カテゴリ:学術問題( 3 )

孤独と内界は違う

 孤独が本当の心の状態であり、それは良いことだという論がある。確かに何か仕事に集中する時は周りの雑音に惑わされずそれをシャットアウトする事が大事だ。アーチストが作品を製作するのも思想家が思想するのも設計者が設計するのも職人が工芸品を手掛けるのもそういう状態が不可欠と言える。

 そして瞑想も正に外界の騒音をシャットアウトして内なる世界に心を振り向ける事だ。 

 しかし、キリストは自分以外に誰かと交わる時に神が現れるとも仰っており、小人閑居すれば悪事を為すという言葉もある。またありもしない妄想、取り越し苦労というのは自分だけの頭で考えている場合にそれが心に忍び込んで来る。一人で塞ぎ込んでないで友人や仲間と交わっている内にそんなものが妄想だった事が分かる。
 またシナジー効果というのは1+1=が2ではなくて3にも4にもなるという事で何かチームとかで仕事をする場合、お互いの良い面を出し合えば素晴らしい仕事が出来るという事である。

 要するに人間は一人では大した事は出来ず周囲からのアドバイス、助力等により初めて力を発揮出来る。それはとりもなおさず人間が肉体ではなく人間関係という肉体を超えた自他一体の存在であり、そこにこそ初めて人間の力、価値が発揮出来る。
 人間が人ではなくて人間と書く由縁もそこにある。分かり易い例が日ハムの大谷。彼はすごい才能の持ち主だがあれは栗山監督が二刀流を認めてそれを全力でサポートしているからこそ出来たのであり、それはイチローや野茂の成功も彼らの個性的なフォームの天才を認め伸ばした扇監督の存在があったればこそだ。
 だからみんな何か偉業を達成した時に感謝という言葉を口にするのである。

しかし、冒頭に述べた様に周囲の雑音をシャットアウトして集中する事も大事だ。野茂にしろ、大谷にしろ、イチローにしろ集中して練習したい時や実戦の際にああだこうだ周りから言われたらとても出来ないだろう。

 それではこの議論は如何に収斂すべきであろうか?

 それは内界と外界の区別であろう。キリストは「神の国は汝のうちにのみあり。外にこれを追い求めるものは永遠にこれを得る事あたわず」と仰っている。またチルチルミチルの話を知っているだろう?チルチルミチルの兄妹は幸福の青い鳥を追い求めて森へ探しに行ったが見つからずへとへとになって家に戻ったらその青い鳥は家にいたという話だ。

 これは内界というのは内なる霊なる世界、理念の世界であり、それこそが本当に実在する世界であり、外界というのは現象であり、それは現世(うつしよ)と読んで字の如く、内なる理念の真に存在する世界の映しの世界に過ぎず、アル様に見えて実は存在しない影の世界であるという事である。

 だからこの外界、現象世界にああだこうだ関わったりそこから雑音を受けるのではなくて内界本当にある理念の世界に集中して行く事が大事なのであり、それが瞑想であり座禅であり、その内界、理念の世界が展開される時、理念の世界に於いては自分と他は一体なのだから色々な仲間と話し合ったり、助けを受けたり、こっちが助けたりという事になるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2016-10-28 11:00 | 学術問題 | Trackback | Comments(0)

今、ここそのままで完全円満の実相世界である(4)

 脳科学者の中野信子氏の著作「科学がつきとめた運の良い人」によると「この世界は万人に平等にものごとが起こって来ている。しかし、運の良い人というのは同じ事でもプラスにとらえるのです。例えば、雨が降って来たとして、ある人は「ああ、憂鬱な雨だな」と思うし、又別の人は「ああ、良いお湿りだ。有り難い」と受け取る。」との事。

 これは全くその通りである。要するに完全円満大調和の実相世界は今ここにあり、全ての人はその恩恵に浴しているのである。しかし、心がまだ幼くてその自覚の足りない人はそれに目を閉じて、「暗い、暗い、自分は不幸だ」と感じるのである。逆に悟りが出てきて、神の作り給うた完全円満の実相世界をそのまま観じられる様になった人は「ああ、有り難い。生かされている事が有り難い。失敗しても有り難い。勉強になった。進歩した」ととらえる事が出来るのである。

