カテゴリ:時事問題( 62 )

楽天のTBS株取得に思うこと

 楽天がTBS株の15.46%を取得し、三木谷浩史社長がTBS側に経営統合を申し入れているという報道がされている。

 これは以前のニッポン放送株大量取得により、フジテレビを実効支配しようとしたライブドア社長ホリエモンこと堀江貴文氏と似たようなケースであるが先日も報道されたばかりで現在の進行中の村上世彰氏率いる村上ファンドなる投資ファンド会社による阪神電鉄株大量取得の件もあり、こうしたインターネット関連の事業で財を成したインターネット長者や投資ファンド会社などの金満家による企業の敵対的買収が日本社会で頻発する様になって来た。

 こうした敵対的買収(ハゲタカファンドなどがある企業の株をその資金力にものを言わせて大量取得し、その会社を実効支配し、事実上その会社を乗っ取ろうというもの。)は資本主義の権化のアメリカ社会では通常行われて来た事であり、会社は株主のものであるという非常にドライな考え方である。
 資本主義社会における株式会社というものは突き詰めていけば理論的にはそういうものであろうが、人と人との共同体というものを大事にしてきた日本社会ではそういうえげつない事を発想する人間は今まで出なかった。
 ところが日本が今から13年前にバブルがはじけて以来、体力の弱った企業、銀行を外資ハゲタカファンドが安く買いたたき、それを付加価値を高める事により利益を上げるという事が出て来た。
 その中でホリエモンという「時代の寵児」が出て来て、去年、経営不振によりオリックスと合併すると発表していた近鉄バッファローズを是非買いたいという事で日本のプロ野球界に殴り込みを掛けてきた。私もこの時点では日本プロ野球界を救う救世主としてホリエモンを讃えていた。

 しかし、その後のフジテレビの件、そして、現在進行中の阪神電鉄、TBSの件などで彼らホリエモン、村上氏、三木谷氏などのやり方をみていると金の力にものを言わせて、ひたすら金儲けに走るという拝金主義に思えてならない。
 先日の衆院選挙で郵政民営化を掲げた小泉自民党は大勝したが、「官から民へ」と何でもかんでも民営化することが至上の善みたいな価値観は全ての事業を資本主義の元に置くという事である。
 資本主義の本質とは何か。それは利潤追求である。ズバリ言い換えればそれは「金儲け」なのである。全ての事業を資本主義の元に置くというのは「金儲け」を至上の価値とすることである。
 日本は正にその方向に向かってまっしぐらに進んでいる様に思われる。しかし、資本主義が過度に発達する社会は富裕層と貧困層がくっきり分かれるということである。いわゆる「勝ち組」と「負け組」ということであるが、富んでいる者はますます富み、贅沢な暮らしをし、弱者、負け組は社会から切り捨てられて行く。

 そういう流れの中の非常に象徴的な事件として、現在の三木谷氏、村上氏、ホリエモンの買収騒ぎがあると思う。
 今までの日本は共同体を大事にし、お互い、強者が弱者をかばい、その足らざるを融通し合い、助け合ってきた。今やその日本の美徳は失われようとしており、資本主義のドライな考え方の元、強者が弱者を食い物にしようとする社会が実現しようとしているのではないか?

 資本主義というのは利潤追求が目的であり、利潤追求とは金儲けの事である。それは至上の価値を金に求めるという事であり、そういうのを拝金主義というのである。
 人間は生きていく為には自らの行動指針が必要である。自分自身のコア(核)が必ず必要なのである。そのコアなる行動指針が正しい信仰に基づいたもの、自分の中に完全円満の神なる基準があるというものであるなら、良いがそれがないと金とか物に価値を置く拝金主義にならざるを得ないのである。
 そうなると人は自分の物質的利益のみ追求し、お互いの思いやりの精神は失われ、公に殉ずる潔い心意気は薄れて行き、弱者をいたわる心も消失して、どんどん堕落して行くのである。
 
 アメリカの金儲けの資本主義のシステムをアメリカの利潤の為に世界中に拡げようというのが所謂グローバルスタンダードである。それを全面的に受け入れたのが小泉首相と竹中大臣である。その思想の元に郵政民営化という戦略があり、それにより300兆円と言われる郵便貯金はアメリカの外資にどんどん流れ、アメリカのグローバルスタンダードに寄与するであろう。

 しかし、そうした拝金主義はどこから来るかと言ったら、人々が自分の中に金以上の価値を見出していないからである。我らは今こそ、金以上の価値、完全円満なる神という価値を自らの中に見出して行かなくてはならないと思う。
 そういう事がグローバルスタンダード(国際基準)になって行くなら世界に真の繁栄と平和が来るのである。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-10-14 12:13 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

