カテゴリ:家庭生活( 44 )

神様は決して解決出来ない問題は与え給わない。

 この世界は色々な試練とか不幸が来る事がある。しかし、神様は絶対に解決出来ない問題は与えないという真理を知っていればどうという事は無い。
 神様が与えると言ったが実際は過去の自分の行動とか心持ちが現在の自分の運命とか健康状態とか能力の有る無しを決定している。他の誰かから不可抗力的な力が働くのではない。全て自分から発し自分に還る。
 現象は完全に自分の過去の心と行動の結果なのだ。それは自分が過去に作った問題みたいなものだから必ずどんな困難が出て来ても自分の心を変える事により解決出来る。如何なる病気でも過酷な運命でも元の元の原因は自分の心だから必ずそれを改善する事が出来る。そして、その現象の不幸とか過酷さは自分の心持ちの悪さを教えてくれている神様の導きだ。神様というか観世音菩薩は人間の心を観じてそれをその通り映し出して下さる事で人間に導きを与える。その現象の結果を見てそれをよく自己反省して改めれば必ず目の前の不幸は消える。これが神様は決して解決出来ない問題は与え給わないという事だ。

堀 浩二
by koujihori | 2015-08-07 12:46 | 家庭生活 | Trackback | Comments(0)

そのままでよい(41)

 昨日、親父(96)が足が痛かったのかイライラして僕に大声出して、こっちも「こんなに面倒見てるのに何だ!」と親父に大声で言い返した。それからいつもより遅く仕事から帰って来た女房にも日頃の事をぶり返して怒り。

 これ、昨日の僕ですが僕は生長の家は小さい時から、組織活動も30年以上。はっきり言って生長の家はベテランだと思います。その僕の昨日の行状が前述の通り。それは

①オレがやってやってるという我(が)がある。
②親と女房に怒りをぶつけた。

以上二点の罪がある。

 確かにこういうのはもちろん良くない。しかも長年生長の家やってるのに。でもね。僕は今朝は女房に

「昨日はゴメンね」と謝った。僕の場合、乱れても引きずりません。そしてすぐに相手に謝る。それはこれも実相が自分で出て来る過程であると分かるからです。親父が数日前から足が痛くなったのは本当に困った事だと思った。歩けなくなると色々な面で困る。

 でもそれにからんで昨日は喧嘩になったけどこれは正に昨日も書いたけど親父の怒鳴る姿は僕の姿だ。昨日は生長の家らしくない事をしてしまったと思うがそれ以前に昨日ああなる事はもう念の世界で決まっていた。僕は三週間位前にかなり憤慨してある人を怒鳴りつけた。それが昨日帰って来てるだけなんだ。それが分かった時点で怒鳴る親父も本来無い。そして、その中で僕の実相の自覚も進む。だから親父が足が痛くなって歩けなくなったというのも具体的に困った事じゃなくて僕が心で作った映像に過ぎない。

 そうしている中でお互い反省があり、切磋琢磨して実相がますます顕現する。

 だから、そのままでよい。

 ああ、自分は生長の家ずうっとやってるのにあんな事をしてしまった、言ってしまったと何時までも自分を裁いて落ち込む事は僕はありません。ただ誤解して欲しくないのは僕は今回の事で何も学ばないという事ではない。やはり人を怒りにまかせて怒鳴ったりしたらいかんと実感で学ぶ訳です。

 それは我(が)が学んでいるのではない。僕の実相が自分で出て来たから過去の自分が間違っていたと分かったのです。人生学校というのはそういう過程になっている。

 だから、生長の家をやっている人も怒る事もある、病気になる事もある。それで良いのです。

堀 浩二
by koujihori | 2013-10-30 12:06 | 家庭生活 | Trackback | Comments(0)

本人の自覚が大事

 よく生長の家でノイローゼとかの人に「あなたにはこれこれこういう人(祖先)の霊が掛かって来ているからよく供養して上げなさい。そうすればノイローゼは治りますよ。」とか言う指導がされる。
 こういうのもある面、正しい。霊視能力のある人はそういう迷った霊を見る事が出来る人もいるだろう。実際、その人がノイローゼとかになっているのはそうした迷った霊が掛かって来ている、要するにこういうのを霊障というのだけれどもそれが原因であるのはほぼ百%である。
 で、だからと言って、その霊を悟らせる為に供養をする、もっと端的に言えばノイローゼを治す為に供養するというのはこれは間違っている。
 間違っているというか最初はそれがきっかけでも良いが何時までもそういう心境に留まるのは良くない。

