カテゴリ:環境問題( 9 )

対称性と非対称性

 スポーツにはコツとかフォームがある。しかし、それは全て言語による理屈で表現する事は出来ない。
 映画「燃えよドラゴン」で主人公リーが若い弟子に
「don't think! feel!(考えるな!感じるんだ!)」と諭したのと同じ事だ。

 要するにテニスのサービスでは肩を回す事、肘を使う事等のコツというかフォームがあるがそれが全てではない。言葉で表現出来ない勘所の様なものがある。だから理屈とか理論にとらわれても駄目だ。かと言って理論を抜きにしてもこれまた駄目。理論と勘というかフィーリングを上手くバランスさせる事が大事。


 要するにこれは全てに対して言える。これは人間の頭脳に右脳と左脳がある事がそれを象徴している。
まとめて見よう。
理論的な事-左脳、言語、デジタル、都会的、排他的そして非対称性
直感的な事-右脳、アナログ、自然、包容的そして対称性

 というくくりになるだろう。対称性というのは自他が一体というか例えば牛と人間だったら共通点はほ乳類であるという事、頭が一つで手足が二本ずつ等。要するに両者に共通の所を見いだし一体感を持つという事だ。
 またその反対に非対称性というのは同じく牛と人間だったら牛は単なる家畜で言語も持たないし、四つ足で人間とは異なる部分が沢山あり、だから牛と人間は共通ではないバラバラの存在であるという考えだ。

 でこの左脳的働き、非対称性も右脳的働き、対称性もどちらも人間には必要であるという事。即ちスポーツとか武道のやり方も理屈の部分と理屈では表現出来ない勘の部分と両方ある様に。

 そして、現代社会は余りに左脳的文明に偏り過ぎている。そして都会偏重になり、自と他とが隔絶し、非対称性になっている。そして自然を軽視し、破壊している。そういう都会文明がいびつに発達し、自然を破壊している所に現代社会の最大の問題がある。
 それが現代の地球温暖化の問題であり、異常気象であり、人間も自然の一部であるから人間自体もおかしくなって近年、異常な殺人事件が多発しているのだ。

 今こそこの左脳偏重の非対称性の文明を脱却し、右脳をもっと活用し、理論ばかりではなくよくもの事を感じ、そして自然を大切に自然と共に生きる生き方を人類が取り戻さねば人類はこの先、生存不可能だろう。

堀 浩二
d0022373_22393979.jpg

by koujihori | 2015-08-26 22:39 | 環境問題 | Trackback | Comments(0)

足るを知る

 人間、「足るを知る」って言う事はとても大事ですね。何か現在の自分に欠乏を覚えて、「もっと欲しい」「もっと良くしたい」っていう風になるのは駄目ですね。
 今沢山の恵み、例えば空気、水、食べ物、衣服、布団などふんだんに与えられているのにそれに目を向けず、自分の小さな欠点に引っ掛かる。そして、それが容姿だったら、「私のこの目がもうちょっと大きかったら」とか「私のこの鼻がもうちょっと高かったら」とか「もうちょっと小顔だったら」とか思う。

 そして、それを良くしようとしてもそんなものいくら良くしても果てしがないのです。何故なら、現象世界は自分の心の影だから、自分が今与えられている神の恵みに気づき、感謝するという心にならない限り、又、不足の状態を映し出して悶々とする。

 今、ここが神の国である、今、自分が神の子完全円満であり、無限力である。この生長の家の真理が如何に尊い事か。そして、「これから信仰で先祖供養で良くしよう。そして良くなったらその時、悦びましょう」じゃなくて、「今そのままで神の子完全円満、無限力」という真理をそのまま受け取れば良いのです。そして、それを今悦ぶ。

 それが足を知る、一番のツボです。その信仰を拡げる事。その光の輪が拡がっていけば、人類の「もっと欲しい」「もっと良くしたい」「もっと快適に」という欲望追求の心、人から奪う心、人を妬む心は消え、地球環境は良くなり、原発の必要性も無くなり、愛に満たされた状態になります。

堀 浩二
by koujihori | 2012-08-07 12:30 | 環境問題 | Trackback | Comments(0)

新型プリウス

 この度、新型プリウス購入しました。4月半ばに発注して、納期何と3ヶ月半もかかり、ようやく先週の金曜日に納車になりました。

 燃費はカタログでは10.15モード38km/㍑ですが、まだ買ったばかりなのではっきりと分かりませんが町中で走って、24~26km/㍑位は行くとふんでます。
 ところで発注したのが発売日の約1ヶ月前でして、実際の車を見ないでカタログだけで発注したので5/18の発売日に店頭に並んだ本物を見るまでドキドキものでした。ところが実物を見て、ほっとしました。新型プリウスはハイブリッド車で燃費がいいばかりかデザインもかなり洗練されています。