堀 浩二


by koujihori | 2013-02-26 20:11 | 学術問題 | Trackback | Comments(2)

進化論について

 昨日、私がよく観るテレビ番組「アンビリバボー」で地球上の生物の進化に関するテーマをやっていた。それは生物が進化するのはダーウィンの進化論の様に環境に応じて徐々にその生物が進化するというのではなく、突然変異的に進化するのであり、そのきっかけとなるのは宇宙から来たウィルスであるというのである。
 私は最初はそんなバカなと思って軽い気持ちで観ていたが観ている内にこれはもしかしたら真実に近いのではないかと思うようになってきた。

 というのは進化論に関しては私は根本的にこれを信じておらず、それはダーウィンという一科学者が打ち立てた仮説の一つに過ぎないものであり、完成されたものではないのである。何故なら昨日の番組でもやっていたがキリンならキリンの首が伸びたのは彼らの餌となる木の実が高い所にあるから必然的に段々伸びていったというのがダーウィンの進化論であるがキリンの祖先と言われる動物と現在のキリンとの間に段々首が伸びていったであろう中間の生物の化石が発見されていないのである。
 それは人類も同様で人類の祖先とされている類人猿とその後の北京原人とかネアンデルタール人との間の中間の類人猿の化石というものも発見されておらず、両者の間には実に一千万年の時間の隔てがあり、そこは空白地帯で、断絶しているそうである。
 しかし、現在の学校教育ではこのダーウィンの進化論を正当なものとしてそれを根拠に教育が行われているのである。従って人類というものは猿の子孫に過ぎないものであり、だから人類は動物の一種に過ぎないという考えを多くの人が持っているのである。そういう所から人間が中々立派な行動を取れないということにもつながっていると思う。

進化論に関しては生長の家創始者、谷口雅春先生が御著書「第二青年の書」で触れられている。それは進化論はある程度正しく、生物は微生物から始まって段々後から高等な生物が出現してきて現在の人類に至っているのは正にその通りであるがそれは生物が何回も代を重ねて生まれ変わって行く中で徐々に進化するのではなく、後から突然変異的により高等な生物が出て来るのであるということである。
 私はそれを拝読して「ああ、そうか、分かった。」と一応納得していたのであるが、それではその突然変異というのはどのように起こるのか、また突然変異の生物が出て来るにしても最初のきっかけは何なのかということに関してはよく分からず、その内分かる位に考えていたのである。

 しかし、私は昨日の番組を観て、その生物の進化の上で起こる突然変異というものはこういうものだったのではないかという気がちょっとしたのである。
 というのはその番組で言われていた一説に宇宙にはシードマスター(種を蒔く支配者)という不可思議な神とも言える存在があり、それが地球という一つの天体を生物進化の実験場にしていて宇宙から隕石に乗せて生物の種(シード)を地球に蒔き、後から段々と高度な生物の種を地球に送り込んでそれが地球上に於ける生物の進化になっているというのである。
 その種が前述のようにいわゆるウィルスというものであり、それが宇宙から飛来することで地球上に於けるより高度な生物の段階的な出現となっているというのである。

 何でもNASAでも地球の水分その他微生物はそもそも宇宙から隕石で運ばれて来たという説をほぼ認めているようで、今年7月に行われるというディープインパクト計画で彗星に重さ350kgの弾丸を撃ち込み、彗星内部のかけらを観測しその成分を調べようとしているらしい。

 私はまだはっきりとした確信はないが自分が長年疑問に思っていた地球上の生物が進化していく過程で起こった突然変異というもの、また、後からより高等な生物が出現するにしてもその最初はどのようにして出現したのかという疑問が何となく分かったような気がするのである。皆さんはどう思われますか?

堀 浩二

番組の詳しい内容をお知りになりたい方は下記のアドレスで検索して見て下さい。 

http://www.fujitv.co.jp/unb/index.html
by koujihori | 2005-04-15 12:19 | 学術問題 | Trackback | Comments(0)