 要はそうした迷った霊に掛かられるのは掛かられる本人にそれを引きつける迷いがあるのであるから霊を供養云々よりも本人が「人間神の子無限力であり、人間はそのままで完全円満である」という強い自覚を持つ事が一番大事なのです。
 迷った霊に掛かられるというのはその本人に自己がそのままで完全円満であるという自覚が無くて、その本人にも他に依存する心、要するに神の国を他に求める心要するに弱い心があるから。
 それを払拭する事が何よりも大事。それが出て来たらその迷っている霊が「既にそのままで救われている」という実相が明らかになる。だから、それをこれから救うなんてしなくて良いし、もしその中で何となくその人の霊牌を書きたくなって、それを生長の家の供養祭に出したくなったらそれをすれば良いと思う。でもそれもあくまで既に救われている相手の実相を観る中から自ずと出て来る行為として行われるべき。
 
 そして本人の自覚がしっかりしたら自ずとそれが先祖の供養につながる。子孫が先祖の前で供養するというのは建前は先祖供養する事で先祖の霊が悟り、今まで迷いの念を送って来て子孫が色んな病気になっていたのがそれが無くなって却って守護霊になって子孫が栄えるという事ではあるが、本当は先祖に対しての感謝の表明であり、迷った先祖の存在を認めて、聖経を読んでやるから悟って、これから迷いの念を送って子孫を苦しめないでおくれというものではないとは雅春先生のご指導にある通りです。
 
 本当は迷った先祖に聖経を読んでいる様に見えるのは現象の事であって、実は読んでいる本人が聖経の真理を悦んで読誦している。そして、その悦びの内にはそのままで既に救われているご先祖があり、ただただそうしたご先祖への感謝の心、そしてそれに報いる為の真理のお経の供養という行為に現れているのですよね。

堀 浩二
by koujihori | 2013-08-08 09:54 | 家庭生活 | Trackback | Comments(0)

親に感謝出来ない全ての人へ

 生長の家は感謝の教えである。特に大事とされるのは「親への感謝」である。「大調和の神示」に「神に感謝しても父母へ感謝しえない者は神の心にかなわぬ」とある。

 だから、父母への感謝が大事だと分かるのだが感謝が出来ないと悩む生長の家信徒の人は多いのである。それで感謝誦行とやったり、浄心行をやったりする。それもいいだろう。しかし、根本的に知っておかなくてはならない事は「親というのは自分の完全なる鏡である」という事である。

 生長の家で父母への感謝が大事だと教わった。しかし、自分は幼い時に父母に虐待を受けた。とか認知症で荒れ狂っている親にどうして感謝が出来ようかと言うが、その幼い時に虐待した父母、そして認知症で荒れ狂っている年老いた親というのは百%自分の心を映し出してくれる観世音菩薩なのである。

 私は96歳の父が去年にアルツハイマー型認知症と診断された。父は暴力こそふるわなかったが暴言がひどく、常に文句を言い、怒り、恨み言を言っていた。私と妻は本当に閉口したものである。しかし、私は生長の家の仲間、先達からそういう親の姿は自分の心の鏡であるという事を教わった。私は反省した。大いに心当たりがあったからである。私はちょっとした事にもいらいらしてかんしゃくを起こす様な所があった。
 そして、父は悪い人間ではない、自分の観世音菩薩様であると分かった瞬間から父が変わった。
 
 今では穏やかな好々爺になってしまった。

 私は自分の体験から訴える。ひどい親、悪い親など存在しない。ナイ。それは全て自分の心の鏡、観世音菩薩であると。

堀 浩二
by koujihori | 2013-03-27 19:30 | 家庭生活 | Trackback | Comments(2)

悪はナイ。(7)