 PS ところで本部のサイトにも登録しました。
 
堀 浩二

d0022373_133415.jpg
by koujihori | 2009-08-03 13:03 | 環境問題 | Trackback(1) | Comments(4)

日本熊森協会

 昨日、私の父の家に自然保護団体「日本熊森協会」の会長の森山まり子氏が来訪された。私もこの会の会員であり、同会の活動には大いに注目し、期待しているのでその席に同席させてもらい、色々お話を聞かせて頂いた。
 日本熊森協会というのは今から12年前に兵庫のある中学の理科の教諭である森山氏が発起人になって、発会した自然保護団体である。最初のきっかけは1992年11月にある「月の輪熊」ががりがりにやせて、山から降りてきた所をハンターに射殺されたという新聞記事を女子生徒が学校に持ってきて、氏に見せた事であり、それがきっかけで如何に現在の日本の奥山の森が荒れ果てて、熊などの動植物が棲めない環境になって来ているかという事を氏と生徒達が知る様になり、それが人間の経済第一主義のエゴによるものと気づいて、これは何とかしなくてはならないと実際活動を始める様になったのである。
 氏は日本の山地の原生的な本来の森というものが如何に動植物の生存を保証し、それが引いては日本の農業、漁業を支えて来たかという事を認識されたのである。
 そして、この日本の本来の原生的な森を破壊から守り、熊を初めとする動植物からなる生態系を維持して行かなければ、人類自体の存続も危ういと気づき、その為に精力的に実際の森林保護、そして熊をシンボルとした動植物の保護に取り組まれている。

 森山氏は中学校の教諭であったので自分は自然保護が大切であると気づいたもののそんな自然保護活動を自らやって行くなんて事は出来ればやりたくないと最初思っていたそうである。しかしながら、調べて行けば行くほど日本にはこのような問題に取り組む自然保護団体などというものが存在しないという事が分かり、それならば自ら立ち上がるしかないという事で「日本熊森協会」を設立し、現在は教職も辞めて、その活動に専念しているのである。
 そして、同会は現在は爆発的に入会者も増えて、会員は二万人を超えて、ますますその活動は活発になって来ているそうである。

 氏によると日本には実践活動を伴う全国組織的な自然保護団体というものが存在しないそうで、だからこそ、当時、一教諭であった森山氏が自ら立ち上がって、日本熊森協会を発足させたのであり、又、市や県などの行政が森林破壊(これは単なる開発による森林伐採だけではなく、シイ、ブナ、クヌギなどの広葉樹の原生林を伐採し、経済的目的の為に杉などの針葉樹をどんどん増やしていくという事である。)という事に対して、止めるどころかこれを積極的に進めているという事である。
 又、氏がある有名なエンジニアリング会社で自然保護について講演して欲しいと頼まれた時もそこの会社の幹部の言い分は自分たちはそんな自然保護など何ら関心が無いがヨーロッパの会社と貿易して行く中でこうした講演会、勉強会を年に何回かしなくてはならないから仕方なくてしてるんだと言ったそうである。

 氏の話を伺っていると今までの12年間の活動で分かった事は日本はだいたいにおいて、ヨーロッパなどに比べて、自然保護の意識が薄く、やっている者も自然保護活動と称して、その実、金儲けであったり、又、学者達も真の自然保護活動に取り組む者など皆無に近く、行政とか企業の単なるお抱え学者になって、研究費をもらったり、保身を図っているに過ぎない例が多いそうである。

 私は氏に「自分は実は生長の家というのをやっているが、生長の家が現在、一番力をいれているのが環境保護活動です。」と申し上げたら、氏はびっくりして、何で宗教団体がそんな事をしてるんですかと質問して来たので、私は「それは人類の危機だからです。」とお答えした。

 氏にしてみれば、12年間の活動の中で実にたくさんの心ない人間即ち環境保護、森林保護が如何に大事かという事を認識しようともせず、目先の金儲けばかり考える人間もしくは自然保護活動に乗じてそれを利用して自己の私服を肥やそうという人間を多く見てきたのだから、そんな一宗教法人が何の利害関係も無いのにそのような環境保護活動に一番力を入れるという事が理解出来なかったのだと思う。
 恐らく氏の今まで見てきた人間達の常識であるならば、そんな一文の得にもならない事に一所懸命取り組むという事が驚きだったのだろう。

