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これからのリーダーに求められるもの

 現在、政局が不安定で今度の衆院選挙ではどうも自民党は旗色が悪い。リーダーシップを発揮し切れていない印象のある麻生総理への不信がその大きな原因になっている様だが、私個人としても自民党には票を入れたくない。私は麻生首相云々という事もなくはないがそれ以上に国民に依然として人気のある小泉首相の時に日本のお互い支え合う家族的風土と言うか、そうした日本の特性が破壊されてしまったと思うからである。小泉氏は「自民党をぶっ壊す!」とか息巻いていたが、彼は日本の共生の風土、お互い助け合う日本の古き良き日本独特の仕組みを破壊してしまったと私は思っている。それは具体的に言えば、駅前シャッター街の現出であり、首都と地方の格差、国民間の格差を生み出したという事である。

 しかし、だからと言って、民主党を支持する気持ちにもなれない。私の近所の元市会議員で非常な愛国的な運動をしている伊藤玲子さんと言う人が教えてくれたが民主党というのは左系の人達の勢力、支持が強く、もし民主党が政権を取れば、ジェンダーフリーとか夫婦別姓とか外国人参政権とか人権侵害救済機関の設置等々の亡国的法令が実現してしまう可能性が高いそうである。それでなくても彼らは天皇なるものに対する認識がどれだけあるのかと言う事も疑わしい。

 と言う事で今度の選挙では私は自民党にも民主党にも投票しないつもりである。ところで小泉元首相はワンフレーズポリティシャンというとても国民に分かり易いフレーズを連発する事で国民の支持を得る政治家であった。有名なものに前述の「自民党をぶっ壊す」とかがあるが、大相撲で貴乃花が満身創痍の身体で武蔵丸を破って優勝した時は土俵にのこのこ上がってきて、「感動した!」などと絶叫していた。
 しかし、漫画家の小林よしのり氏に言わせると小泉氏は真に国民を導く国家的目標と言うのを持ち合わせていなかったそうで、言うなればアメリカの日本に対する年次改革要望書を躊躇する事無く忠実に実行して行っただけであろう。

 要するに日本は高度経済成長時代はアメリカに追いつけ、追い越せでとにかく行け行けで猛烈に頑張って来た。即ち経済的に豊かになる事を目的にがんがんやって来たのである。しかし、それがもう成熟し、もの余りの状況になり、コンビニなどでも売れ残りの食材が大量に破棄されている様な飽食の時代となり、そして去年のリーマンショックに象徴されるアメリカ主導による市場第一主義の金儲け主義、物質繁栄主義がもう限界を迎え、破綻した現在、どうした国家像、国家目的を指し示すかと言う事はとても重要な事であるのである。その点、今年就任したオバマ大統領はイスラム社会との対話や環境技術による経済の立て直しとかと言う国家目標、国家理念を打ち出し、世界中の人達に感銘と期待を与えた。しかるに我が国の首相や政治家を見るに、そのようなかけらもなく、相変わらず政争、党利党略を繰り返している。何と情けない事か。

 私は去年のリーマンショックで市場第一主義が崩壊し、日本も経済とか物質繁栄を目指して、行け行けでやる時代が過ぎた今、これからの日本のリーダーに求められるものは正に物質ではなくて、その奥の精神的な価値感の元に国家的目標、方策を打ち立てる事に他ならないと思う。それは谷口雅宣先生が盛んに仰っておられる所の金儲けではなくて人の為になる生き方、そして、物質繁栄主義、享楽主義による自然破壊ではなくて、自然を保全し、地球環境を大事にする生き方とその為の産業を保護育成する事、そして、アメリカのいいなりになって、大企業優遇する政策を止め、庶民の生活を大事に考えた政策にする事、これらを軸にした国家目標、政策を打ち出して行く事がとても大事であると思う。そして、そのバックボーンとなる思想には生長の家の真理が来なくてはならない。それは生きとし生けるものは全て神の生命の現れであり、自他一体であるという事、そして、日本の国の中心には天皇という尊い御存在があるという事である。
 その為には私は日本の政治家にはきちっとした信仰心を持ってもらいたいと思う。民主党の代表の鳩山由紀夫氏と自民党元総務相の鳩山邦夫氏の祖父である鳩山一郎元首相は熱心な生長の家信徒であったのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-07-09 12:17 | 時事問題 | Trackback(1) | Comments(0)