 この世に悪はナイ。恐ろしいものは一つもナイという事が実感で分かって来たので書かせて頂きます。
 ここで何回か書かせて頂いた事ですが去年7月に母が86歳で大往生で他界しましたが、残された父が95歳の高齢で世間的に言うと所謂、認知症っぽかった。これはストレスが掛かると進行し、母が倒れた事で大部進み、認知症の最初の症状と言われる「お金を盗まれた」という妄言を盛んに言う様になった。去年の6月の事。
 私は認知症の事は世間で聞いた程度の知識しかなく、「大変だな」くらいの人ごとに思っていたが、これが父がそうなった事でかなり動揺した。お金を盗まれた云々はその後、口にしなくなったが暴言が多くなり、姉の友人の父親は認知症で暴言どころか暴力をふるったりして大変だったとか。私は父の認知症に対して本当に恐怖したのです。
 でもその後、ある生長の家の知人からある生長の家の婦人の姑さんが認知症でほとほと困ったがそれが全部自分の姿を映す観世音菩薩であると分かり、姑さんに謝ったら、姑さんの認知症の問題行動がぴたっと止んだ体験談とかを聞かせてもらって、私も勇気が出、父の暴言、小言、恨みつらみは私の姿だと気づかせて頂いた。私はちょっと直情径行の所があって、憤りを感じる相手に対しては容赦なくつっかかって行く所があったし、また自分の尺度で大部、他人を批判する性向があったのです。
 である程度、父も落ち着いて来たかに見えたのが母の他界後の8月以降。で父の面倒を私の家内が本当に良くやってくれて父は私の家内が大のお気に入りで助かった。しかし、家内はデイケアサービスで食事を作る仕事をしており、平日は家を空ける事が多い。父は会社のオーナーで私もその会社に勤めていて、母の他界後は父は私の車で毎日会社に行っていた。でも仕事をするわけでもなく社長室のソファで寝たり、従業員と雑談したりして過ごしているのですが秋になって会社に行かなくなる事が出てきた。そうなると家には誰も居ない。仕方が無いからそういう時は私が会社を休んで付きそうのだが、その間、家内が帰宅するまで父は文句を言いっぱなし。それを一日中聞かされる私も気が変になりそうだった。
 でも、生長の家の教えでは自分の心に無いもの、自分がかつて人に与えたもの以外、自分が与え返される事は絶対に無い。父のこうした暴言、批判、恨みつらみの言葉は全て、私の中にあるものもしくはかつて私が人に与えた事であるともう一度再認識。
 私は幸いにして生長の家の教えを頂いている。一切は自分の責任、心の影であると改めて大懺悔した。
 そうしたら本当に父が変わったのです。前の様な暴言は一切言わなくなり、実は家内の母が年末から危篤状態になり、家内は先月の28日から実家の宇都宮に行ったきりなのですが父は「お母さんを大切にしなさい。僕の事は全然気にしなくて良いから親孝行して来なさい」と気持ち良く家内を実家に帰してくれているのです。

 父は正に私に取って観世音菩薩様でした。観世音菩薩様って言うのは生長の家の本尊であると谷口雅春先生は仰っていますが、観世音菩薩は人々の心の状態を映して下さる菩薩様ですがそれは同時に有り難い神様仏様ですね。父が観世音菩薩であると分かり、有り難い神様仏様であり自分と一つの生命であると分かったら、父が恐ろしく感じる思いは自ずと雲散霧消して行きました。

堀 浩二
by koujihori | 2013-01-01 22:08 | 家庭生活 | Trackback | Comments(2)

真の先祖供養(2)

 聞いた話ですが、あるご婦人がお子さんが何らかの病気か何かの問題になって、それで生長の家の先生に相談したら、
 「先祖供養をやりなさい。そうしたら良くなる」
 って指導されたそうです。

 それで教えられるままに一所懸命先祖供養した。でも一向に子供の状態は良くならない。でこれでもかこれでもかとやった。それでも良くならない。しかし、その内、

 「自分は先祖を迷っていると思ってそれを救おうと思って先祖供養していた。それは間違いだった」
 と悟るのですね。そして、生長の家の根本真理
 「人間は神の子で完全円満である」
 という聖経の意味をかみしめて、先祖を救おうという心を捨て、ひたすら感謝の心で仏壇の前で聖経を読誦する様になった。そうしたら子供の状態が完全に改善されたのだそうです。