選挙結果で感じたこと

 日本人の国民性を現すのにこんな例え話がある。
 日本という国を大きな船に例えれば、船の甲板上に居る日本国民の大勢は誰かのかけ声に従って、一度に右か左に偏って移動し、真ん中に自らの意思に従ってとどまろうという人間が少ない為に船全体が大きく、右に傾いたり、左に傾いたりする事が多いのだと言う。
 確かに大東亜戦争(太平洋戦争)前夜からその終結に至るまでの日本は正に大きく、右に傾いていたのであり、終結からその後、十数年はまたその正反対の左へ大きく傾いた部分もあった様である。

 私は日本人の全てがこんなものだとは思わないし、この説を全面的に支持している訳でもないが、今回の衆院選挙の結果を見るにつけ、そうした一面も否定出来ないなと思った。
 総選挙というのは本来は国勢を左右し、国の運命を決めるはずのものであるから、各党、各候補の今までの総実績とその掲げた政策の全てによって、投票の判断がされるべきであろう。しかるに今回は小泉首相の掲げた郵政民営化に賛成か反対かという決断のみ迫るようなやり方により、国民は一種の催眠術にかかったように今までの小泉政権のやって来た事、そして郵政民営化後の日本がその他色々な面でどうなるかという事に対して殆どその思考を停止させてしまったのではないかと思える程、単純に自民党公認候補に投票してしまったのではないかと思われる。
 今まで何回も書いたが、日本の国には郵政民営化などという事より大事な懸案が幾つもあり、選挙の争点でそれらを殆ど無視、埋没化させて反対派を駆逐し、自分の周りにはイエスマンだけ置き、そして本来なら当選するはずもない実績も力もないような国会議員を多く生み出させた小泉首相のやり方は日本がこれから本当に重要な懸案に向かうのに著しくその国力を削いだのではないかと思う。
 反対派として今回、駆逐された人達の中には郵政民営化以外の懸案を解決するのに大変、有力な力を発揮し、日本国と日本国民の為に重要な役割を果たした人達も沢山いたかも知れないからである。

 私は今回の選挙結果のつけが今後、我が国の外交、内政その他もろもろの懸案事項において回って来ない事を祈る。

堀 浩二
by koujihori | 2005-09-15 12:26 | 時事問題 | Trackback | Comments(8)

選挙について

 今度の日曜日、9月11日に衆議院選挙が行われる。今回ほど一般大衆の目には争点が分かり易い選挙もないだろう。「郵政民営化賛成か反対か」だけなのだから。
 そして、大方の人は賛成か反対かと聞かれれば「賛成」と言うに決まっている。今度の選挙は国民の関心が高く、この分だと投票率も高いだろうから、おそらく自民党は勝利すると思う。
しかし、私は今回の郵政民営化法案参議院否決、衆院解散、総選挙の流れを眉につばをつけて見ている。国民をトリックにかける非常に単純な小泉劇場を観ているような気がするのである。

 これは正に衆愚政治ではないのか?国民に取って、耳当たりの良い、無駄な公共事業の廃止、郵政民営化して経営の効率化、それを支える為の税金の無駄遣い廃止、300兆円と言われる郵便貯金の資金を民間に有効に使われるようにする等々のお題目は確かに有効であり、それで日本が旧態依然とした官僚国家に終止符を打ち、民間の為の真の民主的社会が到来する様に感じさせるのには充分である。

 しかし、よく考えて欲しい。郵政民営化なんて事にかまけている以上に大事な問題が現在の日本には山積しているのではないだろうか?識者に言わせれば一番に取り組まなくてはならないことは年金問題でその次に医療保険制度だそうである。そして、争点の郵政民営化に関しても、前掲に掲げたメリットがあるようでその実、国家による公共事業は確かに必要であり、その為の郵便貯金のお金は大切な資金源になるという見方もある。
 そして前回のブログでも触れたが、拉致問題、対北朝鮮問題、対中国問題等、内憂外患が現在の日本はひしめいているのである。小泉内閣はこれらの重要懸案では殆ど成果を上げていない。私はそれをよく覚えている。拉致問題であれだけ伸展があったじゃないかと言うかも知れないがあれはアメリカの圧力による世界的流れでああなったのである。
 小泉首相はこれらの内政、外交の失点で段々支持率が下がってきたのを郵政民営化という国民に取って聞こえの良い問題にすり替えて、人気挽回を図ろうとしているだけではないのか?