オバマ新大統領について

 本日、日本時間午前2時頃、アメリカ、オバマ新大統領の就任式があり、いよいよ、オバマ氏がアメリカ合衆国第44代大統領となった。人種差別がまだまだ根強いアメリカで黒人初のアメリカ大統領(本当はオバマ大統領は白人と黒人のハーフなのだが)が選ばれたのも非常に画期的な事であるが、これはオバマ大統領のキャッチフレーズではないが正に世界的なCHANGE(変革)の時なのだと思う。もう人種がどうのこうのと言う時代ではなくなって来た証であろう。
 そして、それだけではなく、それは今までの地球環境を無視した目先の金儲け主義、そして超大国アメリカの強大な軍事力を背景として、単純な善悪思想で自分が悪と認識する相手を力任せに屈服又は破壊して行こうという考え方等々が自壊し、新たに相手との対話、融和、そして、地球環境を大事にし、目先の金儲けではなくて、お互いの為、社会の為、世の中の為になる真の産業を構築して、質素でも出来るだけ全ての人達が潤うという世界がいよいよ到来して来ているのだと思う。
 それは前々から言われている21世紀は霊の時代だと言う事であると思う。今までは唯物的価値観が先行し、目先の物質的利益を第一にした市場第一主義の元、弱肉強食の経済がグローバル経済と称して世界を覆い、それをアメリカが先頭に立って推進し、環境を破壊し、地球温暖化を促進させていたのをこれからはそうした物質主義がすたれ、霊的価値を第一にする、お互いが助け合い、生きとし生けるものを慈しむ生き方が地球を覆うのである。
 その流れにおいて、吾が日本国の使命は誠に重大であると思う。日本国こそは霊的文化の担い手であり、その建国の精神は神武天皇の八紘一宇の精神である。これは何も腹にいちもつも無くて空っぽの心で世界を大きな輪(大和の精神)で結び、かつ自らを主張する事無く、それで全ての民族と国と宗教の良さを生かし、そして、融和せしめる。そうした国に生長の家の様な人間神の子の教え、万教帰一の教えが出て来たのも自然の成り行きである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-01-21 12:33 | 時事問題 | Trackback(2) | Comments(5)

アシュリー

 先週の土曜日、テレビでアシュリーというカナダ人の少女のドキュメンタリーがやっていた。その少女は染色体の突然変異により、老化が通常の10倍のスピードで進んでしまうプロジェリアという、世界に50人位しか居ない奇病であるという事であった。番組前にテレビコマーシャルで度々、やっていたから、知っている人も多いと思う。

 私はそういう病気があるのは何となくテレビ等で知っていたが、正直言って、私はそういう人達に対してはちょっと奇異な目で見る位の意識しか無かった。テレビはそういう珍しい病気の子を取り上げる事によって、視聴率を上げようとしている位の認識しかなかった。
 しかし、その番組のコマーシャルでアシュリーちゃんが「神様が私にこういう病気をお与えになったのは何か意味があると思う」と発言しているのを聞いて、ちょっと興味を覚えた。しかし、同時に生長の家で良く言われる事だが、病気は神様はお造りになっていないから、この子の言っている事は間違いだと言う気持ちも何となくあった。

 数日後、書店に行ってみると、例のアシュリーちゃんが書いたという本が平積みされていた。私は何となくそれを手に取ってパラパラと数ページめくって、読んでみた。そうしたら、すぐにこれをレジに持って行って購入している私がいた。

 私は感動した。この子は本当に素晴らしい子である。この子はプロジェリアという病気で無ければ良かったなんて一度も思った事が無いという。これは前述した様に、神様がこういう病気でも力一杯与えられた人生を生きるって言うことが如何に大事かという事を自分を通して、みんなに伝える為にこういう役割を自分に与えたんだと書いてあった。

 その後、その番組を観たが、重ねて言うが、本当に素晴らしい子である。現在、高校生だが、体力的に皆と同じペースでは授業は受けられないが、その中でも出来る限り力一杯、勉強していて、ペットショップでアルバイトもしているそうである。この子はペットの扱いが上手く、そこで重宝がられていた。
 小さくて細い折れそうな体で一所懸命、ペットの世話をしている姿は本当に全力で生きるんだという気概が感じられた。また、性格がとても明るく、一見すると老婆の様な風貌なのだが、友達も多く、ことある毎に良く笑うし、おしゃれもする。そして、将来は獣医になりたいという夢まである。