 要するに現象的に霊界で救われていない先祖を認め、この先祖供養で一つ救って、それで子供にも祟らない様にしておくれという心では先祖供養にならない。自分が人間は神の子完全円満であるという真理を悟った時に自ずと感謝の先祖供養が行われ、子供も良くなったという事ですね。要するに先祖供養の要諦は

 「人間は神の子であり、完全円満であり、全ての人間は既に救われている」

 という実相独在の悟りな訳です。そこから自ずと親孝行も先祖供養も出て来る。先祖供養と実相独在の悟りは一つなんです。

 私は7月に母が他界し、その後、家内と一緒に残された95歳の父の面倒を見させてもらってます。父は同じ文句を何回も言ったり、時折暴言めいた事を言う事もあるのでそういう時は私もカッとなる。悪いと思いつつ、そうなってしまう。それは人間だから仕方が無いと思います。

 でも、私は母が他界する際は安らかに他界出来る様にそれこそ全力を尽くした。一ヶ月間、昏睡状態の寝たきりだったので家内と一緒に一所懸命、お世話もさせてもらった。そして色々な導き、幸運が重なって母は安らかに他界する事が出来た。
 そして、現在、父に対して先に述べた様にたまにカッとなる事もあるけど、それも自分の心の影であると分かっているのでそんなに心のしこりにならないし、やはり、私なりに一所懸命お世話をさせてもらっている。そして、毎晩決まった時間に母の位牌に聖経を読誦させて頂いている。
 これらは自ずとそうせざるを得ないのです。救おうとか世話をしなくちゃいけないとかそんなものではない。私の人間神の子完全円満の自覚から自ずと出て来る行為です。

堀 浩二
by koujihori | 2012-12-19 06:51 | 家庭生活 | Trackback | Comments(0)

今、ここそのままで完全円満の実相世界である。(4)

 私の母は7月5日に他界したが、それは何から何まで神に完全に導かれたものであった。
 先ず、母が倒れる直前の4月末に私はたまたま聴いていたラジオで「大往生したけりゃ医療と関わるな」(幻冬舎、中村仁一著)の本の存在を知り、人間は最期の時は出来るだけ自然な状態にしておけば、例え癌であろうと眠る様に楽に往生出来ると知った。そして、母を入院させないで(入院させたら色々な延命治療をされて、本来の安らかな最期が苦しみに満ちたものになる)、自宅で看取る事が出来た。
 それだけではない。いくら医療を拒絶すると一人で頑張った所でやはり色々なケアが終末には必要なものである。それを訪問看護医の素晴らしい医者にこれもたまたま巡り会う事が出来た。そして、おかしな延命治療しないでかつ行き届いた診断、ケアをして頂いた。
 これらの事は全て、ご先祖様のお導きとしか説明が出来ないのである。そして、そればかりではない。母が他界したのは直接の原因は大腸癌である。癌というと生長の家の人は否定的に捉える人が多いと思うが癌は老衰の一種であり、それが原因で他界する事は何ら悪い事ではない。
 母は去年の年末の癌検診では何ら異常は無かった。しかし、5月に倒れた際、医者に診断してもらった所、大腸癌の末期であった。それは恐らく今年になって急速に進行したものと思われる。それはどうしてそうなったかは寿命が来たからである。そして、もう手遅れの状態になるまで分からなかったのが良かったのである。もしそれより前に発見されていたら抗がん剤だ、手術だで母はかなり苦しんだと思う。それは寿命が来てるのであるから、そのまま放って置かれて却って良かったのである。
 そして、母は二年半前にやはり大腸癌の手術をしているがその後、癌の特効薬という丸山ワクチンを接種していた。私は密かに「人間いつかは霊界に移行しなくてはならない。丸山ワクチンに頼った状態のまま、霊界に行くのはまずい。霊界には丸山ワクチンなんて無いからな」と思っていた。
 しかし、母は去年の3月、姉の知り合いのある霊能力者の見立てにより、癌が再発しないのはワクチンによるのではなくて母の生命力によるという確信を得て、それ以来、きっぱり丸山ワクチンを止めていた。
 ここに図らずもワクチンに頼らないで己の生命力のみに頼る心的姿勢も出来ていたのである。