 今日のニュースでホリエモンこと堀江貴文ライブドア社長が「象徴天皇に違和感」と発現したことが報道されている。それによれば憲法の象徴天皇に違和感を感じ、いっそのこと日本は大統領制にしたらいい、その方が効率的だと言明したそうである。これはとんでもない大馬鹿者の言うことである。彼は「結局、世の中金」とかほざいているそうだが、私の見る所によるとこの男は唯物論者であり、物質的、表面的な繁栄を手っ取り早く、効率主義、技術万能主義で実現させて行けば、日本の伝統とか文化とか人情とかというものは唾棄してもよいと思っているようである。

 私は小泉首相も殆ど同様ではないかと思っている。この人は内政外交で殆ど成果を上げていないが、日本の大事な部分を破壊する行為はこの四年間で重ねてきたと思う。度重なる大銀行の合併、地方自治体の合併は没個性化、合併にかかる無駄なコスト、細かいサービスの低下等、殆どデメリットばかりが指摘され、また大店舗ばかりが繁栄し、町の個人商店がそれに押されて、廃業倒産に追い込まれている現状は多様性の否定、そして弱者、庶民切り捨て、大企業、金持ちばかりが優遇され、繁栄する社会ではないのか。

 私は政治は愛であり、本当の神様に対する信仰が基盤になっていなくてはならないと思う。
 神様は全宇宙に拡がっていて、全ての生きとし生けるものの中にあるのであるから、神様の御心に中心帰一していく政治をする所、それは真に民の為になり、真に民に愛情を注ぐ政治になると思う。それは時に国民に取って、理解が得られない事もあるかも知れないがそれを断じて行うことが国民の為になると思って断行するのである。
 それが真の民主主義である。国民に取って、一見聞こえが良い政策、公約を掲げ、それで支持を取り付けて、その実、本当に国民に取って必要で為になる政策を実行しようとしないのは衆愚政治であり、民主主義とは言わないのである。

 あの大東亜戦争(太平洋戦争)突入時、朝日新聞を始めとした報道機関により、鬼畜米英の悪感情をたぎらせたのは正に日本国民であり、その圧倒的支持の元、日本は開戦に踏み切ったのであり、そうした国民のうわべの声に迎合し、戦争に突入していったのは当時の東条内閣である。

堀 浩二
by koujihori | 2005-09-07 13:00 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

小泉首相のやり方について

郵政民営化がどれほど重要か分からない。確かにメリットはあるだろう。しかし、デメリットもあるという指摘もある。何でもかんでも民営化して資本主義の元にさらすというのは確かに経営は効率化され、組織もスリムになるだろう。しかし、資本主義の元におかれるということは、資本主義の第一原則は利潤追求であるから、即ち金儲け第一主義になるということである。
 そうなると肝心な点が見落とされるのではないか?郵便事業ではそんな心配はないが業種によっては人命を第一するとかそうしたことが抜ける恐れもあると思う。JR福知山線のあの大惨事は国鉄が民営化されていなければ起こらなかったし、数年前のアメリカの大停電が長期間に渡って復旧しなかったのも電気会社が民営化され、余りに組織が細かく分断され、縦割りになっている為に横の連携が取れなかった為である。
 
 私は政治や経済の専門家ではないので今回の郵政民営化の是非をここで論ずる資格はないが、しかし、この一点の政策を通す為に自分の反対陣営の人達を切って捨て、そしてお互い相戦わせるなんていうのはいかがなものか。
 小泉首相は人間としての暖かみとか情愛という部分に欠けているのではないか。多くの人を赦し、抱えるリーダーとしての器量がないのではないかと思う。私はこのようなやり方は自分のお気に入りの人間、所謂、ごますりしかしてこない茶坊主のみを自分の周囲に置き、それ以外の人間を切り捨てていく典型的な独裁者の様相を呈していると思う。
 組織の中には色々な意見、個性を持っている人がいるのであり、自分に合わない者を全部切り捨てていては到底よい組織、よい国にはならないのである。
 こういうやり方は色々な人のいい面を切り捨てることになるので大変残念だと思う。彼は独裁者的であり、その手法は独裁者の用いる恐怖政治である。リーダーというのは懐深く、色々な人の長所を伸ばし、相容れない所はそれを受け取り、包容する位の度量がなくてはならないと思う。

 小泉首相は就任当初、自民党をぶっ壊すとか言っていたが、今回、本当にぶっ壊すことになったわけだが、私が思うにこの人は唯物的で表面の効率に気を奪われて、日本の無駄もあるがそうした効率で割り切れない大事なもの、文化を大部、それこそぶっ壊しているような気がするのである。