 この病気は大体、平均年齢13歳だそうだが、アシュリーは16歳であり、ここまで生きられたのが有り難いと母親は言っていた。
 現在、アシュリーは体力がどんどん弱っており、食事も以前より取れなくなって来ているという事で時折、激しい胸と背中の痛みが襲う。そういう時はじっとして痛みに耐えている。その痛みは十数分位続くそうだが、じっとししていればその内、痛みは無くなるから、どうという事は無いと言う。そして、その痛みがそれでも治まらない時は天に召される時だとアシュリーは言っている。

 アシュリーちゃんは自分の生命が死んでも死なない永遠のものであり、自分がこういう体に生まれたのは前述した様に短い人生でも、障害があっても力一杯生きる事が如何に尊いかと言うことを人々に示す使命を神様に与えられているから、自分は全然不幸じゃないと言うのである。そして、一切愚痴や不満を言わず、あらゆる事に悦びを見出し、家族みんなに感謝して生きている。この子は本当に素晴らしい高級霊である。

 私は実は先週の土曜日の夜、誌友会で講話したが、この日はちょっとこけてしまった。私は講話には自信があったから、それだけにショックは大きかった。でも、その日の昼にこのアシュリーちゃんの本を丁度、買っていて、誌友会前から何となくパラパラと読んでいて、誌友会から帰って、家で丁度、アシュリーちゃんのテレビを観たのである。
 それでどれだけ勇気を与えられたか分からない。どんなに現象が不完全でも失敗してもそんな事に負けないで全力で生きる姿に私はすっかり元気をもらったのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-02-25 13:08 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

私の予感

 本日、書く事は真理の話ではなくて、現象に対する、全くの私の個人的意見、推測であるから、その積もりで読んで頂きたい。

 現在、生長の家は色々な数字が全国的に減少傾向にあるのだそうである。数字とは聖使命会員とか普及誌購読者とか講習会とか全国大会とかの参加者数である。これの原因は色々あるかと思うが、私はそれは現代の若者が所謂、宗教、とりわけ御利益と恐怖心で教団を維持しようとする様な宗教団体に殆ど、興味と魅力を持たなくなって来た事と関係があるからではないかと推測している。(誤解の無い様に言うが、生長の家は本来はそんな御利益信仰でも無ければ、恐怖信仰でもない。)

 そもそも宗教というものは元々実相世界、神の国には無いのである。ジョン・レノンという偉大なアーチストが居たが、彼の「イマジン」という曲には”no religion"(宗教もナイ)という歌詞が出て来る。実相世界にあるのは真理のコトバだけであって、宗教団体というものは存在しない。

 釈迦もキリストも所謂、仏教とかキリスト教という宗教団体を造ろうなんて意図は微塵も無かったのである。宗教的天才として地上に降誕し、悟りを啓き、その悦びをただ、述べ、伝えただけである。仏教、キリスト教という宗教団体、そしてその色々な宗派は後の弟子達が勝手に造っただけである。

 生長の家はそもそも宗教ではない。それは生長の家の根本真理である「万教帰一」という事で教えられている様に、変な邪教は別にして世界宗教と言われている様な何千年も続いている立派な宗教はその神髄は共通していると説き、それを現代語で分かり易く現代人に説いているのが生長の家である。だから生長の家は宗教ではなく、その奥の共通の真理の神髄である。それは生長の家総裁谷口清超先生が御著書の「菩薩は何を為すべきか」の中で明確に説いておられる。そもそも清超先生は宗教というものが大嫌いだったそうであり、それは生長の家に入られた後もそうだったそうである。

 さて、前述の様に宗教団体というものはその教勢を保つ為に信者を獲得し、かつ引き留めておかなくてはならない。そこで大抵はそこに入るとこんな御利益があるよとか、そこを離れるとこんな罰が当たるよという恐怖で人を縛り付けるのである。全ての宗教団体というものがそうであるとは言わないが、多分にそういう部分があるのは事実であろう。だから、一般人は宗教というものを嫌うのである。

 昨今、人類が進化して来たと言うか、時が来たと言うか、現代人はそうした御利益信仰的な宗教の教えに縛られる事がいよいよ無くなって来たのではないかと言うのが私の個人的感想である。ある人は宗教はその内、皆無くなると言っていた。早ければ今年中だと言う事だが、その言葉を鵜呑みにする事は出来ないが、昨今の生長の家教団の表面的数字の減少の仕方を観察するにそれもあながち妄言とも思えないのである。