 全ての全てが神のお導きにより完全に運行したのである。それ即ち、私が「今、ここそのままで完全円満の実相世界である」という事に目覚めたからに他ならないのである。

堀 浩二
by koujihori | 2012-09-20 12:33 | 家庭生活 | Trackback | Comments(0)

真の先祖供養

 本当の先祖供養とは現象をアリと認め、霊界で救われていない祖先の霊魂をアリと認め、それを救う為に行う行為ではない。
 もし、そんな現象アリの心で先祖供養を行うならば、祖先の霊魂は無数あるのであり、現象的にはどのような状態で霊界に暮らしているのかとても分からない。それらの迷った霊魂を全て漏れなく完全に供養で救う事などとても出来ないのである。
 生長の家は現象ナシの教えである。それは先祖供養の時も全く同様である。実相独在、現象ナシの生長の家の神髄と先祖供養は全く矛盾しない。
 真の先祖供養は現象ナシと一刀両断し、実相独在、今ここ完全円満実相常楽国土であるという自覚の元、そして神の生命としての一切のご先祖様を拝み、感謝する心の中から自ずと自然発生的に「ご先祖を供養して差し上げたい」という真の供養の心、感謝の心から行われるものである。そこには供養漏れは無いか?この供養の仕方で本当に効果があるか?なんて疑う心は存在しないのである。
 始めから全てが救われている実相世界に住む一切のご先祖様を拝む心、心から供養して差し上げたい心が自ずと働いて行われる供養が真の先祖供養である。

堀 浩二
by koujihori | 2012-08-22 22:03 | 家庭生活 | Trackback | Comments(0)

感謝しようとしなくていい。

 生長の家は感謝の教えである。そして、最も強調されるのは父母への感謝である。父母とは神の愛が最も具体的に目に見える形で現れているものであるからである。従って、「大調和の神示」には「神に感謝しても父母に感謝しえない者は神の心にかなわぬ」とある。
 だから、感謝しなくてはならない、感謝しようとするかも知れないがそんな心配は不要である。何故ならば今そのままで自分は「感謝そのもの」であるからである。これから我(が)という自分が刻苦勉励して決して心を乱さないで感謝をしなくてはならないというものではないのである。
 自分そのままで今そのままで感謝である。真の感謝は感謝が感謝するという事である。現象はナイ、肉体はナイ。感謝そのものの吾、即ち全宇宙に拡がる所の神のみが今ここにあるのみである。
 そのままでよい。

堀 浩二
by koujihori | 2012-07-23 22:57 | 家庭生活 | Trackback | Comments(0)

母が他界致しました。(2)

 人間の死というのは家族に対して教化の意味があると言われています。
 私は今回、母の他界によりどれだけ多くの教化を頂いたか分からない。当初、母が具合が悪くなったのは父が毎日の様に私の不満を母にぶつけていたからだと解釈しました。
 
 私は父の経営する会社で働いていますが会社での私は先ず笑わない。仕事中はいつも真剣だからそんな甘い顔を出来ない、へらへらなんかしておれないと思っていたのです。
 でも二日に一回位、出社して私の横に座っている父からすればそれがとても嫌だった様です。何しろ、父は95歳、会社の送迎も私と兄で交替で車に乗せて来ていて、昔の力は無くなっているので、息子が隣で恐い顔をして仕事しているのがとても寂しかったのでしょう。
 それでその愚痴を毎日母に言う。母は母で息子を非難されているのを聞くのが忍びない。そのストレスがガンになり、倒れたと私は当初、解釈していました。私は自分の職場での笑顔が無かった事が今回の全ての原因であると思い、それから私は努めて笑顔を職場でも作る様になった。
 そうしたら脳の血流が良くなり、体調が良くなるのを感じる事が出来たのです。おまけに私は会社でかなり恐れられていると言うか煙たがられていると言うかそういう部分が今から考えると大部あったと思います。もちろん、私の醸し出す雰囲気が恐いものだったからです。
 それが会社でも笑顔で社員と接する事が出来る様になった。笑顔も意識して訓練しなくてはならないとその時、本当に身にしみて実感しました。

