び更なる悪の姿となって相手は現れるであろう。そして自分自身の神性もくらまされ、病気にもなるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2016-12-14 13:20 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

今ここ完全円満の実相世界である。

 実相が完全円満であるという事を悟るという事は理屈ではないのである。その悟りは絶対のものであり、それこそ実相そのものである。そして、それは今ここにあるのである。

 それは全く無畏怖である。過去の迷いの念の自壊作用もナイ世界である。それを自覚、悟るが故にその実相世界が今ここにありありと展開するのが実感されるのである。心を良くしなくてはならないなんて恐怖もナイ。ありありと完全円満が実感されるからである。

 そして世の中にはその事しか存在しないのである。それは理屈ではない。 

堀 浩二
by koujihori | 2016-12-08 14:04 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

信仰や悟りは実生活の中で鍛えられる。

 信仰とか悟りというのはもうこれで良いという事は無い。「自分は神の子で完全円満であると悟った!」と思ってもその悟りは無限生長するのである。何故なら吾々の実相が無限であるからである。
 その悟りの無限生長は実生活の中で自分が作り出した問題により鍛えられる。その問題は必ずその時の自分に取って解決可能な問題しか出て来ない。だから安心して自信を持ってどんなに難題が出て来ても諦めず最後まで粘り強くそれにぶつかる事が肝要である。

 それにより自分の得た悟りも無限生長出来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2016-12-07 10:35 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

脳の損傷による恐怖心は克服出来る。

 脳細胞が自分の本体ではない。自分の本体は霊なる神の生命であり、その働きにより潜在意識を変え、それが肉体である脳細胞を変える。

 だから記憶力も判断力もトレーニング次第で向上出来るのであり、ノイローゼとか不眠症は脳の損傷によるものであるがその脳細胞の損傷による不安、恐怖の心もトレーニング即ち完全円満、無限なる神を信じ、その神に全託する事の訓練により脳細胞を修復し、不安の心を解消する事が出来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2016-12-07 10:21 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

自壊作用はナイ!

私が生長の家の宇治の道場の練成会に初めて参加した時の事である。榎本恵吾先生が主宰した座談会の時にある参加者がこう言った。
 「私は今、自壊作用の最中なんです。」と
 そうしたら先生はすかさず
 「皆さん、あんまり自壊作用に引っ掛からない方が良いですよ。」とご指導された。

 自壊作用というのは過去の自分の心持ちに間違いや迷いがあった場合、それが後から肉体の病気などに出て来て、それは過去の迷いが消える所謂自壊作用であるから良い事だという教えが生長の家にある。
 そうするとなまじ生長の家をかじっている人は現在、調子が悪いと「ああ、これは自分の過去の迷いの自壊作用なんだから」と思い、そして「だから今は力が発揮出来ない。調子が悪い。でもこれから心を浄める事によりこれから徐々に良くなる。」と何となくこう思ってしまっているのである。

 これは現象にとらわれているのである。実相以外に病念と病念の結果である具合を悪い肉体を認め、「今はまだ駄目だ。」と思う。これこそ現象にとらわれ、身動きが取れなくなってしまっている。

 今、実相独在であり、今完全円満である。今出来るのである。自壊作用はナイと一刀両断にしなければ永遠に立ち上がる事は出来ない。永遠に悦ぶ事は出来ないのである。
 
 それが雅春先生が悟られた「今立て!」という事である。先生はそれまでは実相は完全円満でも現象はまだ過去の自分の迷いの念が残っているから貧しい、財力が無いと思って生長の家を始める勇気が出なかったとお書きになっている。
 しかし、神から「今力は与えてある。今財力は与えてある。今立て!」と促され、その自覚の通り、現象的にはまだ弱い肉体、貧しい経済状態であったのにかかわらず立ち上がり、断固として「生長の家」誌一千部を発行し、そして生長の家が始まったのである。
 雅春先生が「まだ今は自壊作用で駄目でございます。」なんて自覚だったら永遠に生長の家は始まる事は無かった。

堀 浩二
by koujihori | 2016-12-06 14:06 | 信仰 | Trackback | Comments(0)