 私が生長の家の奥義に出会ったのは何度も言うが、榎本恵吾先生に巡り会って、その教えを拝聴したのが最初であったが、それは先生が服部仁郎先生や吉田國太郎先生から受け継がれた生長の家の神髄である。(誤解の無い様に言うが谷口家の法燈の流れはこれは又、別格である。)

 昨今の動向を見るにその生長の家の神髄、即ち真理は自分の中にあり、吾らは何をしなくてもそのままで完全円満の神の生命であり、自分の言葉で真理を語り、自分だけの表現の仕方をして、神を顕して行くという生長の家本来の面目がいよいよ出て来たのではないかと思う。   何々教とか何々先生に頼らなければ救われないとか、行をやり続けなければ救われないとか、これだけ献金しなければ救われないとか、何々先生に救われたからこれだけ恩返しをしなくてはならないとかそんな御利益信仰的な事は通用しなくなって来ているのだと思う。

 昨日、私の教区の青年会の教区大会というのがあったが、そこで生長の家本部から生長の家青年会副会長のある先生が来られて、講話をされた。その先生はまだ40歳位の方でやはり私と同じく宇治で修行され、その後、そこで指導者となり、9年間も、練成会等で指導されて来て、私もその間、この方にお世話になった事があるが、この方のお話は本当の生長の家の神髄を見事に説かれた、誠に素晴らしいものであった。
 こういう若くて、かつ生長の家の神髄を究められた方が生長の家の中央部の組織の幹部になって来たという事は現在の表面上の生長の家の数字の減少なんて事を超えて、長い目で見れば生長の家の表舞台に生長の家の本物の教え、素晴らしい救いがいよいよ顕れて来て、生長の家がより本来の生長の家に還って来たと言うか、顕して来たと言うか、そういう素晴らしい流れであると私は思う。

堀 浩二
by koujihori | 2008-02-12 13:27 | 時事問題 | Trackback | Comments(4)

人間の芯

 現在、子供を虐待死させたとか、逆に子供が親を殺したといったニュースが報道されない日は殆どないのではないだろうか。
 こうした暗いニュースは朝、何となくテレビをつけているとぼんぼん自分の目と耳に入って来るので、我が家ではこうしたニュースが報道されたらすぐ別のチャンネルに変えてしまう。朝のすがすがしい気分が暗いニュースで害されてしまうからである。

 こんな事は私が子供の時、今から30~40年前は一切無かった事だし、現在の日本人が如何に歪んだ状態になっているかは議論の余地が無いだろう。こういう事をする親とか子供が多いから安部首相も教育改革が一番必要であるとして、教育基本法の見直しを検討している様である。
 私もほぼ同意見である。子殺しをするような親など鬼畜も同然であり、人間とは言えないし、親殺しをする子供も同様である。そして本来神の子である人間がどうしてこんな事をするかと言ったら、それは受けて来た教育が悪かったからとしか言いようがない。
 しかし、それは学校教育だけでは方手落ちで学校教育などよりも更に重要なのが家庭教育であろう。その親がどういう親であるかという事でその子の育てられ方、教育が決まってしまう。親が立派な考えを持ち、それを行動に移していれば、子供は自ずと良い子に育つのである。何故ならば子供は親の言う事よりもそのやる事を真似するからである。
 親の考え方と行動こそが最も大きい子供への教育である。

 従って、教育基本法の見直しも大事だが、それよりより大事なのが親達の心である。今現在この様なひどい親がいるというのはそれはその親を育てた親に責任があると思う。
 50~60位の年齢の人達ではないかと思うが、どうもこの年代の人達がきちんとした考えを持って我が子を教育しなかったのではないかと思う。その原因は色々あるだろう。この年代の人達はいわゆる団塊の世代と言われる人達でこの人達は丁度、日本が大東亜戦争に負けて、国民全体が一種虚脱状態にあった時に生まれて来た人達である。
 アメリカが日本を二度と立ち直れない様にしようという意図の元、日本人としての自信を失わせる為にそれまでの日本の歴史と伝統を全否定するような教育が為された事、そして、戦争に負けた事により、この団塊の世代の親達が自信を失い、今までの自分のアイデンティーを自己否定し、家庭で日本人としての誇りとかそうしたものを一切口をつぐんで伝えなかったのではないか?
 私は日本は戦争に負けた事により、終戦時を境にして、それまで日本人が育んできた日本人としての誇り、文化、歴史、伝統というものが遮断された為に所謂、団塊の世代の人達に対する家庭に於ける教育、学校に於ける教育というものに大事な人間としての芯となるものがごっそり抜け落ちてしまった事が今日の悲惨の状況の根底にあると思う。