 ともかく、生長の家が現在取り組んでいる環境保護活動というものが氏と話して見て、改めて大事な事であると認識出来た。
 そして、昨日は最後に京都の森の写真を見せてもらったが、その中で奥山の本来の原生林、即ちミズナラやシバグリなどの広葉樹が温暖化によって亜熱帯性のカシノナガキクイムシが広がった事によって、一気に枯れてきているという事、さらに、日本人が戦後、国策の中で植えて言った杉、檜などの針葉樹の青々とした人工林の内部が手入れもされず、実は大荒廃している様子を見る事が出来た。そして、その現象が日本全国で見られると言う。断っておくが、杉などの人間が戦後、植えた単一針葉樹は生態系を維持する機能は一切無いそうである。

 皆さんも記憶にあるかも知れないが四年前からやたらと月の輪熊が里に下りてきて、色々な被害を及ぼすので猟友会の人が射殺した云々という記事が目立つ様になって来たが、それは森に最近、以前よりも重大な変化が出て来て、森の木に実がならなくなり、それでえさが無くなった熊などが里に下りて来ているのである。
 そのようにそうした動物のえさになる実をつける広葉樹が何らかの原因で枯れてきているというのは私は地球温暖化による異常気象の一つであると思う。そして、そうした広葉樹の本来の森が破壊されて無くなって行く事は生態系の破壊を意味し、それが結局は山からの豊かな湧き水を失う事になり、人類滅亡の危機が迫って来ているという事なのだと思う。

 生長の家はその事にいち早く気付き、地球環境保護の大切さを十年以上前から訴えているのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-11-25 13:37 | 環境問題 | Trackback | Comments(9)

とらわれない(2)

 表面に出て来た言葉とか運動が真理そのものではない。生長の家の運動もその時々の展開の仕方が生長の家の本体ではない。それをその展開の仕方が生長の家の本体であると思って、固執していると駄目なのである。それは裏を返せば、自分の中に無形かつ無限の真理があるという事を解さないからである。だから、形に現れた真理の展開の仕方が真理そのものだと思ってしまって、その固定的考えから抜け出す事が出来ないのである。

 最近の生長の家では古くからの信徒さんが現在の生長の家の方針、主に環境問題を取り上げる事に理解を示さない人が少なからずいる。
 彼らはどうも、生長の家が変わってしまったと思っている様である。しかし、生長の家の真理の展開の仕方がその時代に応じて、変幻自在に変わるもの、また変わらなければならない事、そして、展開の仕方が変わってもその本質は永遠に変わらない生命の実相であるという事を理解していればこういう誤解は生じないのである。
 
堀 浩二
by koujihori | 2008-06-10 12:31 | 環境問題 | Trackback | Comments(4)

失敗は成功の元

 「失敗は成功の元」とは昔から良く言われる事である。我々は本当の事が分かる為には自分で先ず失敗して見て、こうしたらいかんのだと心の底から自分で実感する事により分かるのである。そのことについて生長の家の聖典「生命の実相」第22巻「聖語編」にはこうある。
 「他に行きつまらない道の方向を示すことはできるが、彼を行きつまらない道へ引っ張って行くことはできぬ。引っ張って行っても人間は救われるものではない。反対の方向へ行く者は行かしめよ。そこで彼は行きつまって、はじめてこの道は行きつまると悟って道がひらける。彼にとっては「行きつまる」ことそのことが救いの始めである。」

 この様に我々が本当の事が分かり、真理を悟るには他に導いてもらうのではなく、自分自ら経験して、失敗する事により悟るのであり、その事は映画「マトリックス」の登場人物モーフィアスの言葉「お前を真理への扉の前までは案内出来るが真理の扉を開くのはお前自身だ。」にも示されている。

 ところで最近の気候を感ずるにつけ、本当にちょっと異常である。昨日など昼間、外歩きしていて汗ばむほどだったし、その前の日では事務所で誰かがクーラーをつけていた。明日はもう11月だと言うのに、これはいくら何でも変だと思う。このままでは地球温暖化はもう後戻りが出来ない所まで行ってしまうという説もあるが、本当にこれは非常事態になって来ているのではないか?