 大きな駐車場付きの大店舗というのが酒類、本屋から家電製品まで今では当たり前になってしまったが、それで昔からの町の個人商店がどれだけ寂れていっていることか。
 その他、地方自治体の合併、銀行の合併などそれは元々日本人が持っていたきめ細かい地元のつながり、共同体というものを効率第一の考えで破壊していっているような気がするのである。

 私は今回の選挙は恐らく、小泉首相率いる自民党は大勝すると思う。郵政民営化の是非を問われれば、行革が大事だと思っている大部分の国民から支持を集められるのは火を見るより明らかであるからである。小泉首相もその辺の所はちゃんと計算して衆院解散総選挙に踏み切ったはずである。
 彼は大衆の心を読むのが非常にうまい。ワンフレーズポリティシャンと言われ、大衆受けするパフォーマンスに長けているのである。しかし、あのかつてのドイツのヒトラーも全く同様であり、その一流の演説術から当時のドイツの大衆の心をつかんでいったのであるが、その後のドイツの運命は周知の事である。

 真の民主主義は国民の本当の声に耳を傾けて、その声を積極的に採り入れる事であるが、民主主義とよく似ているが衆愚政治というものは民衆の本当の事に耳を傾けるのではなく、如何に表面的に民衆受けするかということを考え、その為の詐術を弄して、民衆をだまし、民衆をミスリードするのである。

堀 浩二
by koujihori | 2005-08-19 12:57 | 時事問題 | Trackback | Comments(2)

政治家について

 私は政治には大いに興味がある。それはやはり、彼らの政策が国と世界の流れの大勢を決めるからである。だから、政治家の方々には大いに自覚を持って政治活動をしてもらいたいものである。

 しかし、聞くところによると政治家は頭の中の八割方は選挙の事を考えているそうである。それではいい政治など出来るはずがない。政治家は国民の生命と財産を守る責任があり、いい政治をしてもらわないと困るのである。それには選挙対策なんてことではなく、本当に国民の為になる政治をする為にはどうしたらいいかということをそれこそ頭の中の八割方考えていなくてはならないのである。

 古代ギリシャの哲学者プラトンの唱えた哲人政治というものがあるが、これは哲学、真理を究めた人間、いわば最も道理の分かった哲人こそが政治に携わるべきだという考え方であり、そうした賢人が政治をすれば、素晴らしい政治が為されるのであるということを言っている。
 しかし、現実は既に書いたように自分が次に選挙に当選出来るかどうかということの心配にその精神活動の殆どが割かれているような状態が現在の日本の国の政治家の実態なのである。

 それは今まで聖職と言われて来た職業というものが無くなって、皆サラリーマンの様になって来ている所に関係があるのではないかと私は思う。つまり、教師や医者は本来は聖職であり、労働者としての権利とか何とかを唱える前に自分の生命は教え子や患者に捧げるというような覚悟の元にその任務、職責を全うすべきものではないかと思うのである。
だから、そういう職業は労働ではなくて聖なる職業、聖職と呼ぶにふさわしいのである。

 しかし、現在は医者とか教師達は自分達がそうした聖なる職業についているという高い自覚を失い、自分達を単なる労働者、即ち人から言われた事を機械的にこなしていくだけの半分機械のような存在に過ぎないという感覚にまで堕してしまい、聖職という言葉は殆ど死語になり、自分の身を投げ打って、人のために尽くす気風、気高さを教師や医者達は失ってしまった。
 それはとりもなおさず、彼らが自分達が神聖なるものであるという自覚、誇り即ち神の子であるという自覚が欠落して、自分達をただの物質の塊であるという堕落した人間観、認識しか持たなくなって来ているからであると思う。
 政治家も同様である。自らの保身、党利党略の事ばかりが先行し、国民の為に身を投げ打ち、国のために自らの生命を捧げるという覚悟を持った政治家がどれほどいるであろうか。

 もちろん、政治の世界を生きて行く為には清濁併せのむということも必要である。しかし、それは小さな善にとらわれるな、自らの度量を広く、深く持てということで自らの政治理念を放棄して、党利党略、保身の為に汚い裏工作に明け暮れるということではない。
 本当に国民の為を思い、国とそして世界全体の平和の為に何が必要かということを常に考え、そして実行して行く政治家が政治をやって行かないと環境問題にしろ、国際紛争の問題にしろ、テロの問題にしろ解決することはない。だから、本当に政治は大事なのである。