 それならどうしたらいいかと言ったら、やはりこれは人間としての芯となるものを自覚あるものが叫び、伝えて行く以外無い。その芯の芯とは何か。それは人間は本来、神の子で完全円満であるという事である。

堀 浩二
by koujihori | 2006-10-24 09:53 | 時事問題 | Trackback(2) | Comments(0)

ふじみ野市のプール事故について

 今週の月曜日、埼玉県ふじみ野市の市営プールで、小学2年生の女児が流れるプールの吸水口に吸い込まれ、死亡した事件だが、私は怒りを抑える事が出来ない。
 こんなのは事故ではなく、プールの管理者に殺された様なものだからだ。流れるプールは強力な水ポンプで水を吸引し、水の流れを作っている様だが、その吸入口の一つがフェンスが外れており、そこにこの女児は吸い込まれて、命を落としたのである。これは言うまでもなく完全な人災である。

 何故、こんな事になってしまうのだろうか?報道によれば、吸入口のフェンスが外れていた事は事故直前に客の一人から監視員に知らされており、監視員は声で吸入口には近づかない様に客に声を掛けたというが、その直後、事故が起きたらしい。何でもこの女児は潜っていたから監視員の注意が聞こえなかったのではないかという事だが、そんなのは理由にはならないだろう。 
 本来ならすぐにでもポンプを止めるか、客を全員、プールから出すか、それともその吸入口の真ん前に監視員の一人でも立っていたら、いくらでもこの事故を防げたはずである。何とも表現のしようのない無策ぶりである。
 近頃の日本ではこの様に業者による過失致死事故が余りにも多い。パロマの湯沸かし器の不完全燃焼による死亡事故もそうだし、シンドラー社のエレベーターによる死亡事故、また数年前の六本木ヒルズの自動回転ドアによる男児の死亡事故等々。

 これは人命よりも金儲けを優先する金儲け第一主義の弊害でもあり、また、人の生命を守る為に今、何を第一にして行動すべきかという覚悟の欠如が原因であろう。
 私は人命という一番大切なものを守る為に今、何を第一になすべきかという判断力、決断力、そして実行力が今の日本人全体に欠落しているのではないかと思う。それは生命体なら当然持っているはずの自己防衛本能である。
 生命体は自然の抵抗力というものがあり、仮にばい菌が傷口から入ったらそれを排除しようという働きがある。それが生命力というものである。だから、国家というものも大きな生命体であるから当然、ある程度の適当な防衛力といざとなればそれを行使する意志を持たなくてはならない。そうでなければまともな外交も出来ず、諸外国からなめられてしまい、自国民を拉致されても、ミサイルを撃たれても、そうした相手国に対して、毅然とした態度には出れないのである。
 国全体がそんなだから、国民も同様に生命という一番大事なものを維持する為に何を今、第一に行動しなくてはならないかという当たり前の生命体の抵抗力みたいなものが働かないのだと思う。

 それは一重に自己の生命の実相をきちんと自覚していない人達が多いからだと思う。自己の生命の実相を自覚していなければ、本来我々が持っている内部の生命の自己防衛本能、抵抗力もきちんとまともに働かないのである。

 それともう一つ、責任の所在というものが今度の事故の場合、どこにあるかという事が極めて不明瞭である。市営プールであるからその責任は市にあるのかも知れない。そうなると大元の責任者は市長という事になろう。だからこそ市長は翌日すぐに記者会見を開き、謝罪した様だが、この市長はもちろんのこと、市のこのプールの担当者も実際にこのプールでの管理体制、状況というものを一切、把握していなかったのである。
 それは何故かという言うと、プールの運営、管理業務は民間会社への委託、即ち今はやりの丸投げにされていたからである。丸投げだから丸投げした市の方は全然、その実態を把握していないのである。そして、今回は何とその丸投げされた会社がまたもその業務を他の管理会社に丸投げするという二重の丸投げが行われていた様である。

 こんな状況では管理はずさんにならざるを得ない。要するに責任者、中心者が完全に抜け落ちた状況であったのである。責任の所在の無い仕事は確実に穴が出来る。そんな所から今回の悲惨な事故は起きたのである。

