カテゴリ:信仰( 836 )

生長の家を信仰するという事

 人は何か病気とかで困り果てて生長の家の信仰をする様になる。しかし、生長の家の悟りを得るというのは容易な事ではない。生長の家をやる様になって病気が治ったりするのはその人が悟ったからではなくて、神がその人が病気が治った事がきっかけでその後、人類光明化運動を一所懸命やるようになると見定めて神通力で治して下さる場合がある。
 又、治らない場合もある。いずれにせよ、病気等で生長の家の信仰に入るのはその病気がきっかけで真剣に生長の家の信仰に入るのだから魂の面から見て素晴らしい事である。その中で病気が治らなくて霊界に行く様な事があっても信仰したり修行した事は無駄にはならない。その過程は来世以降で生長の家の悟りを得られる基盤ともになるのである。

堀 浩二

by koujihori | 2016-09-15 09:49 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

人間は肉体ではない。

 年齢的にここ数年色々な人の葬儀と火葬場に臨む事が多い。自分の父母、家内の父母、叔父叔母等々。
 火葬が済んで骨を拾う際、火葬場の人が
「これがのど仏でございます。」と必ず言う。何かのど仏に意味があるのか?と思う。で生前入れていた人工関節だとか人工骨なんかも顕わになって
「これはどう致しますか?」なんて火葬場の人に聞かれる。

 こう思うと人間の肉体なんてはかないものだなと改めて思う。最後はこんな灰になって小さい骨壺に入れられるのかと。

 そうなると生前如何に地位とか名誉とか強健な肉体を持っていたとしても最後はこんな風になってしまうという事だと人生が空しくなるだろう。そしてどうせ灰になるんだから生きてる内は出来るだけずるをしてワルをして人から奪い金儲けをして肉体的快楽をむさぼった方が良いなんて考えも出て来ると思う。

 しかし、これでは道徳地に落ち世の中は乱れかつ個人的にも人生に本当の意義を見出す事は出来ないだろう。また、そうした間違った人生観で悪い事ばかりしておれば悪業を積み重ねる事になる。

 人生は肉体が死んで終わりではない。人間は肉体ではなくて肉体を肉体の形に配列させている理念が人間の本体である。それは死んでも死なず肉体死後も永遠に生き通す。その理念の表現が肉体であり、肉体が失われた後はその表現は霊体として霊界でその表現活動をする。そして何回も生まれ変わり色々と学ぶ中でその内側の理念として存在する無限の可能性を徐々に表現して行く。
 それが人生である。そうなると人生に生き甲斐が出て出来るだけ人格と能力を高めようと努力し、その中から立派な生き方も出て来るし社会的な道徳も保たれて行くだろう。

堀 浩二
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by koujihori | 2016-08-18 09:42 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

実相独在の信仰は相手からの報いを求めない。

 信仰というのは肉体や現象を信じるのではなくて内なる実相を信じるものである。そしてその内なる実相は完全円満なものとして今ここにあるのである。そして自分は今このまま神の身であり、完全円満である。
 それを信じるのが生長の家の信仰であり、その信仰なら今すぐ悦べるのである。

 それに対して信仰したら現象が良くなるだろうと思って現象が良くなれば悦ぼう、感謝しようというのは現象や肉を信じる信仰であり、それは生長の家の信仰ではない。

 今、完全円満である。という信仰は結果を求めない。それは報いを求めない信仰である。だから、実相独在の生長の家の信仰を持って、それを実践している者は今悦べるばかりか相手に自分が施した事に対して何の報いが無くても絶望せず、報いを求めず、相手を憎む事もせず、ひたすら相手にただ与える事が出来、それを持って悦べるのである。
 そして相手の内なる完全円満の実相を観て愛せるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2016-07-27 09:31 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

私は今回の選挙でより一層、生長の家の実相独在の信仰を鍛える事が出来た。

 今回の選挙で私はかなりの危機感と不安を感じた。そして、一時は結果に対する絶望感に打ちのめされた。選挙でこんな思いになったのは生まれて初めてだ。

 しかし、私には生長の家の信仰がある。生長の家の信仰は今ここ完全円満の実相世界があり、その実相世界は必ず自分で出て来る。表面的にどんな事があろうともそれらは実相顕現の為の過程であり、長い目、大局的な目で見れば全て良き事であるというものであり、事実、私の半生はそういうものであった。

 だから今回、選挙結果が如何なるものであっても実相世界をそしてそれがいずれ展開する事をより信じられる様になった。
   
 私は以前は何となく安倍自民の手によって日本は戦争か天災がいずれかで壊滅的な事になりそこから立ち上がって本当の世界、実相顕現の世界が来るのであって、そうなるためには人類は日本はかなりの自壊作用を経なくてはならないとなんとなくそう思っていた。

 しかし、今回の選挙の危機的な状況で精神的にかなり追い込まれる中でそんな壊滅的な大惨事が起こるのではなくて実相世界がただ展開するのがこの世界であり、その直前は表面的に絶望的な状態に見える事もあるがそれも実相世界が展開する為に必要な事であると言う信念をより強くする事が出来たのだ。