 話はちょっと変わるが、最近、メディアを一番騒がせていたのが例の亀田問題である。それからそのちょっと前は女優の沢尻エリカに対するバッシングである。そして、その前は朝青龍問題と、この所、「水に落ちた犬は叩け」ではないが、問題を起こした人物をマスコミが執拗なまでに叩くと行った風潮が激しい。持ち上げる時は散々、持ち上げておいて、一旦何か不祥事を起こすと正に手のひらを返すような叩き様である。これはそうしたバッシング記事を大衆が好きであるから、その為、雑誌の売上とかテレビの視聴率を上げる為にこうした事が起こるのである。
 バッシングされた本人は精神的な追い込まれ方が尋常ではない様で殆ど皆、ノイローゼ状態になる様であるが、マスコミはお構い無しである。
 また、お笑いタレントは殆どと言っていいほどの使い捨てである。現在は「ドンダケー」のイッコが流行っているが、その前は「欧米か!」のタカアンドトシ、そしてその前は「フォー!」のハードゲイ、そしてその前は「残念!」のギター侍等々。ほぼ一年の使い捨てである。マスコミ他テレビ局はこれは売れるとなると徹底的に使い、ちょっとブームが去るとぼろ雑巾の様に彼らを捨てる。彼らの中にはじっくり売り出して、育てていけば、息の長い芸人になる可能性のあるタレントがいくらでも居たはずである。

 これらはその騒がれる本人の人権とか尊厳などは殆ど無視して、単なる金儲けの道具としてしか人間を見ていない現代の大人達の風潮がある。そして、それが環境問題と直結していると思う。若いスポーツ選手やタレント達の人間としての尊厳や可能性を見ずにそれを愛深く育てようとしないで手っ取り早い金儲けの道具しようという発想は自然の動植物や天然資源を慈しむ事が出来ず、それを手っ取り早い金儲けや快楽の犠牲に供しようという唯物思想と通じるのである。しかし、こんな事を続けていれば、地球はもう持たないだろう。その時になって、人類は本当の事が分かり、全ての生きとし生けるものが単なる物質ではなくて、神の尊い生命であったと悟るのだろうか。

 しかし、生長の家副総裁、谷口雅宣先生の仰られている様にこの地球温暖化という地球の状態が人間に本当の生命の価値を教える観世音菩薩の説法であるのであるならば、この状態こそが人類が真に悟り、救われる為の最後のチャンスという事になろう。失敗は成功の元であり、それは我々個々の人生にも共通しているのである。

堀 浩二
by koujihori | 2007-10-31 13:11 | 環境問題 | Trackback(1) | Comments(0)

人間は生かされているのである

 環境問題が叫ばれて久しいが、それがどれだけ各人に浸透しているかと言ったらちょっと疑問である。

 車のアイドリングストップの問題でもそれを気をつけている人は私の見る限り余りいないし、コンビニでも飲み物やパン等と複数のものを買うとそれをわざわざ別の袋に入れようとする店員が殆どである。
 また、昨日ある人から聞いた話だが、その人が仕事の都合である寺の住職さんの生活ぶりを見る機会があったのだそうだが、その住職は霊園経営等でお金を大変儲けているそうで、外車を何台も所有して、大変な生臭坊主なんだそうである。
 宗教者をしてこれである。環境問題というのは人間以外に原因があるのではなく、人間がもたらしたものであるから、根本は人間の心にあるのであり、人間一人一人が経済的な利益とか肉体的な快楽を追求する事よりも真の信仰に目覚め、自然を大切にしようという心を実践して行く以外ないのである。

 それともう一つ大事なのは人間の思い上がりを改めるという事である。宇宙が誕生して以来60億年、地球が誕生してから30億年も経っているが、現在の人類が誕生したのはわずか、十万年前位である。
 宇宙そしてその一天体である地球というのはそれだけの長い年月を掛けて生命の営みを続けて来て、そして現在の地球となっているのであり、それは人間の智恵などお呼びも付かない神の無限の叡智の結晶であり、完璧な生態系になっているのである。その生態系の一部として人類も生かされているのである。

 しかしながら人類は知能がなまじ発達しているが為に色々な文明を作り上げてきた。そして、技術革新も重ねて来て、今や地球を数十回も破壊出来る位の核兵器を持つに到り、またバイオテクノロジーも発達させ、遺伝子工学により、遺伝子組み換え作物に始まり、遂にクローン技術により、羊のクローンの他、最近は犬のクローンを作れる所まで来ているのである。

 地球を数十回も破壊出来る兵器を持ち、そして生命を技術により自由に作れるという事になって来るとこの様に巨大なパワーを持つと人間というのはどうしても思い上がりが出て来るのである。元々神様がお作りになった地球全体の生態系に生かされていて、言わば生態系の一部に過ぎない人間がその事を忘れ、「オレは全ての生物の生き死にを左右出来るすごい力を持っている。」と勘違いしてしまうのである。正に人類は今、そういう状態にある。