 これはやはり、ものの道理即ち真理を知らない、解しない愚かな人達が起こした事である。組織というものは中心がきちっとしており、全ての責任はその中心者にあり、その中心者はその組織における業務は人にやらせるにしてもその内容に関しては私は知りませんなんて事は赦されず、きちっと把握、管理していなければならないのである。

最後に今回、犠牲になった戸丸瑛梨香ちゃんのご冥福を心からお祈り致します。

堀 浩二
by koujihori | 2006-08-03 10:05 | 時事問題 | Trackback(1) | Comments(0)

神風

 昨日、ライブドアのホリエモンこと堀江貴文社長が証券取引法違反容疑で逮捕された。彼らは法律に触れなければ、金儲けの為には何をやってもよいという考え方だった様で法の盲点をついて、株式時間外取引等ゲリラ的な手法で買収工作を繰り返し、また近鉄バッファローズ買収に名乗りを上げたり、その他様々な派手な話題を世間に提供して、自社の株価の時価総額をつりあげてあぶく銭を手にしてきた。だが、今月16日に東京地検の強制捜査を受け、ついに昨日夜逮捕された。

 私は彼らのやり方、即ち法に触れなければ金儲けの為にどんな事をやっても赦されるという考え方自体がおかしいと思っていたし、そんな事ではいつかは破綻するのは分かっていたが、こんなに早くその結果が出て来るとは正直思っていなかった。

 周りの側近は別としてホリエモン自体は私の推測では本当に自分達のやって来た事は法律違反すれすれのきわどいやり方ではあるが法には触れないと思っていたのではないかと思う。
 だから、法に対する無知が今回の墓穴を掘ったのではないかと思うが、そんな事は私は問題ではないと思う。そもそも富というのは生長の家の教えにある通り、それは人の為になる働きが形になったものである。それはその人がこのアイデア、この働きで何とか価値あるものを創造したい、社会の為に役立てたいという思いからコツコツと血と汗をにじませて努力する中からそれぞれの工夫を凝らして、価値あるものが出来上がり、それが社会の人々の為になった時、それが結果として収入という事になるのである。
 企業価値というものは社員達のそうした地道な毎日の働きが製品やサービスに現れ、その事により伸びて行くのであって、それによりその会社の株価が上がり、時価総額も上がって行くのが本来の姿である。

 ホリエモンみたいなうわべのパフォーマンスと人としてのルールを逸脱したようなやり方で自社の時価総額をつりあげて一時の富を得てもそんなものは砂上の楼閣であり、正にあぶく銭なのである。そして本人は法の網をくぐっているつもりがやはり彼のやり方は証券取引法では違反という事で引っ掛かって今回の結末を迎えたのだと思う。

 私は今回の事は日本社会に取って、本当に良かったと思う。これは社会に対する一大教訓であり、教育であると思う。ちょっと頭のいい人間が人と社会をなめ、適当にずるがしこい事をしていれば、富が来るんだという考えが如何に間違ったものであるかという事を世間はこれでよく分かったのではないかと思う。

 そして、こんな彼をかついで選挙に利用した小泉自民党が現在、BSE問題、マンション耐震強度偽装問題の併せてトリプルパンチで窮地に陥っているがこれも私は日本に取っていい事だと思う。
 小泉自民党は先の衆議院選挙でホリエモンを支持し、人寄せパンダに使い、選挙圧勝に一役も二役もかわせたが、それが如何に浅はかな表面的なものであったかという事が今回、露呈した。
 そして、マンション耐震強度偽装問題は小泉自民党の進める改革というもの、即ち何でもかんでも民営化という方向性が起こした落ち度であり、また、アメリカからの輸入牛肉が危険部位の背骨を含んでいた事が発見され、輸入再開わずか一ヶ月で輸入停止になった問題も、こんな事は事前に充分予想された事であったに拘わらず国民の健康よりもアメリカとの政治的関わりを重視して輸入再開したのであり、これらの諸問題が一気に露呈し、小泉自民党が如何に国民を籠絡し、表面的な政治運営をして来たかという事が白日の下にさらされたのである。

 私はこれら一連の動きが日本を救う「神風」になり、これを契機に我が日本国の本来の姿が現れてくれる事を願っている。

堀 浩二
by koujihori | 2006-01-24 08:36 | 時事問題 | Trackback(13) | Comments(0)