 私は今回の選挙でより生長の家の実相独在の信仰を鍛える事が出来たのである。

堀 浩二
by koujihori | 2016-07-12 17:34 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

良くなる直前は一番悪くなる。

 実相が顕現するのは人間の我(が)の思惑通りには行かない。それは神様がご判断される事であり人智を超えたものであり、最も良い時期に最も良い形で実相は顕現する。だから、当座の事が上手く行かなくても決して諦めてはいけない。

 良くなる直前というのは一番悪くなる。そうした時に諦めないで努力を継続したもののみが栄光を手に出来る。今はその時である。

堀 浩二
by koujihori | 2016-07-11 10:46 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

問題はナイ

 問題は心につかまなければ今このままでナイ。
 生長の家の人で中々問題が消えないのは問題をアリと心でつかんでその問題を生長の家で解決しようとするからである。

堀 浩二
by koujihori | 2016-06-09 14:47 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

生長の家は病気治しの為の薬とか治療院ではない。実相が今ここにあり、何も問題はナイという事である。

 生長の家の神髄とは「今このままで何の問題もナイ」という事なのだ。今ここそのまま何の問題もナイ完全円満の世界であり、住む人は悉く完全円満であり、無限健康であり、大調和しているという事である。

 そして現象において何か問題があるような事が出てくるのは自分の心にこんな間違いとかがあるよという事を教えてくれる観世音菩薩の働きであり、それに従って自己の心を反省して改める事でより自己の中の実相が自分で出てくる事になる。それが「実相は自分で出てくる。」という事であり、それがとりもなおさず実相独在という事であり、「この世界には実相と実相が自分で出てくる事しかない」という事である。

堀 浩二
by koujihori | 2016-05-03 21:59 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

生長の家の生き方はどうしたら出来るのか?

 生長の家の生き方が出来る人は良いが自分は意志が弱く、信仰も足りないので出来ないという人がいる。私自身も「生命の実相」生活編の「取り越し苦労するなかれ」というのがどうしても出来なかった。
 しかし、神様は生長の家の生活法を実行出来る人間と出来ない人間と分けて造られたのであろうか?端的に言えば心の強い人と弱い人と分けて創造されたのだろうか?

 そんな事はありますまい。人間は神の子であり、完全円満であり、勇気そのものであり、無限力そのものだから全ての人は生長の家の生き方が出来るのである。否、吾々はそのままで生長の家の生き方そのものなのだ。

 それなら何故、表面的にどうしても生長の家の生き方が出来ない人がいるのであろうか?それは我(が)がやろうとしているからである。我(が)は本来存在しないからいくら力んでも何も出来はしない。ただただ内なる神が神する事でしか吾々は何も為し得ないのである。それならどうやったらその神が神する行動が出来るのであろうか?それは吾等の内なる神即ち実相は自分で出て来るのである。そして自分で出て来た実相が実相して生長の家の生き方が出来る。
 それは誰でもそうなのだ。そして我(が)が頑張ってあくせくしている状態も実は実相が自分で出て来る初期段階と言うかその迷いの状態が基礎工事となって実相が出て来る。
 それが「そのままでよい」という事である。

堀 浩二
by koujihori | 2016-04-12 10:01 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

生長の家は病気を治す所ではない。今ここそのままで完全円満の世界が存在しているという事である。

 生長の家は病気を治す所ではない。今そのままで病気その他の不完全が一切ナイ完全円満の実相世界がここにあり、それ以外の世界は存在しないという教えである。そしてそれを自覚すればそれが観じられ、その心の展開が周りに展開するという事だけである。

 病気が存在するとして生長の家という薬を用いて治すと言う事ではないのである。だから、どんなに恐ろしい病気その他暗黒が見えていようともどうという事は無い。それは始めから存在しないものを自分が勝手に心を歪ませて見ているに過ぎないという事だ。

 そして、その本当の完全円満の世界は自分の中の悟りが目覚める事によりのみ自ずと見える様になる。それは自己の実相が出て来る事によりそうなる。そしてそれが悟るという事であるがその実相も自分で出て来る。然るべき過程を経て。だから何も心配は要らない。 それが生長の家である。だから生長の家は素晴らしいのである。

堀 浩二
by koujihori | 2016-04-05 16:17 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

自分が良き人である為に

 自分が良い人であるにはこの世界が今そのままで良い世界であり、全ての人が良い人であると分からなくてはならないのである。
 自分が人の成功を心から祝福出来る為にはやはり、人の実相が善であり、素晴らしいと分からなくてはならないのである。
 自分が今そのままで素晴らしいと分からないから、自分に自信が無くて、その心はそのまま他人の悪を観る心であり、人の成功が妬ましくて仕方が無い心である。
 そして人の悪のイメージを集積させる事になる。それは自分の心を汚し、自分がそれでますます悪人になるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2016-03-30 17:03 | 信仰 | Trackback | Comments(0)