 それならどうしたら立派な政治家になれるかと言ったら、それはまず、自分の利益、保身を二の次にする覚悟を持つことである。そして、国民と国と世界人類の為にどういう政治をしたらいいか真剣に考え、それを実行する為に自分の生命を捧げる覚悟を持つことである。

 その為には一番大事な事は正しい信仰を持つ、あるいはそれを持とうという努力をすることである。正しい信仰とは自分は死んでも死なない肉体を超えた神の生命そのものであるという信仰であり、この世界はこの不完全な現象の奥に素晴らしい完全円満な神の国があるという信仰であり、そして、全ての宗教の神髄は本来共通しているという信仰である。
 正しい信仰ではなく、間違った信仰例えば、アメリカの政治家の様にキリスト教原理主義みたいなキリスト教のみが尊いとかと言った他宗排斥の信仰であれば、それが先のイラク戦争の様に戦争の原因になり却って良くないが、正しい信仰心を持つことは是非とも必要なのである。
 正しい信仰心を持ち、神様の御心を常に体現しようという覚悟をすることである。自分でどうしても判断に迷った時は徳川家康がそうした様に優れた宗教家とか哲学者に教えを請えばいいのである。
 そういう正しい信仰心は信念となり、自分の心配なんてしないのである。自分の心配なんてしないから自分の保身や次の選挙の事なんて考えないのである。そして、正しい信仰を持っているから選挙民に媚びずに却って、選挙民、国民の幸せを願い、そしてその為に国民の真の声に真剣に耳を傾けるのである。

 そこに真の民主主義が実現し、常に国民の声を聞き、真剣にそれを踏まえ、良き意見は実行しようとするから自ずとそういう政治家は次の選挙で上位で当選出来るのである。
 
 先日、郵政民営化の事で悩んだ政治家が自殺したという報道があったが、私には小泉首相が何故、この法案にここまで固執するのか分からない。何でもかんでも民営化するのが能でもあるまいと思うし、ここまで時間と経費とエネルギーをかけて民営化して何のメリットがあるのだろう。国民に取って見れば大した違いはないはずである。それどころか有識者に言わせればデメリットの方がいくつもあるそうである。

 私はそんなことより今の日本の政治家は時間と労力を掛けなければならない問題が山積しているのではないかと思う。拉致問題はどうなったのか?炭素税の導入はどうなったのか?対北朝鮮、対中国の外交問題の事をもっと真剣に考えなくてはならないのではないか?

 郵政民営化などというどっちでもいいような問題に血道を上げている今の自民党はどうみても国民と国と世界の平和と安定を真剣に考えている様には見えないのである。


 堀 浩二
 
by koujihori | 2005-08-03 21:45 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

ロンドンのテロ

 ご存知の様にイギリスのロンドンで同時多発テロがあり、多数の犠牲者が出た。監視カメラ等、イギリスの警察の優秀な捜査技術により、事件発生後からわずか一週間でテロ実行犯を確定出来た。
 それによると彼らはパキスタン系のイギリス人四人でいずれも20歳から30歳の若いイスラム教徒だそうである。彼らはいつもは学生とか教師としてイギリス社会に普通のイギリス人として潜伏しており、いざテロ実行という時になるとその本性を現し、この様な恐ろしいテロを実行するというスリーピング・セル(眠っている細胞)と呼ばれるテロリストである。
 しかし、日本人の感覚からするとよく分からないのが彼らがパキスタン系とは言え、イギリスで生まれ、イギリスで育った、イギリス国籍を持つイギリス人であるのにかかわらず、こうした自国民が母国であるイギリスの首都ロンドンで大量虐殺のテロをアル・カイーダの様な国際テロ組織の指示がいくらあったにせよ、どうして起こせるのか、起こしてしまうのかということであろう。
 この様に自分の生まれ育った母国で自国民にテロ行為をするなんて日本人ならおよそ考えられないことである。

 しかし、よくよくイギリスの事情を聞いてみると、イギリスは日本なんかではおよそ考えられない階層社会であり、上流階級、中流階級、下層階級というのが今でも完全に分かれた社会なのだそうである。それは言葉の発音の仕方から違うのだそうで、イギリス人はお互いちょっとしゃべっただけで相手の階層が分かり、相手が自分より下層の相手と分かると途端に差別的な扱いをするそうである。
 それは当然宗教間の差別なんて要素も加われば、エスカレートするだろうし、今回のテロ実行犯の四人はいずれも下層階級として差別され、イスラム教徒としても差別された人達であったそうである。そうした差別の現存する社会ではいくら母国と言えど、その差別から生じたうらみを張らしたいという気持ちもあったであろうし、それがイスラム教的な聖戦(ジハード)の要素が加われば、今回の事も当然の結果と言えなくもないと思う。