 そして、今回、母の事以上に心を痛めたのが父の事でした。父は95歳であり、2年半前に母が大腸癌の手術をした時はそのストレスからぼけが大部進んでしまった。
 そして今回の事でまた更に進んだ。所謂認知症というものですが、これは単にぼけているだけなら問題無いのですが、攻撃的になる。それがすさまじい家族のストレスになるのです。
 父は自分の金を取られたと言い始め、その犯人を私と兄であると言い始めました。何でもそれが認知症の最初の症状とかでそれを聞いた私たち兄弟は途方に暮れました。最初のこの症状でも非常に子供達に取って大変なストレスであるのにこれが最初の症状だなんて。
 私はその父の所謂認知症というものに恐れおののいた。しかし、生長の家の神奈川教区相愛会の事務局長さんのM氏の体験や生長の家のSNS、ポスティングジョイで山田幸世さん他からのメッセージにある認知症の親や姑さんが周囲が愛を与えたら治ったと言う体験談を知らされるにつれ、勇気と希望がわいて来ました。
 
 真理の面から言ったらどんな現象を現している相手でも自分の中の心にあるもの以外見る事は無い。攻撃的な父ならそれは自分の攻撃的でわがままな心を映してくれている観世音菩薩であると気がついたのです。 私は元々、どちらかと言えば、ストレートな性格であり、割合、瞬間湯沸かし器の様に怒りを爆発させたり、憤慨する事があった。父の攻撃的言動はまさしく自分の姿であったと悟らせて頂きました。
 
 それが分かったら父はそんなに無茶苦茶な人間であるという風には見えなくなって来た。父に比べれば自分の方がよほどわがままだと気づいたのです。
 その辺りから父の攻撃性は消え、今では同じ事を何回も聞いたりするのは相変わらずですがいつも冗談ばかり言う好々爺になってしまいました。私はこの事が無かったら自分の攻撃的、わがままな性格に気づかず、そのままだったら恐らくひどい攻撃的な言動、行動をする認知症の老人になっていたであろうと思います。正に地獄に落ちる直前に救われたのであります。
 
 また、認知症の人で攻撃的になるのは恐怖心があるからでその元は寂しいからです。愛に飢えているからです。だから、お金を取られただのご飯を食べさせてもらえないとか言う訳です。心が満たされたらそんな事は言わない。
 今回は私の妻が本当に親身に父に愛を持って接してくれた事が本当に良かった。妻は寝たきりになった母の下の世話も何一つ嫌な顔をせず、一所懸命やってくれた。父はそんな妻を見て、「有り難う、有り難う」と言っていました。それまで父はそんな事を人に言った事など無かったのです。
 
 そして、母が寝たきりになった5月末から母が昇天するまでの7月5日迄の約1ヶ月ちょっと。この間、私と家内は毎晩、父と三人で夕食を摂り、その後、父が寝付くまで一緒に過ごし、談笑し、その間の母のお世話等々、本当にこれ以上無い親孝行をさせて頂く機会を頂きました。本当に有り難かったです。
 
 生長の家の真理は「人間、神の子生き通し、肉体は滅んでも、魂は生き続け霊界に行く。そして機会があればまた生まれ変わってくる」というものであり、私はそれを堅く信じております。
 母は死んだのではない。霊界に移行しただけだ。そして、一度家族になったものはこれから永遠に別れる事は無い。来世でまた別の関係か、もしくはまた親子という関係で再会する事が出来ると信じておりますので母が他界してもそんなにひどくうちひしがれる事はお陰様でありません。
 だから、亡くなる事自体は受け入れられますが私が神経をとがらしたのが安らかな大往生であって欲しいという事でした。それが本当に冒頭に申し上げた様に「大往生したけりゃ医療と関わるな」という本の存在を知り、途中、紆余曲折はありながら結局、自宅で最期を迎えられた事、そして訪問看護の素晴らしい診療所の先生達に巡り会えた事が幸いし、母はお陰様で理想的な安らかな大往生を迎える事が出来、スムースに霊界に旅立つ事が出来ました。
 これらは結局は全て、神様のお導きによるものですが直接的にはご先祖様のお導きだったと確信しております。

堀 浩二
by koujihori | 2012-07-07 17:15 | 家庭生活 | Trackback | Comments(2)