便利さへの疑問

 我が家は私が映画好きで、スポーツ好きであるのでその手の番組ばかりを放送しているWOWWOWという有料テレビに申し込んで観ている。
 
 それで先日、そのWOWWOWで「ハリー・ポッター アズガバンの囚人」という映画を観ていた。私は集中して観ていたが、家族の者はその横で何となく他の本を読んでいたり、適当に過ごしていた。
 私はその時、こんな事は二十年前には無かった事だと思った。というのは映画が映画館でロードショー公開されてからそれが後に「日曜映画劇場」とか「金曜ロードショー」などのテレビ番組で放送されるのはその二、三年後でその時はあの有名な大作映画がテレビで観られると家族みんなでテレビにかじりついて悦んで観たものである。

 でもその後のレンタルビデオの出現、そして現在はレンタルしなくても殆どどんな映画でも1,000円から1,500円位でDVDを購入すれば自分の好きな映画が観れるという状況になって来ていて、先に述べた「ハリー・ポッター」などは映画館で公開されてからまだ一年にも満たない作品なのにもうテレビで観られるのである。
 昔は映画というのは本当にわくわくして観たものである。でも、それがビデオとかDVDとかWOWWOWとか便利なものが沢山出て来て、ちょっと前に公開された映画でも割合自宅で手軽に観れるという事になって、映画に対するときめきというかわくわくした心が庶民の間で薄れて来ていると思う。

 技術的な事が進歩して生活が便利になったからと言って、また物質的に豊かになったからと言って、人間が幸せになったとはどうしても思えないのである。
 私が子供の頃の昭和三十年代、四十年代には現在の様にインターネットもメールも携帯もパソコンもDVDも何も無かったし、ものが有り余っている社会でも無かったが現在の日本よりも遙かに毎日の生活が生き生きとして殆どの日本人は未来に対して希望に満ちた生活を送っていたような気がする。
 昭和三十三年当時の日本の庶民の生活を描いた映画「オールウェイズ」が今、話題を呼んでいるがその当時の貧しくとも人々の心がまだ温かかった日本に対する郷愁を多くの人達が私同様感じているのではないか?

 前述の様に最新の映画がどんどん自宅のテレビで観れるようになり、家に何台もテレビや車がある家が珍しくなくなり、携帯もパソコンもインターネットも普及し、カードで何でも買える様になっている一方、毎日の様に目を覆いたくなるような異常な事件の頻発、親が子を虐待し、子が親を見下している様な事態が世間を蔽っている。
 生活がテクノロジーの進歩により便利になり、物資が豊かに有り余る様になったからと言って、それが決して人間の幸福につながってはいないのである。

 人間の幸福とは物質の豊かさにあるのではなくて、我々人間自身の心の中にあるのである。貧しくとも家族お互い思い合う心、小さきもの弱いものに対して、思いやりと愛情を注ぐ心、そしてそれに感謝出来る心、そして自然と神様に信頼して感謝出来る心、これらの純朴な人間の心の幸福の中にこそ真の幸福がある。

 それを自覚し、物資を無駄遣いする事を止め、物資が少ない状況でも感謝出来る様になれば我々は今すぐ幸福になり、そして資源の無駄遣いを自ずと自粛する様になり環境も破壊しないようになれると思う。

堀 浩二
by koujihori | 2005-12-12 08:46 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

自己決定の時代

 現在の日本及び世界を取り巻く環境はある意味、非常に難しいものになって来ている。要するに科学技術の進歩が過剰とも言えるほど顕著であり、バイオテクノロジーの発達により、クローン人間の生まれる可能性の他、己の弱った臓器をいくらでも再生出来る技術の実現ももうすぐそこまで来ている。

 その他、環境破壊の問題もあり、人間の裁量一つで地球上の動植物の存亡が左右される事態となって来た。
 また青少年の間ではテレビゲーム、携帯電話の普及が当たり前になり、それにより昔の子供の様に自然の中で遊んだりする事で培われる感性であるとか、本物の人間とか動物と相対する事により学べる相手への思いやりとかを学ぶ機会が損なわれて来ていると思う。
  