 であるから、よくアメリカやイギリスの政治家とそれに同調する日本の保守系論壇の人達が言う「テロとの戦い」、「テロには決して屈しない決意」とか仰るのはまあ一応分かるが、その前にどうしてこういうテロが起こってしまうのかという原因を考える必要があると思う。
 それは白人のトップの階級が主に生じさせている差別であり、また彼ら先進国の現象的、肉体的快楽と便利さを追求した生活レベルを維持する為に如何に発展途上国の人達を安い賃金で酷使しているか、そして地球環境を損なっているかということを内省する必要があるだろう。

 日本はその点、素晴らしいと思う。日本は階層なんてものは人によっては多少あるという人もいるが、イギリスなんかに比べて、全然そんなものは存在しない。意識調査をすれば80%の人が自分は中産階級だと答える国柄である。もちろん私も自分をそう思っている。
 だから、日本人は地域のつきあい、職場のつきあいでもその人の出身地、宗教、生まれとかで差別してつきあうような事はせず、その人がよほどの変わり者で自ら心を閉ざしていない限り、誰でも仲間に入れてやってお互い、仲良くつきあう。それは日本人は昔から天皇を中心として、その元に平等であるという自覚が意識するとせざるに関わらず潜在意識的に何となくあるからであると私は思う。
 そして日本は昔から自然と対立してそれを征服するという考えはなく、自然と融合して、それを出来るだけ生かし、保存するという意識を持ってきた。そして、鎮守の森と呼ばれた森の中の神社に人々は信仰のより所を求めたのである。
 そして日本は元々天皇を中心とした神道的な信仰の地盤があったが中国から仏教が入ってきてもそれを排除する事なく、日本の風土にうまく取り込んだ日本的仏教を作り上げ、神道ともうまく融合というか両立させたのである。
 我々日本人はそうした素晴らしい国に生まれた事をもっと感謝しなくてはならないと思う。そして、こうした階層の差別をしない、宗教同士を対立させない、そして自然を大切にするという我々日本人が古来から持って来た国民性を大事にし、こうした要素が世界の平和と環境保護活動に今こそ求められているという事を自覚して、志ある若者にはどんどん世界で活躍してもらいたいものである。

 堀 浩二

 
by koujihori | 2005-07-18 09:32 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

若貴問題について

 久しぶりに時事問題というか余り、程度のいい話ではないが今、話題になっている問題について書いてみる。例の「若貴問題」である。

 周知のように史上初の兄弟横綱であった花田勝氏、光司氏の兄弟不仲がいよいよ深刻の様である。昨日も双子山親方の35日法要が行われたが、二人は殆ど顔を合わせなかったそうである。

 私はこの二人の構図はよく分かる様な気がするのである。即ち、ちゃらんぽらんだが割合、何にでもつぶしがきき、現実的な考え方をする兄、そして生真面目な求道家タイプの弟。ちょっとこの弟は私に似てなくもないので彼の気持ちが何となく分かるのである。

 聞くところによるとそもそも兄弟の確執はどの辺から始まったかと言うと、兄の勝氏(若乃花)が横綱になったあたりらしい。若乃花は相撲はうまいかもしれないが軽量で小柄ということもあり実力的には横綱にはなれる資格が無かったのに兄弟横綱で相撲人気を盛り上げようとした相撲界の商業主義により横綱若乃花が誕生したと言う説があり、相撲や横綱というものを神聖視していた貴乃花がその事に対して、非常な憤りを感じたと言うのである。神性な横綱という地位をちゃらんぽらんで実力もない兄が汚したと弟の目には映ったのかも知れない。

 貴乃花は大相撲で割合、日常的にあると噂される八百長には一切、手をつけず、ガチンコと呼ばれる真剣勝負だけで横綱に上り詰めた横綱中の横綱である。そうなるまでは彼は素質に恵まれていたとは言え、人の何倍もの努力をそのストイックな精神力で重ねたはずである。それなのに割合ちゃらんぽらんで現実的な兄がひょいひょいとその横綱になってしまったのだから、この生真面目な弟にはそれが許せなかったのだろう。