 しかし、そんなのは単なる錯覚であって、人間が元々大きな生態系の一部に過ぎなく、それにより初めて生かされるという事実はどうにも動かし難い事実であって、人間の思い上がりが高じて、どんどん自然を破壊して行けば、とどのつまり人類は滅びる他はない。人間は絶対に自分の力だけで生きる事は出来ないのである。

 現在、アメリカの巨大ハリケーンのカトリーナの被害とか中国の砂漠化による黄砂の被害とかその他色々異常気象が問題になって来ているがそれは自然の人類に対する警告である。
 それは自然の警告であるとも言えるし、人類の心が映って出て来た現象であるとも言える。人間が生態系(神様)に生かされているという事を忘れ、自分の力で生きているんだという思い上がりの心を観世音菩薩が感じ給うて人類のその心をそのまま映し出して下さっているのである。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-12-01 08:17 | 環境問題 | Trackback | Comments(0)

太陽光発電システム

d0022373_10494927.jpg 今年の2月、我が家に太陽光発電システムを取り付けた。出力は2.92kwhであり、家庭用としてごく標準的なものである。メーカーは京セラで価格はおよそ250万円である。
 太陽光発電システムは一昔前は少なくても600万くらいしたそうだが現在は京セラの他、シャープなどの各メーカーの製造技術が進歩し、コストが相当下がり、一般庶民でも購入可能なものになって来た。
これだと電気代が約半分になり、大変リーゾナブルだし、料理などもガスを使わないので安全で、ローンで購入するにしても政府の補助もあり住宅ローンなみの金利が可能である。

まあ、それでも今までの通常の感覚だったら電気代が安くなるからと言って、これだけの費用を掛けて、システムを導入しようという気にはならないだろう。しかし、現在、皆さんもご存知の様に環境問題がクローズアップされてきている。
 二酸化炭素による地球温暖化は単に地球の気温を上がり、それが南極、北極の氷を溶かして海面を上昇させるなんて事だけでは済まないのである。それは地球全体のリズムを壊し、色々な異常気象を引き起こし、甚大な被害を人類に与えるのである。
 そればかりではない。それらの影響で地球の生態系が破壊される中で実は生態系の一部に過ぎない人類の存在も危ういものになって来るというのが識者の見方である。

 私がそもそも太陽光発電システムを導入しようと決意した直接のきっかけは生長の家副総裁谷口雅宣先生の講習会で先生のお話を拝聴したのがきっかけであった。先生はこの現在の地球の危機、人類の危機をいち早く察知され、その重大さを事ある毎に強調されている。

 その危機を回避する為には先ず我々一人一人が生活の中で具体的行動を起こさないと駄目である。タバコのポイ捨てはしないとか、その辺に空き缶を捨てないとか、車のアイドリングはなるべくしないようにするとか、出来ればなるべく車は使わないようにするとか等々。そして出来れば家庭の電力も太陽光発電システムなども導入なさることをお薦めする。本当に車一台くらいのコストで済むのですから。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-04-20 10:49 | 環境問題 | Trackback | Comments(0)

初めましてブログを始めます

 初めましてブログなるものを初めて公開いたします。色々言いたいことはあるのですが、まずは現在、非常に問題になっている環境問題から行きたいと思います。

 先日、山梨で30℃を超す暑さになったと聞きましたが本日もここ神奈川県藤沢市の私の職場でも27℃になり、ついに誰かが冷房を入れました。ついこの間2日の日に靖国神社に行った時は真冬並みの寒さに震えていたのにこれはどう考えても異常気象としか言いようがありません。

 もう本当に地球が壊れかけています。地球環境破壊がこのまま進み、生態系の破壊が更に深刻になれば人間に取って、住みにくくなるどころか生態系の一部に過ぎない人類自体の存亡に関わって来る問題です。
 
 これは政府がどうの協定がどうのという問題では根本的にはありません。我々一般人一人一人の意識の問題です。目の前の物質的享楽を第一に考える心を捨て、神を信じ、神の心を第一に考え、自然を大切にする以外ないです。

 環境破壊は人類の存亡に関わっていると申し上げましたが、もう既に人類は壊れかけています。皆さんはこの頃の事件はちょっと異常だと思いませんか?子供虐待、子殺し、親殺し、衝動的な無差別殺人等々。これは自然を破壊している中において人間自身が壊れて来ている証左ではないですか?

 堀 浩二
by koujihori | 2005-04-08 16:02 | 環境問題 | Trackback | Comments(1)