 こうした状況下ではただ流されるままに周りがそうするからそうするという生活態度で生きておればどうしても人間として本来持っている当たり前の道徳性とか感性とかが消失して行くと思うのである。
 テレビゲームと携帯ばかりに没頭して本当の生の人間を知らない子供、自分の目先の利益の為に経済活動を第一にして環境を破壊して結局、おのれの首を締めて行く大人やどこかの国の政府、そして、おのれの親として子供を持ちたいという欲望を満足させて、将来の子供の事を考えない親によるバイオテクノロジーの乱用、また、自分の肉体をただ長持ちさせたいだけの肉体生命という物質に対する固執で自分の臓器を次々と人工的に作って行って、不自然に長生きする老人達。

 現在の流れにただ無批判に乗っかって行くだけならこんな人間になってしまうのである。こうした時、おのれの中に真の理性を見出し、自己決定力をきちんと確立させて、正しい道にかなった事、生き方を自分自ら選んで行く以外、この科学技術が過剰に発達するこの現代社会、そしてますますその傾向が強まるであろう来る未来社会においてまっとうに生きる事は出来ないのである。

 そういう意味ではこれから人類の二極化が進んで行くかも知れない

堀 浩二
by koujihori | 2005-10-27 12:33 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

政治家と信仰

 今回、郵政民営化法案が衆議院において賛成多数で議決され、小泉首相の念願通り、郵政民営化法案が遂に施行される事になったが、その中で先の国会で法案に反対した議員が今回はその大部分が賛成に回った。

 賛成に回った議員曰く、「民意を尊重した。」という事だが、それが余りにも見苦しい政治的信念に欠けた保身的行為であるという事は誰が見ても明らかであろう。

 しかし、そんな中、敢然とその信念を曲げなかった議員がいる。それは平沼赳夫元経済産業大臣である。詳しい事は今週の週刊文春に掲載されているから興味のある方は是非ご一読をお勧めする。
 今回、自民党執行部では平沼氏の様に法案反対を最後まで貫いた議員に対しては除名処分という政治家としては一番厳しい処置をするのは明白である。それを誰もが分かっているから、前回の国会で法案に反対した議員も本意を翻して賛成に回ったのである。
 平沼氏は拉致問題他、日本人の生命と財産と誇りを守る為に重要な役割と使命があると言われている政治家で次期首相候補にもなっている。
 今回の国会の法案議決選挙でも周りから「あなたは他に大事な政治的使命があるから、ここは一つ賛成票を投じて、後々の日本の為に生き残った方がいい」と説得された様だが氏は次期首相というその栄えある将来をかなぐり捨て断固として己の信念を貫き、反対票を投じたのである。

 この世界は実は物質の世界ではなく、我々の心が映し出す世界であるから、道に外れた事をしてずるい事をして、一時的に栄えても、長期的に見れば、その者は必ず滅びて行くのである。
 しかし、例え除名、打ち首になっても己の信念を貫き、本当に民の為、国の為に殉ずる者はその功績は世代を超えて讃えられるのである。坂本龍馬しかり、吉田松陰しかりである。

 私は平沼氏の様な政治家は現在はその政治的生命を絶たれてもその信念と行動は後世で高く評価されると思う。そして、その意思を受け継いで行く人間は必ず現れる。

 ところで平沼氏のこの強い信念はどこから来るかと言うことであるが、別にここで生長の家の宣伝をするつもりはないが、氏は生長の家の信仰を持っている。自分は若い頃、生長の家創始者谷口雅春氏著作の「生命の実相」を読んで、その影響を強く受けたとはっきりとテレビで表明したのである。
 私は政治団体と宗教団体が結託するのは良くないと思っている。お互い批判が出来なくなり、段々とお互いが堕落して行くからであり、また宗教団体が国政に口を出すなどもっての他である。その弊害は織田信長の時代に延暦寺の僧が政治に口を出して世の中が乱れた事が歴史の教訓として残っている。

 だが、政治家が正しい信条を貫く為にはしっかりした信仰を個人的に持つ事は大変重要である。今回の郵政民営化法案可決の件で多くの反対派議員が賛成に回ったのは内心はこの法案が真に国民の為にならないという考えがありながら、自分が除名される事を恐れての事である。
 要するに政治的には死を意味する除名がされては自分はもう駄目だと思ったから賛成に回ったのである。

 それに対して平沼氏は除名即ち、政治家としての死を恐れなかった。これは自分が死んでも必ずその政治的信念は誰かが受け継いでくれる、自分は永遠不滅の生命を持っているから殺されても大丈夫だという信仰があったからだと思う。これが平沼氏と他の議員との決定的な差なのである。

堀 浩二
 
by koujihori | 2005-10-21 12:57 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)