 でも、これがもし他人同士だったらどうであろうか?貴乃花はこうやって楽に横綱になった若乃花という力士をこうまで憎まなかったであろう。「まあ、しょうもないやつ」くらいで流していたはずである。それは何故かというと他人にはそんなに思い入れがないからである。
 例えば、となりの親父が愛人を作ったからと言って、世の奥様方はそんなに憤らないであろう。だが、これが自分の亭主ということになると「怒髪天を衝く」ということになると思う。それは自分の家族は他人より愛しているが故にこうあって欲しいという理想像があり、それに相手が反したことをすれば相手を愛している分、憎しみも深いからである。

 そういう訳でこの若貴に限らず、憎しみ合っている仲の悪い兄弟姉妹というのは実は仲が良く、お互い愛し合っているからこそ憎しみ合うようになるのである。

 それでは実際問題、こういう場合、どうしたらいいのか?どうやったら仲良くなれるのか?皆さんはどう思いますか?それは相手に理想像を求めないということである。相手を愛しているからこそ相手に理想像を求めてしまうのであるが、相手の短所ではなくて長所を見ればいいのである。

 人間は全ての面において、完璧な人間はおらず、皆、長所と短所があるのである。短所のない人間はいないが長所のない人間もいないのである。
 ある長所を持っている人間はその自分と同じ長所を持っていない相手をいたずらに自分の尺度で責めるのではなく、自分は全体の役割の中で相手にない長所を持っているのだから、自分の長所で相手の短所を補う役目があるのだと思うようにすればよいのである。
 逆に相手は自分にはない長所があるはずだからそれを探し出して、感謝すればいいのである。そうすれば、お互い、相足らざるを補い合って、全体の家族、組織、社会としてうまくものごとが運び、皆幸せになるのである。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-07-04 20:37 | 時事問題 | Trackback | Comments(2)

首相の靖国参拝について

 小泉首相が靖国神社参拝することについての是非についての論議がマスコミで活発になって来ているが大体はそれを日本の国益を損なうとして反対の様である。
 何故ならば、首相の靖国参拝を非難している中国は今やアメリカを抜いて日本の最大の貿易国であるから、首相がこれ以上靖国参拝にこだわるのは日本に取って国益にならないというのである。また、それだけではなく、首相がA級戦犯が祀られている靖国神社に参拝することはかつての侵略戦争を起こした張本人達にお参りするのであるから、戦争の被害にあったアジアの人達の神経を逆なでするものであり、思いやりに欠けるという論議もある。
 しかし、問題の本質はそんな所にはない。問題は一国の首相が自国のどこに何をしに行こうとそんなことは他国にとやかく言われる筋合いのものではないということである。そんな口出しは正しく内政干渉以外の何ものでもない。
 そういう意味で私は小泉首相は靖国神社に参拝して全然構わないと思う。でも参拝しなくてもいいし、参拝しなければならないというものでもない。要はそんなことは御本人が決めればいいことである。

 現在の日本というのは精神の心棒というものを失い、自信がないから他国からのちょっとしたちょっかいでふらふらするのである。そして、唯物主義であるから、精神的支柱を守るということよりも目先の物質的利益を第一にするのである。だから、大事な貿易国である中国のご機嫌を損ねないようにすることが重要であり、その為に首相が靖国参拝にこだわるというのは百害あって一利なしと考えるのであろう。

 私は靖国参拝の是非について、ここでとやかく持論を述べるつもりはない。しかし、靖国神社にクレームをつける人、否定的な考えを抱いている人に申し上げたい。一度、御自分で靖国神社に実際に御参拝なさって、御自分でその空気に触れられ、そして、是非境内にある遊就館という展示場に足を運んでその一番奥にある特攻隊の青年の手記を読んでみて下さい。
 そして、我々のこのかけがえのない祖国を守る為に自らの尊い生命を捧げて下さった英霊達の魂に触れてみて下さい。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-06-03 08:43 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

日本の夜明け

 現在、我が日本国の現状は何となく暗雲たれ込めたような状況、危機的状況にあると思うが、それはやはり、かつて生長の家創始者谷口雅春先生が訴えられていた通り、国の根幹を定めた現憲法である日本国憲法の精神、考え方に問題があるからだと思われる。
 この憲法には平和、自由、平等、権利が高らかにうたわれ、一見、理想的な憲法の様だが、国の根幹、家の概念、国民としての義務が骨抜きにされ、肉体の権利、快楽を第一のものとして据えた精神に問題がある。
 
 こんなものを戴いていれば、おのれの権利ばかりを主張し、国や祖先に対する感謝の念は薄れ、肉体の快楽、物質の利益を第一にする国民性が出来上がるのである。それは現在のもうけ主義第一の産業人のやり方、肉体の快楽を第一に求めた様な猟奇的事件の多発、自分のことばかりで子供のことを顧みない若い親達の出現等の我が日本国の現状を見れば、明らかだろう。
 そして、自衛隊を否定し、国の安全保障上の当たり前の免疫機能である軍隊を否定しており、その事がまた日本が一人前の国として世界に対して、責任ある行動と言動が出来ない原因になっているのである。
 
 しかし、昨今、一昔前までタブーとされたこの日本国憲法改正に関しての議論が活発になって来て、過半数の国民が改正に賛成ということになって来たのはいい流れではあると思う。しかし実際、現状のままでは日本国憲法を根本的に改正するというのは難しいだろう。
 環境権の追加とかそのような微細な改正なら可能かも知れないが、根本的にまともな憲法にするように変えるのは現状では困難だと思う。へたをしたら改正どころか改悪なんてことにもなりかねない。
 何故、この憲法を正しい方向に改変して行くのが難しいと言ったら、このアメリカ製の日本弱体化を意図した憲法は言わばぬるま湯憲法であり、一旦、それにはまったら中々そこから自ら抜け出す気にならないからである。
 おまけに日本はいわゆるムラ社会であるから、強力なリーダーの元、合理的な改革がびしびしと実行されて行く欧米と違って、誰が中心者だか決定者だかよく分からないで何となくものごとが進行して行き、ドラスティックな改革は中々行われず、現状維持で何となく進んでいくのである。

 それではどうしようもないのかと言ったら、そんなことはないのである。それは日本の真の姿、実相というのは自然発生的に出て来るのであるからである。そもそも日本国の建国も欧米の国の様な人々の契約により成り立ったものではなく、自然発生的なものであり、従って、日本国の生長や改革も言わば、同様に自然に行われて行くと私は思う。
 
 日本の実相はそのままで素晴らしい国であるから、だからこそ色々な失敗体験をするのである。その失敗体験こそ素晴らしい勉強と学びの機会であり、それを契機としてその本質の素晴らしさがますます顕現して行くのは我々個人と同様である。

 現在の日本は正に色々大切な事を学んでいる時期であると思う。新聞紙上を騒がす、色々な異常な事件、JRの脱線事故等々のように多くの人達の乱れ、悩みは我が国開闢以来のことであると思われる。しかし、それだからこそ、我々日本民族の素晴らしさがその学びの中で自ずと自然発生的に目覚めて行くのである。それが日本の夜明けである。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-05-25 12:43 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

日本の防衛について

 日本の防衛についてどうしたらよいかという議論があるが、この世に悪ありと認めて、それを恐怖して、抑える為に軍備を増強しようというのは間違っているのである。その様な迷い、恐怖心で動けば、その恐怖した通り、近隣諸国は実際、牙をむいて襲いかかって来るであろう。
 
 こんな事を書けば、日本国憲法の前文にあるような虚構の理想論即ち「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という愚か極まりない文句と同じに聞こえるだろう。
 しかし、私の信仰している生長の家の真理、即ちこの世界には善なる神しか存在しておらず、悪や悪人は本来存在しない、というのは現象の事ではなくて現象を超えてその奥に存在する本当にある世界、即ち実相世界の事であるのである。
 その事を吾々人類が本当に悟れば、現世(うつしよ)であるこの現象世界にもその完全円満な悪のない実相の世界の姿が投影されてくるのである。しかし、日本国憲法でうたわれている虚構とも言える理想主義はこの現象世界そのものが悪も何もない国々ばかりであると言っているのであって、そこに生長の家の真理と日本国憲法の考え方と根本的な違いがあるのである。

 吾々、日本民族はあくまで正しい信仰を把持し、この現象世界の奥には悪は一切ない世界が真実の存在として存在しているのであるという思想に立ち、この現象世界と本当にある完全円満な実相世界とは違うのだという認識を持たねばならぬ。その上で本当の世界には悪も悪人もないという大安心の心を持って政治を行い、経済活動をしていくべきである。
 そうしたら国の防衛に関して何もしないかと言ったら、そうではないのである。鳥が卵を産むのに備えて巣作りをするのは取り越し苦労するからするのではなく、あくまで内側から自然の働きで何となく巣作りしたくなるからするのであるというのは生長の家の「信仰生活の神示」にも示された通りであるが、そのように本当の世界は一切、悪はナイという信仰に立てば、やるべき備えは自ずとしたくなるように自ずと必要最小限の軍備や武力を備える事になるのである。
 それは日本国という一個の生命体としての免疫的な自然な働きである。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-05-22 21:51 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)